大学編入試験も終わった頃,僕は学科主任の教授に呼び出された。
その教授から,
「入学する大学が決まったんなら,行かない大学に入学辞退届を書かなあかんな」
「辞退届もなしに来なかったら,次の年から取ってくれなくなるからな」
と言われた。
僕は入学辞退届のことなんて全く思いもしなかったので,少し驚いた。
先に受験した宇部の大学と東京の工科大学の2校に
「私は一身上の理由で,就職することになりましたので,御校への入学を辞退いたします。」
と簡単な文章で入学辞退届を書いて,郵送した。
僕は3年次編入について気になることがあった。
それは大学の単位についてのことだ。
僕は大学の1年と2年に行っていないので,3年次に編入した後,2年分の単位がどういう扱いになるのか気になっていた。
卒業まじかの2月頃に,親が仕事している先の子供が吹田の大学の電気工学科に在籍しているとのことで,一度,その人を介して入学する前に専攻する学科の先生を尋ね,単位のことを聞くことにした。
待ち合わせをした人は,顔が浅黒く,お世辞にも賢こそうには見えなかった。
案の定,大学院には行ってるもののバイトに明け暮れていると話していた。
編入学後に,三国ヶ丘から来ていたツクリミチに聞いたことだが,電気工学科は電気系の学科の中でもアホが配属されることで有名で,カンニングの達人ばかりのどうしようもない連中がいる学科という話だった。
専攻する学科の建物は電気工学科の隣の4階建ての古臭いビルであった。
教務係で,学科主任の教授の部屋を聞くと,3階だと言う。
そして僕らは教授室に向かった。
教授室の扉を開けると,2次試験の面接で僕に質問した面接官がいた。
その面接官が学科主任の教授であった。
付き添いの大学院生は,自分は教授と会うのは恐れ多いと言い,教授室には入らず,外で待っていた。
教授は,
「いらっしゃい」
とにこやかに僕を迎えてくれた。
「この学校の学生は全然,講義に出ないからね。まじめに講義に出てくれたら,ちゃんと卒業できるようにします」
と切り出した。
僕が単位にことについて聞くと,その場で単位の読み替えをしてくれることになった。
つまりは,僕の高校の単位と似た名前の専攻する学科の単位を”認定”という形で取得したことにしてくれるという話だった。
例えば,高校の”熱化学”という科目は,”熱力学”の単位と読み替えるといった具合である。
僕は化学系でだったので,なかなか専攻する学科の履修単位と似た名前がなかった。
すると,教授から単位の読み替えについて取引をもちかけられた。
数学解析は全部,大学で取得して欲しい,その代わりに専門科目のいくつかを認定しようというものだった。
これは僕にとって,願ってもない提案であった。
数学解析の大学レベルの内容なら,いまこの場で試験問題を出されて,ほぼ全問解ける自信があったからだ。
それでも3年次に編入学したときには,取得すべき単位の合計科目数が18にものぼった。
つまり,前期後期,それぞれ18科目の試験を受けなければならないということだ。
僕は,
「18科目もあるので,試験日が重なることはないでしょうか?」
と尋ねた。すると,教授は,
「君がすべて試験を受けられるように,試験のスケジュールを組むようにします。」
と教授は答えた。
「講義が重なって受講できない場合は,試験だけ受けることでも問題ないですか?」
と尋ねると,
「そのことについても,配慮するように先生方に言っておきます。」
という答えだった。
教授室を出て,別れ際に,
「とにかく,2年間で卒業できるようにするので,真面目に大学に来て欲しい。」
と教授から念押しされた。
付き添いの大学院生もバイトに明け暮れているようだし,よっぽど,ここの大学の学生は講義に出ないサボりが多いのだなという印象を持った。
とにかく,2年間で卒業できるという確約をもらった僕は,内心ホッとした。
実はこの密室で取引のようにおこなわれた単位の読み替えは非常に重要な意味を持つことを後で知った。
というのも,京都の大学,名古屋の大学,大阪のキソコウは,この単位の読み替えに寛容ではなく,3年次に編入したとしても,4年生に進級するための単位が足らず,実質,3年生で留年することになるという話であった。
つまりは,吹田の大学に入学した僕らより1年卒業が遅れることになる。
そんなことを全く知らずに,量子力学の理論を専門にしている教授が唯一いるという理由で,吹田の大学を受験した僕は,非常についていたわけだ。
あとは下宿先である。
その付き添えの人がちょうど大学院を修了するので,親の勧めで,彼のあとに入ることになった。
これがのちに大問題を引き起こすとは,そのときは露知らずであった。
結局,僕の化学系で大学進学者は,御坊市出身のカンニングの女と大阪泉南市のムラタの2名が武蔵小金井の工科大学,大阪岸和田市出身のジョウヤマと和歌山市出身のモリの2名が豊橋の大学,御坊市出身の2名が長岡の大学,そして和歌山のド田舎出身の僕が吹田の大学であった。
大学進学者は,地元の御坊市が3名,大阪が2名,和歌山市が1名,そして和歌山のド田舎出身の僕と全員で7名であった。
就職者は,5年生27名なのでたった20名である。
そのうち,化学メーカに行くことを拒絶して,公務員が2名,地元の漁業組合が1名,ライブハウスが1名なので,実質の就職者は16名である。
何が言いたいかというと,この学校は,入学定員が40名で就職100 %とうたってはいるが,留年生や退学者が多くて,入学者の半数以下しか就職していないという事実だ。このあたりの情報は,受験生などには隠蔽されている。
話は逸れたが,寮では,いつもは挨拶も交わさない大阪の連中が,すれ違いざまに,
「4月から吹田の大学生かあ。ええな」
とうらやむ言葉を投げかけられた。
化学系の先生は,僕の進学について何も言ってこなかった。
化学を捨てて,物理に行く人間に贈る言葉などないということだろう。
一般教養の英語と国語の先生は,廊下ですれ違いざまに,
「大学合格おめでとう」
と言ってくれた。
5年間住んだ土地を離れ,いよいよ新しい土地での生活が始まるうれしさと不安が入り混じった時間が過ぎて行った。