3年前の夏旅を綴っています。ドイツ→ルクセンブルグ→スイス→リヒテンシュタイン→フランス→モナコ→スペイン→アンドラ→チュニジア→エジプト→ウガンダ→ブルンジ→ルワンダがこの旅の最終国です。
この旅、最後の国はルワンダです。
そして、アフリカ大陸の国ではかなり珍しいのですが、キガリは道にゴミが落ちていないのです。これ、ホント珍しいです。アフリカ各国へ行かれた方は見慣れた風景かと思いますが、アフリカの国々は、道にゴミが落ちてないなんてことはほとんどありません。
ルワンダは、ビニール袋の使用を自然環境保護の観点から厳しく禁止しており、入国時にビニール袋を持っていないか確認されたほどですよ。
人間はある日、急に隣近所の仲良かった知人を殺しえる生き物なのですね。プライドが凝り固まって自分をコントロールできなくなる、しかも第三者の煽りに乗ってしまう。また、貧困がそれを助長してしまうものだとも思いました。
ジェノサイド後、ルワンダは急速に復興し、ICT立国となるなど「アフリカの奇跡」とまで呼ばれました。
「どこへ行くの?」
散歩しているだけだと応えると、
「一緒に歩いてもいいか」
というので、
「もちろん」
街の中心へ向かい山を登りながら、二人で歩き始めました。
彼は、お隣ブルンジからの難民で、しばらく国へは帰っていないとのこと。
私は、「昨日、ブジュンブラを観光する予定だったのだけど、飛行機が遅れて街まで出れなかった」「ブルンジはどんなところなの?」
と聞くと、
「最高に貧乏だ」「この辺りでは一番ひどい」「アフリカの中でも最貧国に近い」「内戦で住めなくなった」「僕は、今の独裁が変わらない限り、二度とブルンジには戻れないだろう。」
と。
「ええ?内戦?」
ルワンダジェノサイドの凄まじさの影に隠れて目立ちませんでしたが、実は民族間紛争はブルンジにも飛び火しており、ルワンダが収まった後もブルンジ内のフツとツチで抗争が繰り返されていたようなのです。
「クーデターも起きてる」「危なくて住めない」「僕は家族全員、爺ちゃんも婆ちゃんも一緒に大勢でルワンダに難民としてきた」「歩いて来たんだ」「荷物もあるし、爺ちゃんは足が悪くてすごく大変だったんだ。」
そして、「来た当初はろくな家に住めなくて」「ちょっとした言語の違いなどもあって言葉も通じにくく」「今はないけど来た当初は難民に対する差別もあり」「母はいつもブルンジに帰りたいと泣いていた」
「弟たちはまだ小さかった」が「食べるものもなく」「父は一日中働いても一日2ドルしか稼げなかった」
「僕も、学校へ行かずに働いたよ」
英語の堪能なカレ。勉強したんだろな。色々話しをしながら小一時間ほど歩き、「会えて嬉しかったよ」「仕事に戻る!またね!」
まだ20そこそこと思われる彼の背中を見送りながら思いました。上述したように、ベルギーの姑息な人種分断差別さえなければ、彼もこれほど翻弄されず憂いもなく、慣れない土地で生活する必要もなく、貧乏でもブルンジで平和に暮らしていたのかも知れない。
先ほど調べたところ、2020年5月に大統領が変わったようですが、前大統領の指名で当選しているところを見ると、独裁は変わらないのか?
独裁が悪いわけでは決してないのですが、資本主義下で生きている者からすると、どうしても何か違うと感じてしまう。所詮人間ですのに、神にでもなったつもりか?と目を疑うようなのもいますからね。
彼と彼の家族は果たしてブルンジへ戻っただろうか。。
そういえば、私の泊まっているホテルのオーナー。朝食へ行くたびに話しかけに来てくれて色々聞いたのですけどね。
彼は、内戦が勃発した際、しばらくキガリに留まって惨状を目の当たりにしていたのだそう。この世のものとは思えない光景だったらしい。そして、いよいよ危険が差し迫ってきたとき、難民としてスイスへ渡ったのですって。
そこで、たまたま小さなブティックホテルの仕事に就けて、その隅々、それこそリネンの変え方から経営ノウハウまで学んだらしく、内戦が終わってルワンダに帰国し、このホテルにスイスの名前を配して開業したのだそう。
「スイスで僕を雇ってくれた主には本当に感謝している。」「僕はあそこで人生の多くを学ぶことができたんだ。」「僕はその恩返しのために、ここに宿泊してくれるゲストには、ここ(キガリ)での生活を印象的な思い出の一つにしてもらいたいと思ってる」
信じ難いツライ現実を目の当たりにした人というのは、どん底を経験して這い上がってきておられるので、強さと優しさを深く兼ね備えていらっしゃいますよね。
昨日も書きましたが、ウガンダ人はじめ、ルワンダブルンジなど、ビクトリア湖周辺一帯の人々に、礎の部分が何か温かく感じるのは、何かそういった苦しい過去の経験から人間味を一層強くしているのかなと思っています。
以前訪ねたサラエボ でも同じような印象を受けましたかね。。
ところでここに滞在中、私はキガリでも高級に相当するマリオットにランチしに行ったのですよね。そこでスゴイ光景を見ました。
キガリのマリオットは谷を見下ろす山上にあり、かなりの広さを誇っています。エントランスの先には一面のオープンカフェレストラン。その中央にテーブルを繋げて30名くらいが大きく陣取っていたのです。豪華な食事にワイングラスを傾ける欧米人。アテンダントが付きっきりです。
これから何かのイベントでもあるのかと思い、シートへ案内してもらうときに、「あの人達はなんですか?」と何の気無しに聞いたのです。
すると「彼らはユニセフだ」と言ったのです。「ユニセフ?ユニセフが昼間からパーティ?」と聞くと、「Yeah,毎日だ。彼らはクレイジーだから。僕が言える立場ではないけど。」
ホント、狂ってるわ奴ら。
「あなたでなくても、日本人の私から見てもクレイジーに見えるから気にしないで。」
私がそこでランチしている間、ずっと彼らは世界中からの寄付で楽しそうに宴会していました。これね。ここだけじゃないのですよ。私、貧国とされる国のアチコチで見ます。
日本人は良かれと思って寄付、若しくは税対で巨額を拠出しているのでしょうが、よーく実態を把握する必要あると思いますよ。そもそもマッチポンプだということを知ってください。
ここはキガリの中心にある、UBUMWEホテルのルーフトップバーです。