僕は入学のため,3月下旬に大阪に出てきた。
住むことになったのは,豊津駅から歩いて10分くらいのところにあるボロアパートで,部屋代は5万円であった。
親の仕事の知り合いの息子が,吹田の大学院を修了して出ていくため,彼の後に入ることになった部屋だ。
そのアパートは,これまで住んでいた高校の寮とは大違いで,お風呂がなく,洗面台もなく,トイレの小さい手洗い場で歯磨きをするという感じだった。
寮のように3食750円というわけにはいかず,アパートから少し遠いが,豊津駅の隣駅の関大前駅から関大に続く飲食店で夕食を食べることになった。
お風呂はアパートから自転車で数分の所にあったが,毎日,風呂桶を持って風呂屋に行くのが結構,苦痛だった。
アパートの入り口は急な階段になっており,雨の日など自転車を上げ下げするのにも一苦労であった。
それでも,大阪に出てきた喜びで,そんな不便さはあまり苦にならなかった。
4月になって,大学3年生として通うことになった。
大学の学科ビルに入ると,何やら人だかりができていて,みんなしきりとメモを取っていた。
どうやら,掲示板に休講や講義の教室変更,試験についての情報が貼り出されており,それらをメモしているようだった。
僕はメモを取っていた同じ3年生らしき人に話しかけたが,無視された。
何となくイヤな感じだった。
どうやら,3年生にもなると派閥らしきものができていて,いくつかのグループで休憩時間に雑談をしているようであった。
知り合いのいない僕はそのグループを眺めるだけだった。
光学の講義で,光の光路を計算しなければならない宿題が出された。
こういう問題はプログラムを組めば,一撃で答えが出ることがわかった。
ところが,僕はパソコンを実家に置いてあったため,仕方なく,大学生協で2万円のポケコンを買った。
ポケコンはBASICでプログラムが組めるためだ。
さっそく,ポケコンで光路を計算するプログラムを組んで,結果を出した。
ポケコンだけでは結果を印刷することができなかったので,答えだけわかった状態で講義に出た。
クラスの中で,パソコンで計算した者がいて,みんなにその結果を披露していた。
彼が,僕がポケコンをいじくっているのを見て,話しかけてきた。
そして,僕が作った宿題を解くためのBASICのプログラムを見た。
「こういうの,できるんや」
と驚いていたことをいまも覚えている。
僕はその日の講義が終わって下宿に帰ると,試験勉強に明け暮れた。
それは,3年生で2年生と3年生に取るべき18科目の試験に合格,つまりは”可”以上の評価を受けなければならないためである。
試験勉強をしていると,部屋のドアを叩く音がした。
ドアを開けると,若い男女がいた。
真光の宗教の勧誘であった。
どうやら関大のサークルに,真光のサークルがあり,勧誘に来ているとのことだった。
体よく追い払ったが,またドアを叩く音がした。
今度は若い女子が,サークルの勧誘であるという。
部屋に上がらせて欲しいということで,その女子と後輩らしき男子の2人が部屋に入ってきた。
今度はキリスト教のサークル勧誘であった。
男子学生の方が,僕の机の上の教科書や学生証を見て,関大の学生でないと気づいた。
「関大生じゃなく,**大の人でしたか」
と急におじけづいた口調になり,
「トップ大学にも同じ系列サークルがあるので,そちらにでも入ってもらえればいいです」
と言って,彼らはそそくさと帰っていった。
すると,またドアを叩く音がした。
今度はドスの効いたおっさんの声であった。
出ると,ヤクザのような男が立っていた。
朝日新聞の勧誘だという。
そのおっさんはズケズケと部屋に入ってきて,
「にいちゃん,ここにハンコついてくれや!」
と脅してきた。
いまは勉強中なので,数日後に返事するということでそのおっさんを追い返した。
数日後,今度は同じような別のヤクザ風の男が部屋にやってきた。
今度は読売新聞の勧誘だという。
結局,読売新聞のヤクザに押し切られ,来月から3か月だけ読売新聞を取る契約にハンコを押した。
このようなサークルの勧誘や新聞の押し売りに嫌気がさした僕は,大阪に来て1週間もしないうちに引っ越しをする決心をした。
