2022年GWに訪ねたイラクの旅を綴っています。以前、現地で書いた記事に写真と文書を大幅に追加しています。

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順路を間違えたのかな?いきなりアルケサス朝パルティア時代に突入しました。


 

パルティアは紀元前247年~紀元後224年の帝国です。パルティア人は、カスピ海の東(現トルクメニスタン~イラン)の中央アジア草原に住むスキタイ遊牧民パーニ族が、後にパルティア人と呼ばれるようになったとされています。彼らは、セレウコス帝国を支配し、ローマ帝国を退けて、独自の超大国として地位を確立します。

 

 

アルケサス朝は最初こそ現イラクのクテシフォンに首都を置きますが、その後は現イランのエクバタナ、スサ、そしてトルクメニスタンのニーサと徐々に北上します。因みにニーサへ訪ねたことあります。土の塊しか遺っていませんでした。笑

 

 

 

 

 

パーニ族は独特の戦闘スタイルを持ち、広大な地域を征服したため、帝国内のさまざまな地域から物資や文化の影響を受けることになりました。パルティア人は建築様式を東西融合させて独自のパルティア建築を作り上げたほか、独自の芸術と服飾を作り上げました。時代は紀元前から紀元後に跨ります。

 

 

 

 

 

 

イラクのモスル南方にあるハトラは、パルティア時代の紀元前1世紀ごろに都市形成され、首都にこそなりませんでしたが、現イランにある首都とローマを結ぶキャラバンルートの交易都市として栄えました。このように運河で囲われていたよう。



これは、現在の様子。

 

 

先月(2023/4)、イラクを訪ねたイギリス人の友人が送ってくれたハトラ遺跡の写真。もう、建物はほぼギリシャやローマですね。

 

 

私はこの旅では新バビロニアの範囲を訪ねましたので、バグダッドより北のアッシリア側ハトラへは訪ねていません。ここもISILに占領されたと聞きましたが、破壊は免れたのかな?それとも修復したんか?イラク国立博物館には、この要衝から発見された彫像もいくつか展示されています。

 

 

それでは、パルティア時代のハトラをご紹介します。

 

こちらは陸軍の高級武将の石灰岩像です。口が「ニッ」と開き瓢箪顔に見えますが、これは髭です。小顔です。軍服を着用し、両手には神像と思われるものを持っています。



 

名前は不詳。ハトラの第4神殿で発見されました。メソポタミアでも、時代が変わると見た感じもだいぶ変わりませんか?




ギリシャのアレクサンドロス大王による東方遠征によってペルシア帝国アケメネス朝が陥落したあと、アレクサンドロス時代とセレウコス朝を経てパルティア時代へ移行しますので、ヘレニズムがガッツリ浸透しているのですね。ヘレニズムは、ギリシアとオリエンントの融合した文化です。

 

 

 

 

 

 

ヘレニズムの浸透したガンダーラなどは、仏陀像がまるでギリシャ神話に出てくるアポロンやアルテミス神のよう。ブッダの頭がフサフサカーリングしてる像などあり、初めて見たとき吹いた!爆

 

 

 

 

 

こちらの石像は髭が生えていませんね。若い王子と思われます。若いわりには腹が出てる。左手にヤシの葉を持ち、挨拶のために右手を上げ、胸に垂れる形のネックレスを着けています。髪は短くカーリング。服装も独特です。ギリシャが存分に入っていますね。

 

これは、ハトラの王サナトルク1世(在位:140年頃~180年)の大理石像。頭には鷲の頭飾りを身に着けています。ハトラの第10神殿で発見されました。台座の碑文は、アラム語文で「Sanatruq」とキッチリ書かれているようですよ。


 

ここまで観てきたメソポタミアが見事に覆されています。バビロニアやアッシリアの要素が微塵も感じられません。改めてアレクサンドロス大王の影響力は凄いものであったのだと思わざるを得ませんね。ヘレニズムは西洋と東洋の融合などと評されますけど、東洋(古代オリエント)の要素など見当たりません。

 

 

 

 

 

 

さっきまで見てた古代メソポタミアの偉人はこちら。なにか威厳が全然違う。比べるとどうしてもパルティア人、チャラい!

 


顔はない大理石の像は右肩をピンで取め、後ろに垂れ下がって膝に達しているドレープ・マントがもうギリシャ。これはハトラの紳士のようで、腰には美しいベルトに短剣を下げています。他の像と同じく右手を上げ、左手はヤシの葉をつかんでいます。足元の靴はビーサン?柄の部分に装飾がされています。これ、現代でも見るよね。



メソポタミアの遺跡群で裸の男性像を初めて見た。時代が変わるとこうも違うかと思いますよ。ヘレニズム以前の古代メソポタミアでは有り得ないです。これじゃまるで西欧の美術館です。



こちらはハトラ神殿8番目の寺院で見つかった大理石の神の彫像です。下部の8つの柱で囲われているのは鷲です。上部のボールの上に立っているのはマルス神。4つのアカンサスの葉が飾られていますね。小さいながら繊細な彫刻のされた美しい彫像です。



石灰岩で彫られた鷲の彫刻です。ワシはハトラ軍の勝利の象徴だそう。ボードの下部はアラム語の文字が書かれています。



こちらもイーグル。太陽の神殿の先で発見されたよう。

 
3つのネックレスと、アクアの帯と2つの鎖が付いたネックレス、中央の首には太陽神へのペンダントが付いています。


こちらもギリシアちっくですね。葡萄の枝が美しく歪曲するレリーフ。ペルシア帝国のアケメネス辺りでは、狂ったようにワインを飲みまくるペルシア人の様子がレリーフや文献に遺っていますが、古代バビロニアやアッシリア(現イラク側)では全く見ないのよね。



こちらも頭部がありませんね。ハトラの偉大な神であるアッシュールベルの像で、こちらは古代メソポタミアで見られる長いひげを蓄えています。これハトラでは珍しい。しかし、胸にはシャマシュ神。足元には2羽のワシと女神タイヒが描かれていますので、やはりギリシアの影響は否めない。

 

後部はこのような感じ。これは、メソポタミアにしてもパルティアにしても珍しいタイプの彫像ではないでしょうか。



ライオンの上に立つ3人の女性。中央に軍服を着た女神アル・ラット。両脇はアル・ウザとアル・マナト。この三人はどうやらアラビアの女神のよう。なぜハトラに?そして、アケメネス朝以前は決してない女性像です。


ハトラはこの辺りまでで!次回から小物をご紹介します。もう少しお付き合いください!