じぶんプロデュース~  エピローグ(その3) | 暮らしつくりプロデューサー 今井カツノリ ブログ

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一級建築士が、いい暮らしを創るキュレーターとして語る。そして、新しい市場と再生のためにマーケティングを追求する。

こんばんわ  暮らしつくりプロデューサーの


今井カツノリです。



ようやく、自分自身を振り返ることによって、次の新しい


じぶんを創りだすための一歩が近づいてきました。



ほとんど、自己満足できてる風ですが、でも、じぶんを


振り返ることはとても大事なんですね。




じぶん史は、(その5)くらいまでにしておこうと思います。



エピローグからプロローグへ。一旦終わりがあって、次が


あります。そのじぶん史を早く終わらせて次にいこうと


思います。




で前回の続きですが、社会人の会社の中で設計というポジションを何年か


過ごすことになるんですが、勤めていた会社の経営状況が非常に悪くなり、


社内でも早期退職優遇制度で45歳以上の方が辞めて行った時から、どん


どん独立する人や転職する人が増えました。


私も最初は辞めるつもりは全然なかったのに、会社が自分の思うところと


違った雰囲気になってきたので、この先自分も35歳になったら独立しようと


思い、業務をこなしながら準備をするようになりました。




もちろん、普通に仕事をしながらですが、何をしていたかというと、資格を


とりにかかったんですね。 一級建築士や一級建築施工管理技士はすでに


取っていたので、宅建と土地家屋調査士の資格をがんばって取得


しました。


独立して資格でメシを食おうと思ってたんですね。


宅建は独学でなんとかなりましたが、さすがに調査士は学校に通い


ました。一発で合格しようと思って、夜中と土日を使い、1年かけて試験勉強


をしました。




この時の合格は、努力した甲斐あって、大学に合格したときよりも嬉し


かったですね。




そんなこんなで、会社を辞める時が来たんですが、どうも気が弱いというか


独立して「建築設計事務所」を始めるとは言えませんで、親の会社を継ぐ


という理由で退職しました。 まあ、実際親の会社(すでに不動産管理業 


大家業でしたが)の代表として務めることになりましたけどね。




でも、実際には、自分自身を試したい、チャレンジして起業というかたちで


新しいビジネスを模索していたので、1年くらいはほとんど仕事がなかった


んですね。このままではあかんと思って、たまたま元の会社の上司に


会った事から、いままでの建築構造設計の実務を手伝うことになりました。



おかげで、仕事は定期的に継続してさせてもらい、収入もそこそこに


なったのですが、私の思いとは裏腹に新ビジネスにチャレンジできない


日々が続いて、3~4年はモヤモヤしていました。




これやったら、会社にいた時と変わらん! このままじゃあ、後悔すること


なるなと思って、ちょうど仕事の外注依頼が減ったのと同時に違うスタイル


を模索しました。



そんな時に、いまの「イーズビル」を新築する機会に恵まれ、構造設計と


意匠設計とデザインを同時に学びながらも、実践して次のステップアップ


を図っていくことになりました。



デザインの勉強も、させてもらいながら、じぶんところの建物で実際に


形にする機会に恵まれたことは、とても運が良かったのと、恵まれていた


と思います。ほんとに、両親に感謝しなければと思いました。



それが、ちょうど40歳の時で、青年会議所を9年間活動し、卒業とともに


私自身の新しい旅立ちが始まりました。 「Es style イーズスタイル」


です。



これから多くの失敗と過信が続く苦難と多くの体験、喜びと苦労の8年の


ステージに入るんですね。



このステージは、じぶん史の中では、学生までを第一ステップとしたら


企業サラリーマン時代を第二ステップ、独立して1人で業務をこなしていた


第三ステップ、40歳からの「ライフスタイルの提案」を模索していた


第四ステップということになりますね。



次は、その第四ステップについて、この続きで。



今井カツノリ。