いつも北千里の駅まで一緒に帰る同級生がいた。
彼は長岡京から来ていたおとなしめの男で,彼に下宿のことについて相談した。
すると,彼は,
「よく知らないけど,みんな吹田じゃなくて,学校の北側にある箕面に住んでる人が多いみたいだよ」
「大学の本部に行けば,部屋を紹介してくれるって聞いたことあるよ」
と教えてくれた。
僕はさっそく,翌日,講義が終わった後,大学の本部に行った。
レーザー研のビルを抜けて,少し行ったところにあるレンガ色のビルが本部であった。
受付のお姉さんに,
「あの~下宿とか紹介してくれるって聞いたんですけど・・・」
と聞いてみた。
すると,彼女は,
「もう4月になっているから,ほとんどいい部屋は埋まってしまってるけど・・・」
といいながら,下宿先がつづられている分厚いキングファイルを見せてくれた。
僕は,教えてもらった箕面の小野原地区で部屋を探した。
すると,一番安い下宿で2万3千円の部屋が残っていた。
いま住んでる部屋の半額以下で,お風呂と洗面台付きである。
僕はここを見てみたいですと,お姉さんに申し出た。
すると,彼女はすぐに部屋の大家に電話してくれて,地図のコピーをくれた。
夕方5時くらいになっていたので,少し薄暗かったが,一刻も早くいまの部屋を出たかったので,その日に箕面の部屋に行ってみた。
すると,30歳くらいのお姉さん,多分,大家の娘らしき女性がアパートの前で待っていてくれた。
アパートの入り口は,履物が散乱しており,お世辞にもきれいな所ではなかった。
部屋に案内されると,窓はあるが,隣の家の塀によって光が遮られていた。
洗濯機は1回100円必要とのことで,ガスコンロは無料ということだった。
お風呂場は結構広かった。
洗濯物はアパートの隣の物置の2階に干すとのことであった。
彼女は,
「どうしますか?迷っているならキープでもいいですよ」
と尋ねてきた。僕は,
「ここでいいです」
と答えた。すると,大家が住んでいる隣の大きな屋敷の応接間に通された。
大家らしき年老いたおじいさんが出てきた。
大家と少し話した後,契約書にハンコを押した。
次は引っ越しであるが,引っ越し業者のことは全くわからなかった。
すると,鹿児島から同じように編入していたクボ君が,赤帽でバイトしていて,
「ここの番号に電話して,クボからの紹介と言えば,割引してくれるから頼んでみたら」
と言って,赤帽を紹介してくれた。
早速,赤帽に電話した。
電話口から,
「この番号をどこで聞いたんや?」
といぶかし気な声がしたが,割引値段で引き受けてくれた。
結局,読売新聞と契約した3日後に吹田のアパートを引き払うことになった。
僕は赤帽のトラックが来た引っ越しの当日に,吹田のアパートの大家のおばちゃんに出ていくことを告げた。
すると,おばちゃんは烈火のごとく怒り出した。
しかし,もうすでに荷物はトラックに積んだ後であり,僕はそのまま助手席に乗って,吹田のアパートを後にした。
いまから考えると,賃貸の退去は普通,1か月前という契約であったのに,1か月分の家賃を踏み倒したことになるのだろう。
でも,こんなボロアパートで朝日新聞や読売新聞のヤクザに勉強を邪魔されていた僕は,全く罪悪感などなかった。
いや,むしろ大阪はひどいところだという印象を強く持ち,高校時代の大阪の連中のことも相まって,大阪に対する敵意を持った。
もちろん,朝日新聞と読売新聞に対しても絶対許さないという怒りを持った。
特にすべての事の発端は,親が仕事上の知り合いの人の子供が住んでいた部屋を下宿先に決めたことだった。
僕はそのことで相当,親を恨んだ。
これ以降,親の言うことは一切聞きいれないと決めた。
大阪に来て学んだことは,
・都会のことを全く理解していない親の紹介ほど当てにならないものはない
・大阪の新聞販売員はヤクザまがいの連中である
・いかがわしい宗教は大学のサークルにはびこっている
・同級生や大学こそ頼れる存在だ
ということだった。
わずか2週間の豊津での生活を経て,箕面での4年間の下宿生活が始まったのである。