オジー・オズボーンが亡くなった。


苦しくて、ニュースすら読めない。
僕の音楽人生のすべてだった。ブラック・サバス、ランディ・ローズ、ジェイク・E・リー——オジーの存在がなければ彼らを知ることもなかった。

先日のラストコンサートに行けなかった自分を責めた。なんでこの歳になってもでもそこに行く経済力が無いのかと…

立つこともできないロッカーのコンサートがあれほどかっこいいなんて…

その余韻も冷めぬうちに、まさか旅立つなんて。これ以上、ロックな死に方があるだろうか。最後までオジーらしい。

カッコよくて、恥ずかしくて、みっともなくて、それでいてとてつもなく人間味のある人。
会ったことはない。でも、僕にとってはずっとヒーローだった。

振り返れば、僕が「師匠」と感じる人たちは、どこか破天荒で優しい、オジーのような人ばかりだった気がする。
あのクレイジーさに、ずっと憧れていたのかもしれない。

ギターを握っていたあの頃の少年も、いつしか年を重ね、オジーの全盛期を振り返る歳になってしまった。
彼を超えることは一生できない。けれど、僕は僕のやり方で、常識をぶち壊していこうと思う。
オジーが教えてくれたように。

子供の頃テレビで観たUSフェスティバル。あれが僕の人生を変えた。
「いつか、こんな世界で生きたい」——心が震えた瞬間だった。

今も現役のジューダス・プリーストももちろんカッコよかった。
でも、オジー・オズボーンのクレイジーさは、まさに別格だった。

彼に出会い、ランディ・ローズを知り、そしてランディの死を通して、オジー自身がまた進化したことも知った。
人は、成功だけでなく、限界を超えるほどの苦しみからも、何かを掴むんだと。

本当はもっと書きたい。でも、言葉にできない。

スティーヴィー・レイ・ヴォーン、エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなったときも辛かった。
でも、オジー・オズボーンの死は、それらとは比べものにならないほど、深いところに来ている。

「ありがとう」も「さようなら」も、まだ言いたくない。
今はただ、受け入れられない。

でもきっと、当分…いや、ずっと
僕の中で、オジー・オズボーンは生き続ける。

僕も今限界を超えるよ



気づけば、発想が偏っていた。


どうすれば資金を集められるか

そのことばかりに集中しすぎて、「なぜ伝わらないんだろう」と霧の中を彷徨っていた。

そんな僕にヒントをくれたのは、今朝の夢だった。

「逆もあるのだよ」と。

そうか。
確かに僕のビジネスモデルは、一言でいえば“百円入れたらジャラジャラお金が返ってくる”ような仕組みだ。昔のネズミ講みたいに聞こえるかもしれない(笑)。でも、きちんと仕組みを知れば、誰だって納得してくれる内容だ。

なぜなら、こういう強みがある

インドネシア全土に広がる独自の仕入れネットワーク

すぐに加工できる自社の設備

即日で現金化できる販売先を複数保有

リスクは地金ベース。損が出ても何十%もマイナスになることはない

国際金融に強く、合法的に利益を世界中に送金できる仕組みを完備


要は「すでにビジネスとして回っているもの」を、プロジェクト単位で共同事業契約を結ぶことで一緒に回せるという話だ。

「じゃあ、自分だけでやればいいじゃん」と言われたこともあるけど──
もちろん、もうやってます(笑)。


でもせっかく、これだけ利益が出るタイミングだからこそ、
もっとスピードを上げたいし、一緒に走れる仲間を増やしたいと思った。

ここ数年、身軽に生きてきた。
そのなかで本当に思ったのは──やっぱり「仲間」は大事だってこと。

どんなときも、一人より二人、二人より三人。
困ったとき、最後に助けてくれるのは結局“人”。

なのに、僕は魔が差して、大切な人たちとの縁を自分から断ち切ってしまっていた。

もういいや、って突き放したり、
自分勝手なことを押し付けたり。

もちろん、どれだけ尽くしても助けてくれない人もいる。
それも世の常。

昔、命がけで助けた相手にちょっと頼みごとをしたら、「今は自社ビル建設で手一杯」と言われたときは、さすがに呆れた。
──いや、魔法かけといたよ。毎日ちょっとだけお腹痛くなるやつ(笑)

一方で、努力もせずに土下座してお願いしてくる人もいた。
そんな人と付き合っていた自分にも、しっかり反省した。

そして僕自身も、信用を失いかけていた。
でも苦境に立つと、本当の敵と味方がよく見える。

思い出すのは、あの言葉。
「事なかれ主義で作った関係は、仲間じゃない。」

──動くこと。
アクティブであること。
欲すること。
向かうこと。
手に入れること。

今、僕は未来に向かって、静かに、でも確実に集中している。

ミャンマー、タイ、インドネシアにいると、不思議と「巨大な宝石」の話がどんどん舞い込んでくる。

世界的に見れば、宝石絡みの話なんて詐欺まがいのものが多い。でも、僕の周囲に集まってくる情報はちょっと違う。というか、スケールが違いすぎる。

何が違うかって?

全部デカすぎて誰も買えない。

冗談抜きで、どれも博物館級。いや、正確には「博物館でも持て余すレベル」。大きすぎて宝石商も手を出さない。だから僕のところに話が流れてくるんだけど…

いやいや、宝石商が買わないのに、僕が売れるわけないでしょ?と思うんだけど、なぜか期待されているらしい(笑)。ありがたいことではあるけど。

中には鑑定書付きのものもある。でも、現物を鑑定士に見せたら「こんな大きいもの、中まで検査なんてできないよ」と断られた。そりゃそうだよね。

これだけ巨大だと、もはや“宝石”というより“賭け”。ギャンブルみたいなもので、簡単に手を出せる代物じゃない。

鑑定書に何が書いてあろうと、ミャンマーにいれば「そんなの手に入る」という現実も知っている。つまり「本物ではあるけれど、売るのが超難しい」のだ。

実際、タイの宝石商の人からも「この状態では売れないよ」と言われた。

というわけで、ミャンマーのモゴック産巨大ルビー原石は、今日もただの“石ころ”としてそこにある。

……あ、そうそう。

巨大な隕石の話もあるんだけど、それはまた次回にでも。