暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ ブログ -14ページ目

暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ ブログ

一級建築士が、いい暮らしを創るキュレーターとして語る。そして、新しい市場と再生のためにマーケティングを追求する。

こんばんわ 暮らしつくりプロデューサーの


今井カツノリです。



じぶん史をここんところ、書き綴りますので、お付き合い頂けるかた、


ありがとうございます(^^ゞ



大学に合格出来たのですが、高校の友人からは、「都落ちか!」と言われる始末。




自分では、そんなつもりは全くないのですが、廻りは浪人してまでも国公立大学、


それも京大、阪大などを志望する人たちばっかりだったので、正直つらかった


こともありました。



でも、自分は自分で選んだ道だから、しっかりと学業に励もうと、いざ北陸は


金沢へ!




田舎ではありましたが、それなりに落ち着いた雰囲気のある街。


高校のスポーツクラブで体を壊してしまったので、大学では体育会系は


諦め、文化系の軽音楽クラブに入り、バンド活動をしました。



練習は夜中にあるんですね。そのクラブは。防音全くないので、部室での


練習になるんですが、お城の中が大学だったので、夜はいくら音を


出してもOKでした。



そんなこんなのキャンパスライフを謳歌しながら、アッという間の4年間の


大学生活でした。



でも、田舎に行ったものだから、高校の同級生たちとは、夏休みや


春休みにたまに会ったのですが、すっかり田舎モンになっていた僕は、


話題も合わずに、なぜか孤独感を感じてましたね。




この時から、大阪で就職したい(戻りたい)という意識は強かったように


思います。



今から、考えたら、せっかく親が勧めてくれた海外留学の話しや、


就職して海外勤務になる話など、自ら飛び込んでいく勇気が


あったら良かったのになと思いました。




今だと、そんなに抵抗感ないご時世になっているので、恐らく今大学生


であれば、人生が変わっていたでしょうね。




あまり、パッとしない4年間をあっという間に終えて、卒業して社会人に


なります。高校では落ちこぼれた感があったので、大学ではそんな


ことが無いように頑張ったつもりでした。


でも、就職した企業では、この当時大学で序列がついていたんです。


じぶんの能力が、大学で順番つけられていたことは、かなりショック


でした。


中学も、高校も、大学も、会社も、じぶんのポジション的には、


低い評価だったことで、いっつも「絶対なんとかしてやる!」


っていう意識は、十分培ったと思います。



まあ、負けず嫌いのくせして、努力は人並みだったので、悔しさを


成果につなげられなかった事が、今でも影響してるようです。




就職した会社では、建築会社でしたので、技術系で就職したことで


現場か設計かのどちらかの配属でした。



もちろん(-_-;) 現場配属でしたが、ここでは、仕事の厳しさを


叩き込まれました。毎晩毎晩ドロドロになりながら、夜遅くまで、


仕事をしてヘトヘトになりながらも、修行させてもらいました。



「辞めてやる!」みたいな、いやな事も多々ありましたが、


設計という職より、「内勤」という業務にあこがれ、設計への


志望をずっとあげ続け、配属テストを受けました。



意匠設計では、なかなか合格しなかったので、構造設計で


応募したところ、なんと合格してしまったので、現場勤務の


途中でしたが、待ち望んでいた「内勤」になり、毎日、スーツを着て


の通勤でした。



じぶんの廻りの環境が一変し、当時は喜んで仕事に励んでいました。



でも、ここでも、環境が変化するんですね。



それは、会社の業績悪化による、社内の空気の変化でした。


この続きはまた。



今井カツノリ。

























こんばんわ。暮らしつくりプロデューサーの今井カツノリです。


ここ何日かは自分を振り返ってみたいと思います。



あらためて、「じぶんプロデュース」をして新たな旅立ちができるように。。。。





私は、昭和39年生まれの今、48歳です。まあ、48歳と聞けばたいがい、おじさんを


