研究室に配属されたときのこと(祈り) | むかし日記

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僕の古い日記です。

僕は無事に大学3年生までに取るべき単位を取得し,めでたく4年生に進級した。
僕が配属された研究室は,希望していた理論物理の研究室であった。

理論物理の研究室は,例年,ブレインと称される成績上位者が配属されているという話であったが,僕らの学年ではあまり人気がなく,希望すれば配属されたようだ。
配属されたのは,留年生1名を入れて合計7名であった。
研究室は3階にあり,僕ら7人は奥にある教授室に通された。
教授は白髪で少し小太りの老人であった。
その老人は,ふかふかの椅子に座り,葉巻を吸っていた。
そして,僕らは一人一人は,自己紹介をさせられた。
周りには,助教授一人と助手二人が神妙な面持ちで控えていた。

僕は途中入学したことを告げると,教授は僕の話に興味を示した。
「就職する道もあったのに,なぜ大学に進学したのか?」
という面接試験のような質問を受けた。
「僕は数学が好きで,量子力学に興味を持ったので進学しました。」
と答えた。
教授は,
「君の学校では,数学はどんな教え方しとったんや?」
と質問した。
僕は,
「小学校のときのような数学ドリルがあって,微分せよ,不定積分せよ,定積分せよ,といった問題が各300問ほどあって,そういうのをひたすら解くような勉強です。」
と答えると,教授は,
「まるで発展途上国のような教育のやり方やな。発展途上国は,とにかく技術者を早急に量産する必要があるから,算術計算を身につけさせるためにひたすら問題集を解かせるんだ」
「そういう教育が,普通に大学受験して入った学生より算術ができるということか」
と感想を述べた。
教授の口ぶりから,どうやら,僕の数学解析の成績を知っているようであった。
そして,
「僕も算術計算は得意で,理学部の数学科に行ったが,あまりにも抽象的なので,嫌気をさして,理学部物理に行き直したんや」
と言っていた。
教授は工学部でやるような数学解析は,本当の意味で数学ではなく,ただの算術計算だ言っていた。
確かに,数学科でやるような数論や幾何学などと比べると,ほとんど理論的思考をともなわず,規則性だけを使って解を求めているだけだからであろう。
高校時代に数学が得意であったほとんど人間が,大学に入ると数学嫌いになるのだから,教授の言う算術計算すらできない理系が多いということだ。

帝国大学時代,つまり戦時中に数学科を卒業して,物理学科に行き直すってどんだけ,お金持ちなんやと僕は驚いた。
のちに,教授はお坊さんの息子で,お金で苦労したことがないと語っていたことを知って,納得した。

7人の面談が終わると,各自が指導を受ける教官が告げられた。
僕はカサイという助教授に付くことになった。
この助教授と後年,激しい確執をくり広げることになるのだが,そのときは露知らずであった。

次いで,研究の実務的な面倒を見てくれる博士課程と修士課程の先輩たちを紹介された。
そして,僕がこれから研究生活をおくる座席に案内された。
僕の座席は他の人と違い,2階の計算機室の隣にあるナカニシ助手の部屋であった。
ずんぐり太ってメガネをかけたナカニシさんは,一見気難しい人のように見えた。

その後,研究室の先輩との挨拶があった。
M1とM2がそれぞれ3人ずつ,D1が1人,D3がチェコからの留学生を入れて2人いた。
D1のミズノさんが僕とサワダのお世話係ということで,研究のことを相談するように言われた。

M1とM2が3人ずつということなので,院試でのこの研究室の定員が3名であると察しが付いた。
僕らB4が7人なので,全員がこの研究室を希望して院試を受けると,4人が落ちるということかと思った。

とりあえず,これから3年間の研究室生活の始まりであった。