妻を亡くしたあと、私は何を残し、何を手放し、どう生きていくのか | ロックベーシスト 西本圭介

ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

2026年6月15日。

妻の聖子(きよこ)が交通事故で亡くなってから、私の生活は大きく変わりました。

もうすぐ3か月になります。

今でも、聖子が亡くなったということを完全には理解できていません。


写真を見れば、普通に笑っています。

家の中には聖子が使っていた物があります。

服もあります。

バイクもあります。

「3丁目のたこボール」で使っていた道具もあります。

そして、ふとした瞬間に、

「これ、ついこの前まで使っていたよな」

と思います。

 

頭では分かっています。

でも、感覚が追いつかない。

たぶん、まだしばらくはそうなのだと思います。

 

悲しんでいるだけでは、何も終わってくれない

人が亡くなると、しばらく悲しむ時間が与えられる。

事故前の私は、どこかでそんなふうに思っていたのかもしれません。

実際には全く違いました。

人が一人亡くなると、膨大な実務が発生します。
 

相続。

銀行。

証券。

保険。

年金。

税金。

名義変更。

契約解除。

準確定申告。

消費税。

事業の廃業に伴う手続き。

店舗設備や什器の処分。

車やバイクの整理。

そして交通事故に関する警察、保険会社、弁護士とのやり取り。
 

一つ終わると、また別の封筒が届きます。

東京で仕事をしている間にも、広島の自宅には郵便物が届きます。

「重要書類を送りました」

と言われても私は東京にいる。

開封できない。

確認できない。

それだけでもかなりの精神的負担でした。

人ひとりの人生を閉じるというのは、とんでもない量の作業なのだと初めて知りました。

 

