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美和のブログ

美和のブログです。

【ルームカフェ美和、自由空間しおん】は2022年10日10日より
「二子玉 しおんtake2」として二子玉川に移転、生まれ変わりました。
よろしくお願いいたします。

https://shiontake2.wordpress.com

 

昭和32年の僕は6歳でチンパンジー依りかは日本猿に近い存在で、銀座裏と郊外の戸越銀座を行き来する2重生活をして居た。

 

家族が狭い銀座裏から離れる準備期間だったのかも知れない。

朝郊外の自宅から銀座裏の母の仕事場に通う生活だから、生活の買い物も銀座裏でする事が有る。

だとからと言ってもデパートで大根やら菜っ葉を買う訳には行かないので有る。

 

デパートのデパ地下は今程生活物資が充実しては居ないので、その手の商品は地元と言っても銀座裏に八百屋が有る訳も無く、今日みたいにコンビニやらスーパーマーケットは無いので有るが、其処は良くした物で行商の、かつぎ屋(千葉から来る人が多かったので、千葉のオバサン)や、家の前にクロガネのオート3輪車で乗り付けて来る色の浅黒いお兄ちゃんが居た。

 

何だか僕はそのお兄ちゃんの黒い精悍(せいかん)な感じに思わず映画の西部劇のインデアンを感じて酋長(しゅうちょう)と言って慕って居た。

 

御本人も酋長は悪口では無いから、はいョ~。

 

その内買い物に集まるオバサン達も酋長~。

此のニンジンいくら?。

大根いくら?。

とやりだした。

何しろ誰もが行商するオバサンやらお兄ちゃんの名前を気にしないので、千葉のオバサン~千葉のお兄ちゃんと言って居た。

 

だから、酋長~

大根いくら?。

意外と呼びやすいので、オート3輪がバタバタと言う音を町内に響かせると酋長が来たョ~。

と声を掛け合った。

 

僕は、勿論酋長~。

 

酋長の登場だ~。

 

御本人も此のあだ名が満更でも無かったのか?。

後に成ってインデアン酋長のセルロイドのお面を僕にくれた。

 

酋長有難う~。

想いで、有難う~。

2024年9月4日

 

 

最近悪態(あくたい・悪口)で顰蹙(ひんしゅく)を駆ったタレントの方が居たがその悪口が、~死ね、だからつまらないので有る。

タレント、才能有る特別な方が~死ねは無いので有る。

 

では、江戸っ子はどのような悪態を付いたか?。

僕も江戸時代に居た訳では無いので、詳しい事は解らないのだが。

おたんこなすびのひょうろく玉のこんこんちき。

或いは、

気の気か無い子だょ~。

相手が男成らば、兄さん粋(いき)じゃ~無いょ。

と来たらしいので有る。

死ね~と成ると言われた方は逃げ場が無い。

まさしく野球成らばピンボール。

言葉はキャッチボールだからデッドボールでは洒落に成らないので有る。

 

比べて、粋じゃあ無いと言われた、何とかしょうと、努力する余地が残されて、立ち直る事も出来る。

相手を立ち直れ無い立場に追いやれば次に自分に其が回って来るのが世の中で、売電大統領を年寄りと揶揄(やゆ・からかった)トランク元大統領も御自分の年を忘れて居たらしく、揶揄去れて居る。

人を侮る(あなど・ないがしろ)にすると穴二つ。

 

何とか死ね~は止めて欲しい物だ。

粋じゃ~無いょ。

 

2024年8月25日

 

 

 

 

 

江戸っ子は意外に信心深い。

 

明日は解らない身の上の庶民だから御天道(おてんどう)様、中国の天帝(てんてい・天の支配者)に当たる概念までも持っていた。

その中でも、山岳信仰は広く信仰されて居て神奈川の大山参り、秩父の三峰山、中でも江戸市中から良く見る事が出来る富士参りは、江戸っ子の必須で江戸の町中に何十と言う富士講(ふじこう)と言う組織が有り、此の組織に属さないと容易には富士参りが出来ないと言う仕組みで有ったそうで、逆に町内の富士講に属すると先達(せんだつ)と言うガイドが通行手形(つうこうてがた・通行証)から道々の宿の手配をする、言わばツアーコンダクターを果たしたそうで、庶民でも気軽な物見遊山(ものみゆさん・観光)が出来たそうだ。

 

とは言っても究極の富士参りの目的は山頂での御来光(ごらいこう)に有ったそうで、単に高みに登るのでは無くて、山頂から此の世に姿を現せる阿弥陀如来(あみだにょらい・人を極楽に導く仏)のお姿を拝むに有ったらしい。

 

