昭和37年8月の僕は小学4年生。
大喰らいの僕はデブだからいっも腹を空かせて、町中をうろついて居たと言っても、决して家で虐待去れて居た訳では無いので有る。
充分に野生化しない様に母から餌さを頂いて居た、犬でも人でも腹を空かせると狂暴化するのが定めちゅうもんだ、と言う事を母は良く心得て居たので有る。
と、言っても僕は夏に成ると腹が減るのじゃ~。
昼ご飯の後は50円玉を持って駄菓子屋に直行定期便。
先ず2~3円のゲソ・昆布・キナコ飴・真っ赤な四角い寒天をソフト煎餅に乗せたのに・怪しげな黄色と赤のどろどろしたのに・スカスカした薄甘のマンボー。
この辺で河岸(かし)仕入れを変えるか?。
何しろ腹が2~3円物では塞がらないので有る。
5円で1ヶのコロッケにするかと言うと1串5円のオデンに行くか、と町中をうろついて居ると、此のくそ暑いのに今川焼を焼いて居るでは無いか?。
狂気のさただ~。
すると1ヶ10円の張り紙と目が合ってしまったのだ。
しかもポケットには10円玉1ヶ。
目の前には甘いアンコの今川焼。
これっきゃないのだ。
10円と1ヶの交換成立。
道端の日陰でキョウギに挟まれた丸い今川焼。
あちあちなので、夏にふうふう、一口、重曹の味の次にが~ん。
至福。
あんこじゃ~。
さすがにあんこは菓子の帝王。
幸せ一杯腹いっぱい。
遥か彼方の家何処。
足元が見えない程く・う・な~。
因みに、関西では大判焼き、回転焼き、関東では、今川焼、太鼓焼きと言うが今川焼の語源は解らんのじゃ~。
2024年8月25日