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私はいま、聖子の物を少しずつ整理しています

最近、バイクやワーゲンバスを売却しようとしていることについて、さまざまな意見を目にするようになりました。

中には、私のことを「金の亡者」という趣旨で書き込む人もいました。


ある方からは、批判的なコメントの最後に、

「もう少しゆっくり奥さんのことを考えてあげてください」

という言葉を書かれました。

正直、どういう意味だろうと思いました。


私は毎日、聖子のことを考えています。

考えない日はありません。

この家で生活していれば、至るところに聖子の面影があります。

聖子が育てていた花を枯らさないように気にかけています。

それでも枯れてしまった花を植木鉢から取り出して処分するとき、涙が出ることがあります。

衣類を洗濯して、きれいに畳んで、いったん引き出しへ戻す。


そこから、

「これは残す」

「これは子どもたちに聞く」

「これは誰かに使ってもらう」

「これは処分する」

と、一つずつ決めていきます。
 

そんな作業を毎日のようにしています。

外から言われるまでもなく、聖子のことを考えているに決まっています。

おそらく、その方が言いたかったのは、

「バイクやワーゲンバスを売ったりせず、しばらく何もせず静かに喪に服していた方がいい」

ということなのかもしれません。

でも、人の悲しみ方や、喪の過ごし方は一つではないと思っています。

私にとっては、物を整理することも、手続きを進めることも、生活環境を作り直すことも、すべて聖子の死と向き合う行為です。
 

「全部残しておけばいい」は、現実には簡単ではない

特にバイクについては、置いておけば保存できる物ではありません。
 

燃料は劣化します。

バッテリーは上がります。

タイヤも傷みます。

キャブレターも詰まります。

金属は錆びます。
 

聖子は生前、所有していたバイクを頻繁に走らせながら維持していました。

私もその手伝いをしていました。

しかし、それをこれから全部、一人で続けることは現実的ではありません。

だから、管理できない車両は少しずつ手放していきます。


自分の足として必要なバイクは、最終的には3台程度にしたいと思っています。


近場で使うもの。

少し遠くまで行くもの。

そして所有すること自体を楽しむもの。


それくらいなら、私一人でもきちんと面倒を見ることができます。


希少な車両については、室内ディスプレイとして残すことも考えています。


つまり、何でもかんでも処分するわけではありません。

残す物は残す。

でも、管理できない物は次の人へ託す。

その線引きを今、少しずつしています。


聖子の事故車について

事故に遭った聖子のバイクも、いずれ私のところへ戻ってくる予定です。

車両の状態はまだ正式には分かりません。


もし修復可能な状態なら、私は「事故前と全く同じ姿へ復元する」ことは考えていません。

これは先に書いておこうと思います。
 

事故前と同じ姿に戻すことは、私にとって事故そのものを強く思い出すことにもなるからです。

もちろん、聖子が乗っていた大切なバイクです。


でも、もし私が引き継ぐのであれば、

「お父さんが好きなように形を変えんさい」

と聖子なら言うだろうな、と私は思っています。
 

だから、修復可能なら復元ではなく、私なりの形へカスタムしていきます。


聖子のバイクだったという事実を消すのではありません。

むしろ、そのバイクを私が引き継ぎ、これから先も生きた車両として残したい。

そのための形を選びたいと思っています。
 

もし車両として復活させることが難しい状態だったとしても、いきなりスクラップにするつもりはありません。


使える部品があるのか。

部品を欲しい方がいるのか。

何か残せるものがあるのか。

それを確認してから判断します。

 

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ワーゲンバスについて

「3丁目のたこボール」のワーゲンバスも、売却する方向で動いています。

「圭介さんがそのまま乗ればいいじゃない」

と言ってくださる方もいます。

私自身、そう思うこともあります。

たまに乗るだけなら楽しいだろうな、と。


でも、私は考えます。

「乗れたらいいかも」

くらいの気持ちの人間が、この車を所有し続けることが本当に一番いいのだろうか。

ビンテージのワーゲンバスは、元気な個体が年々減っています。


価格も高騰しています。

もっと熱心な愛好家の方が所有して、整備して、レストアして、可愛がってくれるなら、その方が車にとって幸せではないかと思っています。

私が乗ることは最終手段です。
 

聖子をご存じの方で、本当に乗りたいという方がいらっしゃれば、一度ご相談ください。

少なくとも、私としては市場価格より現実的な条件で考えています。
 

加害者について、私が多くを語らない理由

事故の加害者について、私があまり発言していないことを不思議に思っている方もいるかもしれません。

腹が立たないわけではありません。

悔しくないわけでもありません。

「聖子を返してくれ」

と思うことだって当然あります。
 

ただ、現時点では刑事上の処分も確定していません。

事故について確認されている事実と、それに対してどのような刑事責任が問われるかは別の問題です。


それを判断するのは私ではありません。

司法です。

だから私は、感情に任せて加害者個人を公の場で糾弾することはしていません。

私がSNSで強い言葉を発したところで、司法判断が変わるわけではないでしょう。

むしろ、まだ決まっていないことについて迂闊な発言をすれば、別の問題を生む可能性もあります。

私はそこを冷静に考えています。

感情がないから書かないのではありません。

感情があるからこそ、書かないようにしています。

刑事手続きについては、長くなる可能性も覚悟しています。

 

一度、仕事へ戻ってみた

事故からしばらくして、私は東京の仕事へ一度戻りました。

「働いていた方が気が紛れるのではないか」

そんな気持ちも少しありました。

しかし、事故から3週間ほどで一週間復帰したとき、とても仕事ができる精神状態ではありませんでした。

仕事中にも、警察、保険会社、事故に関する連絡が入ります。

そのたびに校舎の外へ出て対応する。

電話が終わって席へ戻っても、すぐ仕事に頭を切り替えられません。

東京にいる間は、広島の自宅も気になります。

郵便物が届いていないか。

花は枯れていないか。

外猫のまる子はちゃんとご飯を食べているか。

防犯は大丈夫か。

そんなことがずっと頭にあります。

先々週にも一週間ほど東京へ戻り、仕事をしました。

やはり無理でした。

身体は東京にいても、頭の中はずっと広島にある。

広島のポストの中まで気になる。

花まで気になる。

家まで気になる。

その状態で仕事へ集中することは難しいと判断しました。

現在は長期休職を続けています。

給与はありません。

それでも今は、給料を捨ててでも事故後の整理に時間を使う方が、自分にとってはコストパフォーマンスが良いと思っています。

実際、休職して広島にいるようになってから、毎日少しずつ家を片付け、遺品を整理し、必要な手続きを終わらせることができるようになりました。

気持ちは少し軽くなりました。

 

