春の轍 ⑪の2 | 尾川永次のブログ

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         春の轍 ⑪の2

                       尾川泳児

 

《私、謙三さんに出会えて本当に幸せでした。

 仕事から帰る謙三さんをずっとずっと待っている毎日。少しだけ

 寂しい時もあったけど無事に帰って来るって信じていたから。

 

 勿論家庭は二人で築いたものだけど、一つだけ、一つだけ思う

 ことがあるの。

 

 私、しげさん夫婦の屋台を引いてた頃の話し大好きだったわ。

 あんな風に二人で生きられたら本当に素敵だなって。

 

 謙三さんが屋台を引いて私が後ろから押す。

 たまに謙三さんが振り向いて大丈夫かいって訊いてくれたら

 本当は大丈夫じゃないけど私は大丈夫よって返すの。

 そして二人で作ったラーメンをお客さんが美味しいって、言って

 くれたらどんなに嬉しいかなって。

 

 わがままな夢ですよね。

 

 でも、嬉しかった。

 ほんとは無理だと思ってたから。

 まさかあなたが引き受けてくれるなんてビックリ!

 恥ずかしいから黙ってたけど。嬉しくて、嬉しくて、台所で泣い

 ちゃったんですよ。

 

 本当は怖いです。少し怖いです。

 でも、あなたが傍に居てくれたら頑張れる気がします。

 最後の最後まで頑張ります。

 

 謙三さん。今までありがとうね。

 

 私はあなたが大好きです。》

 

 謙三のへの字になった口元が小刻みに震え出した。

 そして大粒の涙が止め処なく零れ頬を伝って落ちて行く。

 

「ばかやろー…」

 それしか言葉にならなかった。

 それしか言葉に出来なかった。

 

 徐々に謙三の口から嗚咽が漏れ始めた。

 やがて倒れこむように春子のノートに顔を埋め、誰はばかる

ことなく泣いた…。大声で泣き続けた

 

 
「それでまあ上手くいかなくてもいいから、とにかく一度でも

 ラーメン屋をやろうと一年がかりでなんとかここまで漕ぎ着け

 たってわけでね」

 

 話に涙していた夏子が涙を拭い答えた。
「そうだったんですか。大変な思いをされて来たんですね」

 

「別れは遅かれ早かれ経験することですからね」

 

「そうですけど。春子さんて強い人なんですね」

 

「強いかどうかって言われたらそうじゃない気がします」

 

「でも、私なら耐えられない気がして」

 

「亡くなる前に二人で話すことが出来ましてね。残された時間が

 少ないからこそ、思い切ったことも出来たし、大切に使うことも

 出来たからって」

 

「聡明な人だったんですね」

 

「一度聞いたことがあるんですよ。どうしてそんなに穏やかにして

 いられるんだってね」

 

「それで春子さんは何て?」

 

「時間に限りがあるからこそ精一杯生きられるし、本当に辛いのは

 突然の別れに残された人だから、私は笑顔でいなくちゃね。

 なんて言いやがるんですよ」

 

「やっぱりすごいな、春子さんは」

 

「私には出来そうもないですが自分に何かあった時は見習いたい

 と思いましたよ」

 

「そうですね。ほんとそうですね」夏子は笑顔で何度も肯いた 。