2017年7月の三連休に東ティモールを訪ねたときの単独記事です。
102ヶ国目、東ティモールはここにあります。オーストラリアはダーウィンの北西ですね。
ティモール島の東半分に位置しています。西半分はインドネシア。
東ティモールは、2002年にインドネシアから独立したアジアの一番新しい国です。
15世紀からポルトガル領でした。後から進出してきたオランダに西半分を割譲したことで、ティモール島は東西に分かれます。
その後に島全体がインドネシアに返還されますが、やはり一旦西欧に分断された壁は高く、東西には軋轢が生じます。当時のインドネシア軍はスハルト政権のもと、東ティモールを弾圧し、20万人もの死者が出たといわれています。
ここに限らず、スハルト政権下のこれらの弾圧で、一体、何百万人が殺害されたのだろうか。
そして、国連管理のもとインドネシアから独立。世界的にはポルトガルから独立した格好となっています。
簡単に書きましたが、この一連の独立劇は凄まじい数の死者を出したのと同時に、近年、例を見ない惨劇だったことから、2013年にユネスコの「記憶遺産」に登録されてます。
どうなんですかね。
発端は、西欧の植民地化。こいつらは多く土地の民を虐殺したうえ、奴らが退いた後も領土争いを招き内戦になるなどして二次的にも三次的にも死者は増え、被害を拡大させているのですよね。
さて、インドネシアのバリを経由し、東ティモールの首都ディリへ参りました。
東ティモールには空港が一つしかなく、国際線もほとんど離着陸しないので、その時間になるとここに張り付くのが名物のようになってるらしい。
笑
首都中心部から車で20分ほど離れたビーチフロントのゲストハウスを取りました。
着いてみたら一軒家まるごと私の部屋でした。
一人の私は夜、若干不気味でした。笑
東ティモールは大した産業もなく、アジアの最貧国を常にブータンと争っています。
しかし、ブータンのように宗教的に秀でた建築物や思想、何かちょっとした他国にはない特長などなく、ホント見事に、
何もない。
一般的にどんな国でも、どんな侵略を受けようと、どんな戦争が起き破壊されようと、それ以前の文化や歴史というものは人々の記憶とともに存在して再現し、植民地化でそれと融合して何かが産みだされたりもするものですが、そんなものも、見当たらない。
ここも紀元前2000年くらいから人が住んでいた形跡はあるようですが、古来から少数でも人の住んだ痕跡があるなら、その時代の遺跡や遺物などが何かしらほんの少しでも遺っていたりするものですけれどもね。
ここは、マジで何もない。
近代にしたって、何かその土地に根付いた特有の文化や、それに伴う建築物や物があって然るべきなのだけど、いや、ここホントに何もないのです。
遺跡や文化がなくとも、何とかこの国ならではの特徴を探そうと歩き回りましたが、どんなに探しても、
なんもない。
↑
しつこい。笑
美味しいと思える料理もない。
ここはインドネシア料理が主。長年に渡るポルトガル領だったにも関わらず、なぜポルトガル料理は浸透しなかったのだろうか?口に合わなかった?私はインドネシア料理をあまり美味しいと思ったことなくてですね。
あれって単に具が多めの焼きそば、ラーメン、チャーハンじゃん?私、炭水化物主体の食事は、あまり好まないのですよ。(好きな人スマン!笑)
到着日は、ゲストハウスの前のビーチでのんびりして終わりました。
翌日早朝。ビーチで朝食。
今日は、あそこへ登ってみよう。
涼しいうちにと早朝からテクテク。
わりとすぐ中腹へ。
太陽眩しい。
これは、「Cristo Rei」と呼ばれています。ディリ唯一の観光地と言っても過言でないかも。笑
クリスト・レイから南の景色、
ビーチ綺麗そうですよね。
東はこんな景色で、270°のパノラマが楽しめますよ。
東の方に降りてみました。ここはDolok Oanというビーチ。泳いでる人は皆無で、魚を獲る人がチラホラですね。こんな緩い感じでも素手で獲れるようなのですよ。
産業が発展していない国のビーチは海も透き通って綺麗ですよね。
先ほどの丘から見えた南側は、クリスト・レイビーチといいます。
こちらも人はまばら。昼間はあまり外に出ないみたい。そういえばこの海、ワニ出ると聞いたような。爆
バスに乗って、首都ディリの中心部へ行ってみます。
海沿いプロムナードに着きました。ここも疎ら。そもそも人口が少ないかも。