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「聖子の家」から「これから私が暮らす家」へ

自宅も少しずつ変えていきます。

これまでこの家は、基本的に聖子が生活する家でした。

私は単身赴任で東京にいました。
 

物の配置も、生活導線も、基本的には聖子中心です。

これからは、私がここで暮らしていきます。

東京の荷物も戻すことになるでしょう。
 

掃除機も新しくしました。

エアコンも入れ替えました。


必要なら、今後リフォームもすると思います。

これは聖子の生活を消すという意味ではありません。

聖子の痕跡は、この家の中にいくらでも残っています。

でも、

「聖子が暮らしていた家」

だけではなく、

「これから私が暮らしていく家」

にもしていかなければなりません。

 

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ガレージも作り直していきます

ガレージの中も整理しています。

バイクを減らす。

工具を整理する。

管理する物を減らす。

今後、聖子のバイクが戻ってきたときに作業できる場所も作りたい。

ベースレッスンにも使える生活環境を作りたい。

自分の好きな物を飾る場所にもしたい。

私にとってこれは単なる片付けではありません。

これからの生活の舞台を作り直している感覚です。

 

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私だって、これから楽しみたい

ここは、はっきり書いておこうと思います。

私は悲しいです。

今でも聖子がいないことを信じられない時があります。

でも同時に、

私はこれからの人生を楽しみたいと思っています。

新しいライフスタイルも手に入れたい。

新しいこともしたい。

旅行にも行きたい。

バイクにも乗りたい。

音楽も続けたい。

ガレージも楽しみたい。
 

自分が本当に欲しいと思う車やバイクを買うことだってあるでしょう。


そういう行動が、今後また批判を生む可能性があることも承知しています。


「奥さんを亡くしたばかりなのに楽しそうだ」

「もう次のことを考えているのか」

「もっと静かにしていればいいのに」

そう思う人もいるかもしれません。


でも、私は聖子の死と一緒に自分の人生まで終わらせるつもりはありません。

笑う日もあります。

バイクを見てワクワクする日もあります。

美味しい物を食べて「うまい」と思う日もあります。

それと、聖子を愛していたことは矛盾しないと思っています。

聖子が生きていたら、

「お父さん、いつまで暗い顔しとるん」

くらい言われそうです。


私は、聖子を忘れて楽しむのではありません。

聖子との人生を抱えたまま、それでもこれからを楽しみたい。

そう思っています。

 

今日、RCCで放送されます

本日、2026年9月4日。

RCCで、私たち家族について取材していただいた番組の、2週にわたる放送の初回が放送されます。

正直なところ、どのように編集されているのか、私は知りません。

もしかすると、思っている以上に楽しそうに映っているかもしれません。

笑っている場面が多いかもしれません。

逆に、重い内容になっているかもしれません。

それは放送を見るまで分かりません。

ただ、一つ予想していることがあります。


放送を見た方の中から、

「不謹慎だ」

「楽しそうじゃないか」

「もっと静かに喪に服していればいい」

というような声が出る可能性です。


それでも仕方がないと思っています。

人間は、一日中泣いているわけではありません。

悲しみの中でも、ご飯を食べます。

人と話します。

笑うこともあります。

買い物にも行きます。

バイクを触ることもあります。

そして、未来のことも考えます。

その一部分だけを映像で見た人には、それがすべてに見えるかもしれません。

でも、実際の生活はもっと複雑です。

笑っている時間と、突然涙が出る時間が同じ一日の中にあります。

私は今、その両方を生きています。

 

