『奥様の想いを継ぎたい』と言った人は、値段を聞いたら消えた 妻の遺品を巡る“熱意”と現実 | ロックベーシスト 西本圭介

ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

 

妻・聖(きよこ)が2026/6/15に亡くなってから、私は彼女が残したものを少しずつ整理している。


たこ焼き店「3丁目のたこボール」。

商標。

ワーゲンバス。

営業用品。

そして、何台かのバイク。

 

どれも私にとっては、単なる中古品ではない。


そこには聖子が働いていた時間があり、笑っていた時間があり、私たち家族の生活がある。

だから私は当初、

「できることなら、大切にしてくれる人に引き継いでもらいたい」

と思っていた。


今もその気持ちは変わっていない。


ただし、この数か月で一つだけ大きく変わったことがある。

私はもう、

“熱い言葉”だけでは人を信用しなくなった。

 

なぜなら、人の言葉というものは、驚くほど熱くなる。

ところがそこに、


「では、いくらで買いますか」

「いつ契約しますか
「どうやって維持しますか」


という現実が入った瞬間、急に温度が下がることがあるからだ。
 

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聖子が長年続けてきた「3丁目のたこボール」。現在、商標やワーゲンバス、営業用品などを少しずつ整理している。

 


「いつか、たこ焼き屋をやりたい」

妻が亡くなって間もない頃。

SNSのMessengerに、知らない人から突然メッセージが届いた。

 

聖子のたこ焼きを何度か食べたことがあるという。

その人自身も過去に家族を亡くした経験があるといい、私のことを気遣う文章が丁寧に書かれていた。

そして、自分は将来たこ焼きの移動販売をやってみたいという夢がある。

もし、いつか聖子のキッチンカーを手放すことがあれば、その時に話を聞かせてほしい。

 

そんな内容だった。

非常に熱のこもった文章だった。

私はその時、このメッセージには返信しなかった。

妻が亡くなった直後でもあり、まだそんな話を具体的に進められる精神状態ではなかったからだ。

 

それでも、「聖子の店を覚えてくれている人がいるんだな」

とは思った。

 


そして、本当に募集を始めた

その後、私は「3丁目のたこボール」の事業承継先を正式に募集することにした。

ワーゲンバスだけではない。

 

商標も含めて、聖子が作ったブランドそのものをどう未来へ残すか。

そこまで考えた募集だった。

 

しかし、あれほど熱いMessengerを送ってきた人から、正式な応募が届くことはなかった。

もちろん、それを責めるつもりはない。

 

こちらは最初のメッセージに返信していないのだから、相手としても「脈がない」と考えた可能性はある。

気持ちが変わったのかもしれない。

 

家庭の事情もあるだろう。

だから、この人について理由は分からない。

 

ただ、私の中には一つ、小さな疑問が残った。

 

あの時のあれほど長く熱い文章は、一体どこまで“現実の商売”を想定して書かれたものだったのだろう。

 


今度は、正式な応募者が現れた

事業承継募集には、具体的な応募もあった。

 

ある応募者は、かなり詳細な計画を書いてきた。

 

家族にたこ焼き店の経験がある。

飲食業を始める準備もしている。

本人は旧車の整備を仕事としている。

 

若い頃には同型のワーゲンバスを使った移動販売経験まである。

そして、広島だけではなく、中国・関西一円へ出店を広げたい。

所有する同型車を使い、県外で「のれん分け」のような形でも営業できないか。

 

応募書類だけを見れば、

「これはかなり具体的な人が来たな」

と思った。

私も興味を持った。

 

そこで、かなり丁寧に返信した。

県外で展開すること自体は問題ない。

ブランドを大切に育ててもらえるなら嬉しい。

こちらも前向きに検討する。

ただし、一つだけ具体的に教えてほしい。

「いくらで承継したいと考えていますか」

と。

 

応募欄には、「希望金額を銀行から融資してもらう予定」

とは書かれていた。

 

しかし肝心の、

希望金額そのものが書かれていなかった。

もともと金額のオファーは応募条件だったし、当然、事業承継なのだから聞く。

 

私は金額だけで決めるつもりもない、とも書いた。

聖子の店に対する思い。

今後のコンセプト。

ブランドをどう残すのか。

 

そうしたものも含めて考えたいと伝えた。

それでも、まずは具体的なオファーが必要だ。

商売なのだから。

 

ところが、その後、返事は確認できなかった(苦笑)

 


「想い」は書ける。でも、値段は書けない?