御来光と言うと日ノ出を見て有り難がるのが今日の仕来たりと成って居るが、江戸っ子の御来光とは、日ノ出に背を向けて、富士山の火口に目を転じて、火口の霧や雲に写る自身の影を如来として礼拝する神秘な儀式で有ったそうで、此れはヨーロッパのアルプスに置けるブロッケン現象、怪奇現象と同じながらに方や神聖方や妖怪と別れるので有る、物の受け取り方は洋の東西で異なるが、何か我以外に何かを感ずる事が大切な気がする。

 

僅かな揺らぎ、揺らめきを見きわめねば道を誤る事が起きる。

政治も人生も。

 

2024年9月5日

 

 

 

昭和37年8月の僕は小学4年生。

 

大喰らいの僕はデブだからいっも腹を空かせて、町中をうろついて居たと言っても、决して家で虐待去れて居た訳では無いので有る。

充分に野生化しない様に母から餌さを頂いて居た、犬でも人でも腹を空かせると狂暴化するのが定めちゅうもんだ、と言う事を母は良く心得て居たので有る。

 

と、言っても僕は夏に成ると腹が減るのじゃ~。

 

昼ご飯の後は50円玉を持って駄菓子屋に直行定期便。

先ず2~3円のゲソ・昆布・キナコ飴・真っ赤な四角い寒天をソフト煎餅に乗せたのに・怪しげな黄色と赤のどろどろしたのに・スカスカした薄甘のマンボー。

 

この辺で河岸(かし)仕入れを変えるか?。

何しろ腹が2~3円物では塞がらないので有る。

 

5円で1ヶのコロッケにするかと言うと1串5円のオデンに行くか、と町中をうろついて居ると、此のくそ暑いのに今川焼を焼いて居るでは無いか?。

 

狂気のさただ~。

すると1ヶ10円の張り紙と目が合ってしまったのだ。

しかもポケットには10円玉1ヶ。

 

目の前には甘いアンコの今川焼。

これっきゃないのだ。

 

10円と1ヶの交換成立。

 

道端の日陰でキョウギに挟まれた丸い今川焼。

 

あちあちなので、夏にふうふう、一口、重曹の味の次にが~ん。

至福。

 

あんこじゃ~。

さすがにあんこは菓子の帝王。

 

幸せ一杯腹いっぱい。

遥か彼方の家何処。

足元が見えない程く・う・な~。

 

因みに、関西では大判焼き、回転焼き、関東では、今川焼、太鼓焼きと言うが今川焼の語源は解らんのじゃ~。

 

2024年8月25日

 

 

 

 

 

昭和36年の夏。僕は小学3年生で腕白(わんぱく)でお腹を空かせていっも町内を歩き回って駄菓子屋で買い食いをしていたのだ。

だが小遣いの財源にも限界が有る。

 

腹を満腹にする迄は至らないので有る。

 

その頃、此処東京郊外の戸越銀座は戦前の荏原郡の余韻が未だ残って居て其の一つに。

 

そーだー村の村長さん

ソーダー飲んで死んだ

そーだー

葬式饅頭大きいそーだー。

 

と言う戯れ歌が子供の間に介在して居て、全く意味不明ながらに歌って居てソーダーとはソーダー水で無く、汚れ落としのカセイソーダかな~

位の感じで居たが、大きい葬式饅頭とは如何なる物か?。

不明のままで有ったが、ある夏の日町裏を歩いて居ると、偶然或家。

 

大きい門口の門構えの家で、通り掛かりの子供に何かを渡して居る。

何だか大きい饅頭が見えるので有る。

楕円形で普通の饅頭の二個分は有りそうで、背中の方が少し茶色だ。

 

僕も喪服姿の叔父さんの手招きに応じて貰いに行こうとしたら町内の子供会の年長のターチャンに止められたのだ…。

 

あれョ~

葬式饅頭だからョ~

もらって返るとョ~

葬式迄付いて来るんだぜ~。

 

え~真っ平だ~

僕は未だ孤児には成りとう無いのじゃ~。

 

と言う事で、後ろ髪を引かれる想いで帰宅した。

 

翌日の当校日。

 

クラスで町内の葬式饅頭の話しが出て、貰った子半分貰わなかった知らなかった子半分。

 

貰った子はおいしかった~。

 

隣の席の下田さんに聞くと、平然と私貰ったはョ~

 

して味は?。

 

こし餡で美味しかった~

大きいし~

 

して、体調は。

良いわよ~。

 

ん~なんだ~

ターチャンの言う事を聞いて損したかも…。

 

僕の頭の中を大きい葬式饅頭が通り過ぎて行く。

 

八月の青空 の雲の様に大きく成りながら~。

 

しもうた、手放したチャンスは二度と戻らないのじゃ~。

 

2024年8月29日