イメージすると思います。でも、なぜか気持ちは30代のような気がします。


見た目も若いとは言われますが(^^ゞ



高校は地元の進学校に通いました。でも、これはすんなりと行った訳では


なく、私学に合格点1点足らず落ちた後の、公立高校合格でした。



中学から何事も中途半端な「じぶん」だったのですね。


割と小さい頃からぼっちゃん、ぼっちゃんしており、「かっちゃんは、何でも


できるねぇ。がんばってね。」と言われて、喜んでました。



でも、特に飛びぬけて出来る訳ではなく、だから、あんまり努力もしてこなかった


んですね。だから、中学でちょっとマシな点数とって満足しており、クラブ活動に


明け暮れてました。



それを見ていた、今は亡き親父が、「カツノリは無理やりでもやらさんと、どうも


ならん」と言って、中学3年のときにすったもんだして、クラブを辞めさせられたんですね。


そして、塾に行かされ、私の部屋を2階のひとり部屋から、食卓のとなりの部屋で


親父の部屋へ移され、監禁状態でした。



勉強しながらうたた寝をしていると、ガラッと扉をあけて、「こらっぁ!」と怒られる始末。


その時は、親父を憎み、絶対じぶんの意志で、じぶんの道を歩んでやる!っと心に


誓ったものでした。



なにぶん、やらされているもんですから、模試の点数もそんなに上がらんのですね。


中学3年なんて、あっという間に1年たってしまい、受験の日を迎え、まず私立高校の


入学試験を受けます。 で、 なんと、その当時は「滑り止め」 みたいな感じで私立は


あったんですが、結果、1点足らずで不合格!



さずがに落ち込みましたね。



でも、悩んでいた私に奮起の一言をかけてくれたのは、親ではなく、担任の先生だった


のです。


公立高校の希望校を1ランク下げて、落ちない安全圏で受けるかどうか。その先生は、


私に、さらりと一言「おまえがその志望校を受けないで誰が受けるんや!おまえしか


おらへんやろ」


まあ、嬉しかったというより、奮起しましたね。



「絶対うかってやる!」 で、見事高校には進学できました。



ところが、高校では正直まったく勉強しませんでしたね。



親父も高校は、私が志望校に合格したため、それからは、何も言いませんでした。


高校ではクラブ活動をまっとうしてやる~!みたいな変な意地があったのは確かでした。


その分、勉強しなかったせいで、大学入試は散々でした。



ここで、親父がまた出てくるんですが、「カツノリ、わかってるやろな。浪人だけはさせへん


からな」 きつ~い言葉でした。



その当時、「共通一次」だったのですが、見事に失敗して、当時の志望校はもはや


選べませんでした。


とにかく、親父から離れたいという思いがあったため、下宿して過ごす大学生活を希望し、


受験大学を探しました。色々探していて、「金沢大学」に惹かれたので、頑張って受験し、


とにかく、浪人せずに合格することができました。



でも、ここでも、じぶんの中で、劣等感に苛まれることになります。




続きはまた。


今井カツノリ










暮らしつくりプロデューサーの今井カツノリです。


以前、これからの時代で必要なものは、「個性」=パーソナリティ
だと言いました。

だから、経営者に限らず、ビジネスマンに限らず、学生でも主婦でも
ニックネームくらいの感覚でもいいです、何かしらの「肩書」をもてば、
それに近い自分探しに潜在意識が働いてくれるので、大いに肩書を
自分に植え付けるようにしましょう。

1年たったら、大いに変わってるかもよ~
(だったらやってみる価値アリ!)



ところで、私はこの年当初、単に一級建築士という肩書ではなく、
「暮らしつくりプロデューサー」という肩書で、活動すると決めました。

このブログでは、私の立ち位置をどうしようかということを大いに悩み
ました。事業で推進していかなければならない状況では、
暮らしのデザイナー、コーディネーターというエキスパートとして発信
していく傍ら、事業のマーケティングディレクターというポジションも
同時に発信するため、ビジネスとしてのマーケティングのお話も
していきます。


ということで、これから、


「暮らしのデザイン」と
「事業のマーケティング」の話を中心にしていきますので、よろしく
お付き合いください!