ここで私は、かなり辛口な疑問を持った。
 

ひょっとして、“聖子の想いを継ぎたい”“大切にします”と熱く書けば、タダか、それに近いような法外に安い金額で譲ってもらえるとでも思っていたのだろうか。


もちろん、本当のところは分からない。

これは私の推測にすぎない。

融資の事情が変わったのかもしれない。

家庭で話がまとまらなかったのかもしれない。

単に連絡を忘れただけかもしれない。

理由は確認できない。
 

ただ、事実として、

夢や事業計画については非常に具体的だった人が、

「では、あなたはいくら出しますか」

という最も現実的な質問をしたところで、会話が止まった。
 

そこには、どうしても引っかかるものがある。


言葉は立派だった。

構想も立派だった。

銀行融資という話まで出ていた。

なのに最後の一歩、
 

自分の財布から、いくら出す覚悟があるのか。

そこが出てこない。


俗な言い方をすれば、

「いざ値段の話になったら芋を引いたのかな」

と感じてしまったのも正直なところだ。


どちらにしても大人なのだから、既読無視は辞めてほしい。
疲れる。

 

 

募集したのは単なる中古車ではなく、商標を含む事業承継。
だから最終的には「想い」だけではなく、条件と金額の話になる。
 


遺品だから安く譲る、という話ではない

ここは誤解されたくないので、はっきり書いておこうと思う。
 

聖子が亡くなったからといって、

私は彼女が残したものを投げ売りするつもりはない。
 

むしろ逆だ。

聖子が15年以上かけて育てた店だからこそ、価値を雑に扱いたくない。

「大切にします」

「想いを継ぎます」
 

という言葉をもらったからといって、

それだけで数十万円、数百万円の価値が消えるわけではない。

ワーゲンバスにはワーゲンバスの市場価値がある。
 

商標には商標の価値がある。

営業用品にも価値がある。
 

そして、ブランドには15年以上積み上げた時間がある。

それを、

「亡くなった奥さんの思いを引き継ぎます」
 

という美しい文章と引き換えに、タダ同然で手放す理由はない。

本当に欲しいのなら、

思いと一緒に、条件も提示してほしい。

それだけだ。


そして、バイクでも似たようなことが起きた

今度は、聖子が残した一台のバイクだった。

ある男性が事前に長文で思いを伝えてきた上で現車を見に来た。

 

とても気に入った様子だった。

話も盛り上がった。


そしてその場で、

「今日、お金を置いて帰りましょうか」

というほどの勢いを見せた。
 

実際にまとまった現金まで持っていた。

私は直感的にその場で現金を受け取ることを断った。

 

古いバイクである。

今は調子が良くても、これからノーメンテナンスで乗れる車両ではない。

一度帰って、冷静に考えてほしかった。

そして何より、これは聖子の遺品だ。

勢いだけで決めてもらう必要はない。
 


 

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聖子が残したバイクの一台。古い車両だからこそ、価格だけでなく「誰に渡すか」も大切にしている。
 


現金を出した人が、一週間沈黙した

ところが、その後こちらから購入意思を確認しても、返事が来なくなった。
 

既読にはなる。

でも返事はない。

1日。

3日。

そして、ほぼ1週間。
 

私は思った。

あの日の札束は、何だったのだろう...
 

