当たり前の質とレベル
4年前の記事ですがリブログします
以前にも書いてることだけれど
もし、目の前にこんな光景があったなら
プロの心得があるカメラマンやハイアマチュアなら
難なく自然に撮れてしまう写真だろうなとは想う
ただこれは
モデル撮影会でもなく
お遊びで撮っている撮影でもない
そしてもし ?
一般男性がこの光景に立ち合う機会があったなら
冷静にシャッターは押せないかもしれないね
まさかスマホなんか向けられて
例え相手が人間でなくても
撮られる側が本気になってくれるだろうか ?
その瞬間に「取り敢えず」とか「もう一度」はないとボクは想っている
備忘録や記録用の日記を書きたいわけでもなく
作文を書きたいわけでもない
結果的に写真美術館に収蔵される作品だわな
その時になって過去の作品たちに
恥ずかしい想いをさせたくはないのだ
だから全身全霊、全力で撮る
携帯電話もスマホも持ってるけれど
それで撮影したことは一度だってないよ
写真家で生きようと想った時に
自分は『ブラックジャック』でいいと想ったよ
この撮影の同じ空間には
ルーム事務所の女性スタッフたちもいる
ブラックジャックが高度な外科手術に集中出来るのも
優秀な助手でもある『ピノコ』の存在なしでは成立しないだろうね
彼女たちとは30年以上、一緒に仕事している
この信頼関係を誰もが理解出来ないわな
人が人を撮るということ
まして相手が異性なら…
この世で
これ以上大変で面倒なことはないと想っている
自分の中では
それが普通で当たり前だと想って来たけれど
それを40年以上、続けて来てみると…
かなり自分は ?
「浮世離れ」してるのかもしれない ^^
ただボクから見たら
本当の現実や自分自身と本気で向き合おうともせず
みんなのほうが浮世離れしてるような気がする ^^