ということで、前置きが長くなってしまいましたが、
今日は、マーケティングのお話を。


昨日、昨年度「2022―これから10年、活躍できる人の条件」
(PHPビジネス新書)を神田昌典さんが出版されたこともあって、
新年1回の講演会に参加させてもらいました。


神田さんからは今年のテーマは「広げて育てる」という発表
がありました。


今年の前半は「広げる」そして、後半からは「育てる」という 
今年の情勢は、年前半と後半では大きく変化することを
謳っていました。


ほんとのところどうなのかは、実際にこの1年を過ごしてみて
振り返りたいとは思いますが、


自分にとっては、とても面白い1年になるのではないかという
ワクワクできる年になりそうです。



神田さんの定説の70年周期(1945年の大戦後の大転換期)
では、1945年+70年で2015年には、大きな転換期になる
大局面が訪れるだろうと予言者みたく言われていますが、


それまでに、やっておくべきことをしておかないと大変なことに
なるらしいのです。

それを踏まえて、今年のこの前半は、広げる=発信する
ことをしておかないと、後半の育てる=成長する ことがまま
ならなくなるらしい。


信じるかどうかは、ご自身で考えて頂くとして、


実は、なぜブログに書きたかったかと言うと、私が考えていた
ことにぴったりはまったからでした。


それならば、とことん広げて育てることに取り組んでみようと思い、
会場を後にした次第でした。



今、やたらソーシャルが話題になりますが、こうなったら一度、
とことんやってみることも一つだと思いました。


ツィッター、ブログ、フェイスブック、youtubeを使って、どこまで
どうなるか。この連携を今年前半、大実験したいと思います。


って、言ってしまった。。。。


やるしかないか。




これから、おこる大局面の2015年までは、あと2年しかないからね。



「暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ」
暮らしつくりプロデューサーの今井カツノリです。


こないだは、「個性」を表現していく必要があると書きました。
それと、その個性には、肩書をつくることが分かりやすいとも
言いました。


あと、私が自分でつけた「プロデューサー」という肩書は何を
意味するのか。これを今日は少し。


ビジネス上で私がこれから発信していく職能としてのプロデューサ
は、ビジネスの運営を統括していく指揮者的存在だと考えています。

ですから、
ビジネスをデザインするデザイナー
ビジネスを演出するディレクター
ビジネスをマッチングしていくコーディネーター
そして、何よりもお客様に喜んでもらうためのお客様への
告知役のマーケッター。 

これから発信していく内容は、「暮らしつくり」という側面の
デザイナー、コーディネーター
「プロデューサー」という側面の
マーケティングプロデューサー

の2面から色々考える事、情報を発信していきます。




そして、「個性」をどう考えるかについて、ちょっと時間を
とりたいと思います。


当然、デザインしていく、コーディネートしていくには、「個性」
がないとクリエイティブなプロダクトは生まれませんね。


今、時代は「個性」ある人材を求めています。


テレビでは、いわゆる「おバカ」がブームになる時代で、
ローラやスザンヌ、木下優樹菜、里田まいなど、キャラが
目立ってます。これも「個性」のひとつなんでしょうが、


ビジネスの世界では、おバカでは通用しないので、どれだけ、
じぶんに強みができるか、スキルがあるかなど、私は


「個性」=「発信力」


でもあるなと感じています。だから、経営者でもサラリーマン
でも関係なく、個人として発信力のある人が個性を出しやすい
のではないかと思います。


facebookやツィッター、ブログなどソーシャルでどんどん
多くの人にむけて、誰でも発信できるようになって、もうすぐ
10年くらいになります。


でも、この10年で、皆が個性を出してこれたかと言うと、これまた
疑問でして。


例えば、これからは、企業面接などで、面接行く前に大学生がブログ
などソーシャルで発信力をつけていたために、企業側がその人となり
を分かった上で、即採用なんてこともこれからはあるかもしれません。