その場で現金を置いて帰ろうとするほど欲しかったものが、

家に帰った途端、一週間返事すらできなくなる。
 

その落差は、さすがに気になる。

 

買わないなら、

「今回はやめます」

でいい。

それだけなら何も思わない。
 


一週間後に届いた、長い回答

ようやく返事が来た。

結論は、

「一旦見送ります」

だった。

そこまではいい。
 

しかし理由は、かなり複雑だった。


要約すると、

自分は本当にバイクが欲しいのか。

それとも私たちに喜んでもらいたいだけなのか。

自分のエゴで私たち家族に関わっているのではないか。

その気持ちが整理できなかったという。


そして、

「最初に連絡する以前の状態に戻してください」

という。
 

私はそれを読んで、ある意味では納得した。
 

本人自身も、

バイクを買うという話に、私や聖子や家族に対する感情を混ぜすぎてしまった

ことに気づいたのだろう。
 

悪意があったとは思わない。

自分で一度ブレーキを踏んだこと自体は、むしろ正しかったと思う。

 

ただし、

売る側としては、かなり疲れる。
 


私が欲しいのは「共感」ではなく、普通の買い手なのかもしれない

この数か月、遺品を整理していて分かった。


私はどうやら、

「聖子さんの思いを受け継ぎます!」

と涙ながらに語ってくれる人より、

「このバイク、格好いいですね。15万円なら買います」

と言って、

約束した日に15万円を持ってきて、

名義変更をきちんとして、

その後普通に乗ってくれる人の方が安心する。
 

ワーゲンバスでも同じだ。

「奥様の魂を受け継いで……」

と長文を書かれるより、


「状態を確認しました。私はこの金額で買いたいです」

と具体的な数字を出してくれる方が、よほど話が早い。

冷たいだろうか。
 

私はそうは思わない。

むしろ、それこそが誠実な取引だと思う。

 


営業資材を整理しながら、少しずつ「店の車」から次の時間へ向かう車へ変わっていく。

 

 


善意はありがたい。でも、善意では名義変更できない

人の悲しみに触れた時、

「何かしてあげたい」

と思う気持ちは分かる。

善意なのだと思う。
 

ただし、

善意では車検は通らない。

善意では修理代は払えない。

善意では銀行融資も下りない。

善意では商標の譲渡契約も成立しない。
 

そして、

善意だけでは、遺品を引き継ぐ責任は果たせない。

 

最後に必要なのは、

お金。

約束。

手続き。

維持。

そして行動だ。
 

地味だが、それが現実である。
 


「熱意」だけなら、誰でも書ける

今回のことで、私は人を見る基準が少し変わった。

「絶対に大切にします」

「奥様の思いを引き継ぎます」

「以前からファンでした」

「ぜひ自分に」
 

もちろん、そう言ってもらえることは嬉しい。

でも私はこれから、

その次を見ると思う。
 

こちらが質問したら、返事をするか。

金額を聞いたら、数字を出すか。

約束した日に遅刻せずに来るか。
 

分からないことを誤魔化さないか。

無理なら、

「無理です」

と言えるか。

買わないなら、

「買いません」

と言えるか。
 

結局、人の本気というのは、

一番派手な言葉ではなく、

一番地味な行動に出る。
 


売らない自由もある

私は最近、

「買いたい人がいるから売らなければ」

とは思わなくなった。

 

嫌なら売らない。

違和感があれば売らない。

条件が合わなければ売らない。
 

いくら熱いことを書かれても、

こちらが納得できなければ売らない。
 

聖子が残したものなのだから、

なおさら急ぐ必要はない。
 

金額だけがすべてではない。

しかし、

想いだけがすべてでもない。
 

その両方がちゃんと釣り合う人に渡したい。
 


 

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車内を整理したあと、山道を走った。
聖子の面影を消すためではなく、また新しく走り出すための大掃除だった。

 

 


熱い文章より、一つの約束

今後また、

「ぜひ引き継ぎたい」

という人が現れるだろう。
 

私は歓迎する。

ただし、

熱い手紙だけはいらない。
 

その物が本当に欲しいのか。

維持できるのか。

いくらなら買うのか。

そして最後まで責任を持てるのか。
 

そこを普通に話したい。

妻の遺品だからこそ、

同情で買ってほしくない。
 

恩を売るつもりで買ってほしくもない。

私たち家族の物語に参加するために買ってほしくもない。


ただ、

その店が好きだから。

その車が好きだから。

そのバイクに乗りたいから。
 

そんな単純な理由でいい。

むしろ、その方がずっと信用できる。
 


 

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少しずつ整理は進んでいる。

それでも、誰にどう引き継ぐかだけは、急がず決めていこうと思う。