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私自身の終活でもある

今回、聖子の遺品を整理していて強く思うことがあります。

もし明日、私が死んだらどうなるのか。

子どもたちは、

大量のバイク。

車。

楽器。

工具。

趣味の物。

それらを前にして、

「これ、どうするの?」

となるでしょう。
 

私は今、聖子の物を整理する大変さを身をもって知っています。

だから子どもたちには、同じことをさせたくありません。

今回の整理は、聖子の遺品整理であると同時に、私自身の終活でもあります。


まだ56歳です。

死ぬ準備をするという意味ではありません。

これからの人生で本当に必要な物だけを残す。

管理できる量にする。

そして、自分の時間を取り戻す。

そういう意味での終活です。
 

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SNSで意見を言われることについて

私の行動について、いろいろな考え方があることは理解しています。

「なぜ売るのか」

「なぜ残さないのか」

「自分ならこうする」

と思われることもあるでしょう。
 

それは構いません。

もし本当に私の考えを聞きたいのであれば、きちんとアポイントをいただければ、直接お話しすることもできます。

また、ご自身のSNSで、

「私は西本のやり方についてこう思う」

と公に意見を述べられるのであれば、それも一つの方法だと思います。
 

私の名前を書いていただいても構いません。

聖子について触れていただいても構いません。
 

公の場で異議を示されるのであれば、必要に応じて私も公の場で自分の考えを説明します。

ただし、まったく面識のない方が、偽名や匿名で突然私の投稿欄へ現れ、侮辱的な言葉だけを書き残すようなものについては、今後も削除・ブロックします。
 

議論を拒否しているわけではありません。

ただ、議論をするなら、同じ土俵に立ってほしい。

名前も立場も明らかにせず、他人の場所へ突然入ってきて石だけ投げて去る。

それを私は議論とは思っていません。

 

なぜ私はこんなに文章を書くのか

最後に、これも書いておきたいと思います。

私は、誰かに共感してほしいから毎日のように投稿しているわけではありません。

もちろん、温かいコメントをいただけば嬉しいです。

励ましていただけばありがたいです。
 

でも、それが投稿の第一目的ではありません。

これは、私の日記です。

事故の直後に何を考えていたのか。

一か月後に何を考えていたのか。

三か月後に何を手放したのか。

何を残そうとしたのか。

仕事についてどう悩んでいたのか。

聖子のことをどんなふうに思っていたのか。

自分の心がどう変わっていったのか。

それを残しています。

「そんなものは誰も見ない日記帳に書けばいい」

という方もいるでしょう。

それも一つの考え方です。
 

でも私は現代に生きています。

家族も遠方に住んでいます。

私が今日何をしているのか。

元気なのか。

何を考えているのか。

SNSを見ることで分かります。

それだけでも、公に書く意味はあると思っています。

そして、私が経験していることが、いつか誰かの役に立つかもしれません。

突然家族を亡くしたとき、どんな手続きがあるのか。

遺品整理とはどんなものなのか。

仕事を休むという選択肢があること。

家を作り直していくこと。

物を残すことも、手放すことも供養になり得ること。

悲しみながら楽しんでもいいこと。

そういうことのどれか一つでも、誰かの生活のヒントになれば、それで十分です。
 

これから、どう生きるのか

実は、これが今一番分からないことです。

東京の仕事へ復帰できるのか。

復帰したとして、広島の自宅を長期間空ける生活を再び続けることが本当に良いのか。


西本家を守るという意味で、これからどこを生活の中心にするのか。

広島で、自分に合う仕事がすぐに見つかる保証もありません。

今の勤務先のグループに広島校があれば、私はすぐ異動願いを出したいくらいです。

でも、それはできません。
 

今は、給料を失ってでも事故後の整理に時間を使う方が、自分にとって価値があると思っています。

でも半年後、一年後はどうするのか。

まだ答えはありません。
 

ただ、一つだけ決めています。

2026年6月15日で、聖子の人生は終わりました。

でも、私の人生までそこで止めるつもりはありません。

聖子を忘れるという意味ではありません。

聖子との人生を抱えたまま、私はこの先へ進んでいきます。

何を残すのか。

何を手放すのか。

どこで暮らすのか。

何を仕事にするのか。

どんなバイクに乗るのか。

どんな家にするのか。

そして、どう楽しんで生きるのか。

まだ全部途中です。

だから最近の私の投稿は、その途中経過です。
 

物を売ったり。

部屋を片付けたり。

新しい設備を入れたり。

休職したり。

新しい乗り物を見てワクワクしたり。

将来について悩んだり。

突然泣いたり。

笑ったり。
 

外から見ると、脈絡がないように見えるかもしれません。

でも私の中では、全部一つにつながっています。

聖子がいなくなった世界で、自分の生活をもう一度作り直している。


そして、その先では、

私はもう一度、自分の人生を楽しみたい。

今は、その途中です。