企業マン、ウーマンに限らず、個人として発信力をうまく、人の為に
役立てれるようなプラットフォーム(集積場)ができれば、これまた
面白いような気がします。


企業の垣根を取っ払った個人の才覚を他者がソーシャルで評価
していく、「個人が光る」そんな時代は、もうそこまできている感じが
します。


発信力を競え、協調できるような「プラットフォーム」の存在楽しいと
思います。



それでは、また。



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今のままでは日本は危ない!
「暮らしつくりプロデューサー」が本気になってチャレンジする、
皆がハッピーになる生活スタイルをつくり。

日本とベトナムを「急行」で結ぶ未来の架け橋  今井カツノリ。
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暮らしつくりプロデューサーの今井カツノリです。

いつの間にか、こんな肩書をつくって発信していますが、
なんで、こんな事をしていこうと思っているのか。ちょこっと
能書きを(^^ゞ


私自身これまでずっと「一級建築士」という肩書で、時には、
小恥ずかしく「せんせい」っとも呼ばれてきました。はっきり言って、
先生と呼ばれるようなとこまで行ってないのですけど。。。


ともあれ、会社勤めで「一級建築士」という設計マンの場合は
それで良かったのかもしれません。でも、今では、管理も営業も
経営も見て行かないといけない。


また、独立すると「じぶん」を売っても行かないといけない。
であれば、「一級建築士」という肩書ではその他大勢になって
しまいます。



時代は変わり、2000年に入りインターネットが急速に進化する
中で、手法の部分で大きく流通や製造、マーケティング、広告
などのあり方が変わってきました。


当然、今までやってきたことが通用しなくなり、経営手法として
右往左往させられる事になりました。


人としての観念は変わらないので、経済活動を担う人としての
根幹の部分は、いずれ述べるとして、その経営手法が通用しな
くなり、どうしたら良いかという点について大切な事のうちのひとつ
を話ししますと、それは、何だと思いますか。


それは、「個性」です。


皆さん、ロングテールって聞いたことありますか?アマゾンなんか
の手法として語られることもありますが、簡単に言うと、大量製造
大量消費の時代が終わり、ニッチな商品でも、そのマーケティング
によって、細く長く商品は売れ続けていき、それが商売としても
通用するということです。


つまりは、テレビなどのマスの広告を売っても、費用対効果で商売
にならない訳です。が、小予算でマーケティングがインターネットに
よって出来る様になった結果、ニッチな商品も必要な人に届けられる
ことになり、商売として成り立つような事になったのですね。


そのような商品には、多分に商品の特性が少し特化されていたり、
差別化、独自化が見えやすい事も理由のひとつだと思います。


そこには、欲しい人にとっては、きらりと光る「個性」があるんだろうな
と思います。


私の仕事は、自分自身のスキルを売る商売なので、自分自身が
ニッチな存在ではあるのですが、「一級建築士」みたいなマスの
肩書では、費用対効果ではとってもアピール度は薄いと思います。


自分自身の「個性」を出すには、自分自身に肩書をつける必要が
出てきた訳です。


これから行おうとしている事業に自分のポジションをあてはめると
プロデューサーということになるのかなと思いながら、このような職業
で似たような肩書としては、


プロデューサー
コーディネーター
ディレクター
ファシリテーター
コンサルタント
デザイナー


などなど考えられますが、よう分からんというのがほんとのところ、
なんでもええやんって(笑)


なんですが。


強調したいのは、要するにプロデューサーよりも、「暮らしつくり」です。
やはり、「建築士」としての資格よりも、職能を活かして、暮らしを
良くする、世に役に立つ存在ですよ! ということをアピールしたい。


要は、そのようなことでもひとつのきっかけにして、


「個性」をアピールしたいわけです。


肩書などは、面白ければ、とっかかりなので良いわけで、それを
もとに何を伝えたいかです。


「暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ」の新たな挑戦が
始まりました。


ベトナムってなんやねん。それも「暮らしつくり」の挑戦なんですよ(^_^)v

ではまた。

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今のままでは日本は危ない!
「暮らしつくりプロデューサー」が本気になってチャレンジする、
皆がハッピーになる生活スタイルをつくり。

日本とベトナムを「急行」で結ぶ未来の架け橋  今井カツノリ。
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