善意の言葉が、時に刃になること | ロックベーシスト 西本圭介

ロックベーシスト 西本圭介

テクニカルベーシストとしてベース・マガジンでも紹介 / ディープ・パープルのグレン・ヒューズ達と共にヨーロッパ11カ国を周り、また巨匠ビリー・シーンと共にKoRnのドラマー[レイ・ルジアー]のリズム隊として登場。

大切な人を失ったあと、世の中にはたくさんの優しい言葉が届く。

「あの人はみんなに愛されていた」
「自分も支えられていた」
「忘れない」
「力になりたかった」

「元気ですか」
「大丈夫ですか」

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そのどれもが、言った人にとっては偽りのない気持ちなのだと思う。

誰かを傷つけようとして口にした言葉ではないことも、きっと多い。
いや、そうに違いない。
 

けれど、遺された側には、言葉をそのまま受け取れない日がある。

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たとえば公開の場で、「あなたこそが、あの人をいちばん支えていた」と、家族以外の誰かを持ち上げる言葉がSNS上で交わされたことがある。

言われた側が謙遜したつもりでも、そのやり取りを目にした夫や子ども、親族には、家族がともに過ごしてきた時間が軽く扱われたように感じられるかもしれない。
 

誰かが自分の思い出を大きく語るほど、遺族は「自分たちはどこにいるのだろう」と、言葉にできない孤独を感じることがある。


善意は、悪意よりも難しい。

 

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悪意なら距離を取れる。
怒ることもできる。

けれど善意には、「ありがたく受け取らなければならない」という見えない圧力がある。

だから傷ついても、「こんなふうに感じる自分が悪いのかもしれない」と、自分の心を責めてしまう。
 

私は今、その善意を十分に受け止められるほど強くない。
 

相続や手続き、これからの生活、仕事のこと。


目の前には、感情だけでは進められない現実が積み重なっている。

その中で、公開された言葉や、何気ない投稿に触れるたび、心がざわつき、そこに込められた意味を考え続けてしまう。

これは、誰かを悪者にしたいという話ではない。

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ただ、誰かを想う言葉を公にする前に、その人には家族がいて、子どもがいて、言葉を受け取る遺族がいることを、ほんの少しだけ思い出してほしい。
 

故人との思い出は、誰か一人のものではない。

だからこそ、それを語るときには、残された人の静かな時間を奪わない優しさも必要なのだと思う。
 

 

今の私は、励ましよりも、少しの静けさを必要としています。
 

あなたがスマホを手にとって何か投稿する前に本当にそれが遺族にとって必要か冷静に考えることが必要かもしれません。

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