2019年3月に旅した北~西アフリカの旅を綴ています。








今日は朝から日帰りツアーの日。午後には次の国へフライトのためホテルをチェックアウトし、ドライバーとガイドをホテルのロビーで待ちます。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし、時間になっても相変わらず現れない。

 

 

 

 

 

 

 

まぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

時間通りに来ないだろうことは想定内で、待合せ予定時刻から20分経ったところで、事前に聞いていた現地ガイドの電話番号ではなく、日本のメティストラベルの担当に電話してやった。

 

 

 

 

 

 

 

すると、想定外な明後日方向の返事。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?今日でしたっけ?」

「伝えるの忘れてました。」

「すぐに向かわせます。」

 

 

 

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

 

 

 

 ホント、マジ今すぐ潰れろ!

 

 

 

 

 

 

 

一生、社会に出てくんな!

 

 

 

 

 

 

 

それからどれくらい待ったのかな、30分くらい経ったのかな。ドライバーとガイド到着。

 

 

 

 

 

 

 

 

スーツケースをトランクに入れて西へ向かいます。

 

 

 


向かった先は遺跡都市シェルシェルとティパサ。

 

 

 

 

 まずはシェルシェル。可愛い名前ですよね。

 

 

 

 

ローマとギリシャの遺跡があります。



 

 

元々、ここも紀元前6世紀ごろにフェニキア人が開港しました。




 

 

その頃、アフリカ大陸側の地中海における最も重要な交易拠点だったそうですよ。

 

 

 

 

シェルシェルという地名の由来は、モーリタニア王国の時にここが首都となりラテン語名の「Caesarea」がアラブ統治時代にアラビア語読みされ、Cherchell(シェルシェル)となったよう。

 


 

 

とにかく遺跡だらけのここシェルシェルなのですが、遺跡の上に家を建ててしまってるため、多くのロマン遺跡がその下で眠っているそうです。

 



 

 

お爺ちゃん!それ遺跡!腰掛け椅子じゃないから!笑

 

 

 

 

博物館の開館時間まで時間があったので、近所の遺跡を案内してもらいました。ここは公共の広場だったよう。

 

 

 

 

シェルシェルは、独立戦争時も戦禍を免れたらしく、実際、街を歩くとあちこちに遺跡があります。

 


 

 

こちらは、エル・ラーマン・モスク。建立はフランス植民地時代で元々キリスト教会。植民地明け、これを壊さずにモスクとしたのだけど、これをモスクと言われても全然ピンとこないよね。建て直したら?ボソッ



 

 

考古学博物館がオープン時間を迎えました。

 

 

 

 

ここは、ローマ遺跡に飽きた人でも一見の価値ありの素晴らしい博物館でしたよ。基本、ロマンとギリシャ、そして少しのオスマン。

 


 

 

ロマンやギリシャのこれら大理石彫刻が多く、

 





大きなものから小さなものまで品揃え豊か。





この部屋ではないですが、所狭しと並んでいる倉庫?もあり歩きづらいほど。





中庭には、宮殿に使用された列柱の一部が並んでいます。

 

 




上写真の手前はコリント、下はイオニア式。ギリシャ様式ですよね。


 

 

また、こちらは噴水の中壁。

 


 

 

このモザイクの複雑さと精巧さが素晴らしい。

 


 

 

チュニジアの首都チュニスにある博物館もスゴイのですけどね。

 

 

 

 

 

 

 



ここシェルシェルのモザイクは、頬の盛り上がり具合から憂いのある眼差しなど、人の表情がよく表現されている。





また、髪型や髭の流れ方から肌の色やテカリ具合まで、


 

 

顔面の影のつけ方なども、緻密に計算し貼られると言いますか施されていて感心しちゃいます。絵ではなくモザイクですのでね。






想像上の動物などは、メソポタミアに通じるものがあります。





こちらも、当時の様子を伺い知ることのできる貴重なモザイク。





いやー、ここは見ごたえありました。アルジェリアに来たら是非、足を延ばしてみてください。車で2時間弱で来れます。





シェルシェルをあとにし、ティパザという街へ。



 

 

お昼ごはん食べました。

 

 

 

 

捻りのない普通の味だったような記憶。

 

 

 
 
 
 

 

この街にあるのは、まさにズバリのローマ遺跡。

 

 

 


世界遺産にも登録されています。

 


 

 

ここも、元はフェニキア人によって作られた港町なのですよ。

 

 





そして、コンスタンティーヌと同じく古代ローマに支配されたのち、アラブ、


 

 

そしてビサンツやオスマン、フランスの統治を経て今に至ります。

 

 

 


まあ、この辺りは一言で言うと、どこも、、

 


 

 

翻弄されまくりですよね。一度も植民地になったことのない日本て、ホント凄いと思うわ。

 

 




近くにあった博物館へ。


 

 

このマーブルも綺麗ですよね。ここまで艶感を出すの大変なのでは?






こちらも見事なモザイク。





ローマ遺跡は正直なところ、個人的に見飽きた感ありました。

 

 

 
 
やはりメソポタミアやインダスにはどうひっくり返っても敵わないですし、ロマンやギリシャはメソポタミアのパクリ感を拭えません。
 
 
 

 

しかし、シェルシェルやティパサはじめ、北アフリカのロマン遺跡はカルタゴ(フェニキア人国家)が強く入るので、他のロマンと少し違うように感じるのです。


 

 

最後に、アルジェへ戻る途中、トゥームに寄りました。

 

 

 

 

これ王家の墓。

 


 

 

モーリタニア王家の墓で、クレオパトラの娘セレーネが眠っているらしいのです。

 


 

 

実はハッキリしていないようなのですが、ローマ帝国のアウグストゥスから送り込まれたユバ二世とクレオパトラの娘セレーネが、この地で結婚したことは事実のようで、

 





地元では、セレーネの墓と信じられているようですよ。
 

 

 

いくつかある入り口と思われる場所に仕掛けがしてあり、どこが本物の入り口なのか不明なのだそう。






エジプトはじめ、マヤやインダスもそうですが、これらの大きな墓というのはミステリーですよね!

 

 

 
 
うわ!白いラクダ、初めて見た!
 
 
 

 

さて、空港へ向かい次の国へ飛びます!
 

 

 

 

 

 

 

アルジェリアのまとめ記事

 

 

 

 

 

 


古代カルタゴのフェニキア人を思う旅。

オススメスーツケース。