暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ ブログ -13ページ目

暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ ブログ

一級建築士が、いい暮らしを創るキュレーターとして語る。そして、新しい市場と再生のためにマーケティングを追求する。

「暮らしつくりプロデューサー」一級建築士の
 今井カツノリです。


昨日、一昨日とはキネシオロジーについて、触れた2日間
でした。

といっても、キネシオロジーの先生と時間を共にした
ということなんですけど。

最近、そのキネシオロジーを使った、機能回復術で先生に
施術してもらってから、自立体操をして、とっても身体の
調整ができているので、いままで、よくなっていた頭痛が
すっかり消えているんですね。

そのせいあってか、急速にその機能回復学に興味をもって
きています。

自分自身の身体のケアにずっと使っていけたらいいなって
ほんとに思いながら、自分の健康にもっと、向き合って、
生活もして行きたいと思っている最近です。

仕事でも、やっぱり頭痛がひどいと実際、つかいもんに
ならない自分がいて、その度に、頭痛薬を飲んでいたわけ
ですが、もし、これが飲まずにいれるのなら、とっても
ハッピーなわけです。


首痛や肩こりから頭痛を持っている人も多いのではないかと
思いながら、頭痛の無い快適な生活を送るためにも、
このキネシオロジーと付き合っていければなと思います。
暮らしつくりプロデューサー一級建築士 今井カツノリです。


今年の1大ニュースと言えば、「2020年東京オリンピック決定」

という話題かもしれますせんね。



そういえば今年は、ある意味コンセプト元年 という年でも

あるように思います。


その東京オリンピックこそは、コンセプトのかたまりでも

ありますし、テーマとコンセプトは同義語としてとらえては

いますが、これからは、ますますコンセプト重視の企業ビジネス

になっていくだろうと思います。


最初は、こんなに市場が出来るとは想像していなかった、

シェアハウスですが、今や東京圏だけで2万戸に迫る勢いという

から凄いですね。 個人、中小から大手まで参入している市場で、

もはや、競争の時代になっています。


資本が強いところが、今後はシェアハウスのシェアを伸ばして

いくんでしょうね(^^ゞ


そして、今年になって、今までシェアハウスというのは、個人

の住まいでしかなかったものが、企業寮もシェアハウスっぽく

なってきているという。


東京で新築で計画された「月島荘」は、いまや度々ニュースで

とりあげられるような話題性のあるものになっていますが、



企業というクラスターのなかで、個人間どうしが共有して

住むという、企業単位のシェアハウスみたいな。


そこでは、色々な催しや異業種交流が行われて、活性化を

目指していくらしいです。


個人の生活も仕事の延長線上な感じで、プライベートなところ

は自由に、ゆっくりさせてよ って意見もあると思いますが、


いまや、企業ありきの社会人というより、個人が社会人として

パソナりティを発揮していくことが企業にとってもプラスに

なっていく様な時代になっているので、シェア型企業寮ってのも

これからどんどん出てくると思いますね。


私は、これを「ビジネスマンション」「ビジネスアパートメント」

と呼んでいますが、新しい住まいの提案として、広めて行きたい

と思います。

暮らしつくりプロデューサーの一級建築士 今井カツノリです。


はや、建築業界で働いて、20数年。色々な建築の仕事に関わって

きました。


現場でドロドロになるところから始まって、耐震偽装の渦中にも

ほうりこまれ、デザインにも関心をもち、見よう見まねではじめた

意匠設計。お客様と巡り合って目覚めた家つくり。


自分よりも出来る人がたくさんいる中で、もっと多くのお客様に

住まいを建築として捉えてもらおうと住宅営業に関する仕事も

する中、色々なお客様や取引先様と接するなかで、ハコだけに

携わっていてはいけないという思いが日増しに強くなってきて

いたときに、運よく、カフェ運営をする機会に恵まれ、



建築とは違う観点で、お客様とお話する機会が増えました。

良い建築を提供するのは、私たちの当然の責務であり、それが

生業なわけですが、家つくりで言うと、お客様のハコつくりは

暮らしのスタートな訳です。


でも、私たちはそれがゴールになってしまっている。

今まで、お客様の生活はお客様のものだし、自由にしてもらって

という、踏み込まれない、踏み込もうとしない世界でした。

プライベートな部分はもちろんそうですが、

日常の生活の中での、サービス提供などは、購買という行為で、

お客様は新たな消費活動を行っているので、暮らしが良くなるので

あれば、私たちはサービスのつながりのなかで、お客様の最適化

に貢献できれば、自分たちも、お客様と建築のゴールのあとも

何かお役に立つことが出来るはずだと考えました。



一級建築士の今井カツノリという立場からは、よく、建築、住宅

だけでも極めるのは難しいいんだから、もっと、よそ見しないで

建築を充実させていくことに頑張って行けばいいんじゃないのって

指摘を受けます。


私は考え方だと思ってます。


それは、私が色々な立場で事業に携わってきたから、あまり固執した

考えを持たないということもあるのでしょうが、要はお客様のために

何ができるかという事を考えた結果の私自身の考え方なんだなと

思いました。


とりとめもなく書きましたが、建築設計のプロフェッショナルに

正解は無いと思うこのような自分があってもいいのではないかと

いうことで、おいておきます。


また、時間がある時に、考え方の話をしたいと思います。

よろしくお願いします。


今井カツノリ

とても久しぶりのブログです。
この春に自分史を書いて、ほんとに終わってしまった(^^;;