海から直角に陸へ向かうと、東ティモール歴史博物館(抵抗運動博物館)。
歴史博物館と言っても、ポルトガルによる植民地時代から、インドネシアによる占領、そして独立に至るまでですね。
入場料は、たった一ドル。綺麗な博物館でしたよ。よく管理されています。
ここに限らずですが、植民地や占領地からの独立を掲げるにあたり多くの血が流れます。それが分かっていても尚、自由を勝ち取る気概は素晴らしいと思います。
日本は、戦争はあっても植民地になったことがないので、その凄惨さは分からない。でも、原爆を落とされた世界唯一の国ではある。
広島の原爆博物館だけでなく、日本中に戦争の凄惨さを伝える博物館があってもいいように私は思うんだけどな。今を生きる人たちにしっかりと語り継ぐ必要、ありますよね?日本も。
博物館を後にします。レストラン発見。でもここもインドネシア料理ぽい?歩いていたらフードコートみたいなの見つけて、そこで中華を食べたような記憶がある。写真なし。
再び海側へ歩いて行くと、教会がありました。
ちょうどミサの時間。旧ポルトガル植民地時代からカトリックで、現在は人口の99%ですって。
ポルトガルに植民地化される前は、精霊信仰だったそうですよ。なんか言葉の響きが素敵ですよね。精霊信仰。
インドネシア支配の時はイスラム教が入ったにも関わらず、カトリック99%は驚きですね。皆様静かにお話を聞いてます。
再び海側へ。
装飾品の連なる一角。
これ、インドネシアでよく見ますよね。
そうそう!東ティモールの通貨はUSドルです。自国通貨では弱すぎるのでしょう。USA以外でUSドルを使ってる国というのは、デフォルト寸前か、ハイパーインフレで破綻しそうなところが多いです。ベネズエラなども、あんなに米国を敵視してるのに、通貨は米ドルも使ってる。笑
小国でも地中資源のある国は強いですが、東ティモールのように何もなく、しかも植民地時代が長いと、なかなか自力で産業も難しいですね。
歩いている途中、若者たちの反政府デモに遭遇しましたよ。
言っちゃ悪いが、アジア最下位を競う様な産業を確立できない国じゃ、若者は将来に希望など持てず、そりゃ反政府に走りますよね。ドンドンやれー!もっとやれー!って感じですわ。
ここは君たちの国だし、もっと国を良くしていくには反旗を翻すことはとても重要だ。そしてそれは、君たちの仕事だ。
若者の政治的主張が全く聞こえない日本から来た者としては、この熱い思いは羨ましくさえ感じましたよ。
クリスト・レイが見えてますね!そういえば確か、ブラジルのコルコバードに次ぐ大きさだと聞いたかも。。
歩き疲れて帰ります。帰りもバス。街から少し離れた場所の宿なので、滞在中の私の足でした。
ここまでの旅ブロで、足がないと大概レンタカーすると伝えてきましたが、こういった国ではレンタカーという概念自体がなかったりします。
そういったレベルの国は、もちろん電車や地下鉄などもありませんので、移動は専らローカルバスです。
時刻表もないですし、来ないと一時間くらい待ったりもしますが、彼らにとってはそれくらいの時間軸と言うのですかね。
沖縄時間よりもずっと長いこの余裕時間は先進国の私達になく、それこそが贅沢なのかも知れません。
たった2日の滞在でしたが、異常に長く感じられました。やることないので暇だった。
海外へ行くと2日などすぐ経ってしまい、いつも時間が足りなくて「さよーなら」ですが、ここは、「やっと帰れる」てくらい何もありませんで、ただただ自然を楽しむのみ。まぁ、ゆっくりできましたわ。
あと、人もとても穏やかで温かいですよ。
ここにいたときは退屈だと感じていましたが、今日、こうやって写真を見て振り返ると、なかなか良い時間だったんだなと、改めて思い返しています。
そうだ!1つだけティモールのいいとこあった!
ここ、コーヒー美味しいのですよ。コーヒーベルトにあって栽培盛んですが、お金ないので農薬や化学肥料を買えず、図らずして完全オーガニック!笑笑
しかも、機械も買えないので手摘み!工程も人の手作業!驚
コーヒー星人の私が、世界で一番美味しいと思っているのは、ここ東ティモールのコーヒーなのです。ディリのスーパーマーケットで大量にコーヒー豆を購入して帰りましたわ。これがまた安いんだ!
東ティモールのまとめ記事
https://tripnote.jp/timor-leste/historical-places