アパメア遺跡をあとにし、少し行ったところで高速道路に乗れました。そこからは一気にアレッポへ。





そしてとうとう市街に入ってきました。




紀元前2400年頃には、メソポタミアのシュメールやエジプトと交易を行う王国が成立し、紀元前2000年紀にはアラム人の王国ヤムハドの首都として栄えました。





その後もアッシリア、ヒッタイト、バビロニア、マケドニア、セレウコス朝(ペルシャ帝国)、パルミラ、ローマ、イスラムと、古代より世界の中心、錚々たる帝国の中で威厳を保ち続けてきた世界最古都市アレッポです。





古代、アレッポは東西と南北を結ぶ十字路上にあり交易の要衝としても歴史を刻んできました。この小さなモスクだけでも歴史の重みを感じます。











が、








まぁ、ここも想像以上に酷かったです。復興し始めてだいぶ経っていてコレか、、、と。アレッポのこの惨状はトルコ軍とISIS(反政府を装った米国CIAも)の仕業です。





当初、シリア内で一番被害の大きかった大都市がアレッポだったとの認識です。反政府組織(実際はCIAが主導)が動き出した当初からアレッポは戦場と化していた記憶。何故、首都ダマスカスでなく遠く離れた北方アレッポから激戦地になったのか、当時は不思議に思っていました。それがここへ来てわかりました。





第一次世界大戦中、トルコによるアルメニア人ジェノサイド時、現トルコ東部領内で生き残ったアルメニア人の多くは南下しイラン、イラク、シリアの北部へ逃げました。なので、このあたりにはアルメニア正教会も少なくないのですよ。アレッポにはアルメニア人たちの作り上げたキリスト教徒地区もある。






以前からずっとオカシイと感じていたのは、トルコ人、或いはトルコ軍のアルメニア人に対する半端ない憎悪の念。アルメニア人の商才に嫉妬したというだけでは説明できない何かを感じていました。






上述の通り、アレッポはアルメニア人の多い地域です。そしてシリアでは首都ダマスカスに継ぐ第二の大都市。更にトルコとの国境も近い。そういうことかと。







アルメニア人に対する憎悪という点に関し、近々では一昨年のナゴルノ・カラバフ紛争が挙げられるかと思います。ここは、下の記事に書いたように国際的にはアゼルバイジャンの一自治州ですが実質アルメニア人しかいない国。そこに落ち着くまでも紆余曲折あり、古来からアルメニアとアゼルバイジャンで領土争いを繰り返してきた歴史があります。





一昨年、一旦収まっていた紛争が突然勃発しました。アゼルバイジャンとナゴルノ・カラバフ軍が交戦する中、ナゴルノ側は宗主国であるアルメニア軍も次々投入されました。アルメニアに住む一般市民も自ら志願兵が向かうなど(私のアルメニア人の友人も志願)混沌としていましたが、ナゴルノ・カラバフに住む非武装の一般市民(アルメニア人)のダメージがあまりにも大きいことから、アルメニアより停戦を申し入れ、事実上敗戦しました。








そして、すぐにアゼルバイジャンに編入(もともと国際的にはアゼルバイジャンの一自治州)されました。これも、当初からアゼルバイジャンを焚き付け、全面的に軍事支援したのはトルコです。







アゼルバイジャンにもナゴルノ・カラバフにもそれほどの軍事力はありませんので、実質「トルコ対アルメニア」の戦争と私には映っていました。トルコはアルメニア人ジェノサイドの一件において世界中から非難されている立場ですので、表立ってアルメニア人を攻撃する事はできません。







で、紛争地を抱えるアゼルバイジャンに目をつけた。と私は見ています。






戦地となったナゴルノ・カラバフでは、トルコの開発したドローン殺人兵器が、岩場や塹壕に隠れる援護のアルメニア軍人、そして志願兵を空から一網打尽にする映像がネットに出回っていました。







私も見ましたが、武器を持って地上で周囲を伺うアルメニア軍の数十人が空からの狙撃一発で一気に吹っ飛んでいました。それは、このドローンにどれだけ確実な殺傷能力があるかを示していました。






コレを機にトルコのドローン兵器はヨーロッパ各国で飛ぶように売れたのですよ。ホント狂った世界です。トルコの兵器を売るために、生身の人間(アルメニア人)がデモンストレーション、宣伝に使われたと言ってもよいでしょう。マジ狂ってる。






トルコ軍が動く時、その先にはアルメニア人。ナゴルノ・カラバフ然り、シリア然り、イラク然り。オカシクないですか?







と、話が反れて長くなったので、アレッポのご紹介は次回に。