じゃあいけないので、また書き込むことにしようと
思います。


昨日は、とても肩こりがひどく、首痛もあり、頭痛につながり
割と最悪な状況でしたが、ある、フィジカルキネシオロジーの
先生に施術をしてもらったところ、その痛みが見事に消えて
しまいました!

慢性の場合は、またすぐに戻るらしいので、毎日定期的に
教えてもらった運動をすることで、とても改善されるとのこと。

そのおかげで、とても身体が楽になりました~


また、頑張っていけるかもね!


だいぶ色々なこと、中途半端にしてきましたが、これから、
一から出直しで、やっていこうと思います。

こんばんわ  暮らしつくりプロデューサーの


今井カツノリです。



ようやく、自分自身を振り返ることによって、次の新しい


じぶんを創りだすための一歩が近づいてきました。



ほとんど、自己満足できてる風ですが、でも、じぶんを


振り返ることはとても大事なんですね。




じぶん史は、(その5)くらいまでにしておこうと思います。



エピローグからプロローグへ。一旦終わりがあって、次が


あります。そのじぶん史を早く終わらせて次にいこうと


思います。




で前回の続きですが、社会人の会社の中で設計というポジションを何年か


過ごすことになるんですが、勤めていた会社の経営状況が非常に悪くなり、


社内でも早期退職優遇制度で45歳以上の方が辞めて行った時から、どん


どん独立する人や転職する人が増えました。


私も最初は辞めるつもりは全然なかったのに、会社が自分の思うところと


違った雰囲気になってきたので、この先自分も35歳になったら独立しようと


思い、業務をこなしながら準備をするようになりました。




もちろん、普通に仕事をしながらですが、何をしていたかというと、資格を


とりにかかったんですね。 一級建築士や一級建築施工管理技士はすでに


取っていたので、宅建と土地家屋調査士の資格をがんばって取得


しました。


独立して資格でメシを食おうと思ってたんですね。


宅建は独学でなんとかなりましたが、さすがに調査士は学校に通い


ました。一発で合格しようと思って、夜中と土日を使い、1年かけて試験勉強


をしました。




この時の合格は、努力した甲斐あって、大学に合格したときよりも嬉し


かったですね。




そんなこんなで、会社を辞める時が来たんですが、どうも気が弱いというか


独立して「建築設計事務所」を始めるとは言えませんで、親の会社を継ぐ


という理由で退職しました。 まあ、実際親の会社(すでに不動産管理業 


大家業でしたが)の代表として務めることになりましたけどね。




でも、実際には、自分自身を試したい、チャレンジして起業というかたちで


新しいビジネスを模索していたので、1年くらいはほとんど仕事がなかった


んですね。このままではあかんと思って、たまたま元の会社の上司に


会った事から、いままでの建築構造設計の実務を手伝うことになりました。



おかげで、仕事は定期的に継続してさせてもらい、収入もそこそこに


なったのですが、私の思いとは裏腹に新ビジネスにチャレンジできない


日々が続いて、3~4年はモヤモヤしていました。




これやったら、会社にいた時と変わらん! このままじゃあ、後悔すること


なるなと思って、ちょうど仕事の外注依頼が減ったのと同時に違うスタイル


を模索しました。



そんな時に、いまの「イーズビル」を新築する機会に恵まれ、構造設計と


意匠設計とデザインを同時に学びながらも、実践して次のステップアップ


を図っていくことになりました。



デザインの勉強も、させてもらいながら、じぶんところの建物で実際に


形にする機会に恵まれたことは、とても運が良かったのと、恵まれていた


と思います。ほんとに、両親に感謝しなければと思いました。



それが、ちょうど40歳の時で、青年会議所を9年間活動し、卒業とともに


私自身の新しい旅立ちが始まりました。 「Es style イーズスタイル」


です。



これから多くの失敗と過信が続く苦難と多くの体験、喜びと苦労の8年の


ステージに入るんですね。



このステージは、じぶん史の中では、学生までを第一ステップとしたら


企業サラリーマン時代を第二ステップ、独立して1人で業務をこなしていた


第三ステップ、40歳からの「ライフスタイルの提案」を模索していた


第四ステップということになりますね。



次は、その第四ステップについて、この続きで。



今井カツノリ。