映画「戦場にかける橋」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

3月18日、NHKBSプレミアムシネマで映画「戦場にかける橋」が放送されてました。興味があったので早速みました。

監督 デビット・リーン

俳優 ウイリアム・ホールデン アレック・ギネス ジャック・ホーキンス 早川 雪洲

1957年 イギリス・アメリカ映画 161分

内容(movie walkerより)

「第2次大戦下のビルマ・タイ国境近くにある日本軍捕虜収容所。所長の斎藤大佐(早川雪洲)は教養の深い武人だった。

ここに収容されているアメリカの海軍少佐シアーズ(ウィリアム・ホールデン)らは激しい労役に脱出の機会を狙っていたが、そんなある日、収容所にニコルスン大佐(アレック・ギネス)を隊長とする英軍捕虜の一隊が送られてきた。

バンコック・ラングーン間を結ぶ泰緬鉄道を貫通させるためクライ河に橋梁を建設せよとの命が司令部から斎藤大佐に下り、その労役に送られてきた捕虜である。

橋梁完成期日は5月12日、日は幾ばくもない。斎藤大佐は捕虜全員に労役を命じた。が、ニコルスン大佐はジュネーブ協定に背反すると将校の労役従事を拒否したため、営倉に監禁された。

その夜シアーズは仲間2人と脱走し、1人だけ助かってコロンボの英軍病院に収容された。一方、収容所では担当者の三浦中尉の工事指導が拙劣なためと捕虜のサボタージュのため架橋工事が遅れていた。

斎藤大佐は焦慮の余りニコルスンら将校の翻意を促したが彼らは応じない。やがて3月10日、陸軍記念日(日露戦争勝利日)となった。

斎藤大佐はニコルスンらの頑固さに負け、彼らの恩赦を伝えた。ところがこのとき、意外にもニコルスンは自ら架橋工事に当ろうと申し出た。

彼は、サボタージュが軍紀の弛みだとみて捕虜たちに建設の喜びを与えることによって本来の軍人の姿へ鍛え直そうと考えたのである。そして架橋方法にも積極的な意見を述べた。架橋の主導権はニコルスンに移った。期日までに橋を完成するために、斎藤大佐はあえてその屈辱に甘んじた。

その頃英軍病院にいるシアーズのもとにワーデン(ジャック・ホーキンズ)という英軍少佐が訪れ、意外な申し入れをした。バンコックーラングーン間の橋が完成、鉄道が敷かれれば日本軍はインドへ迫るだろうし、それを阻止するためには落下傘で挺身隊を降下させ橋を爆破するより方法がない。

シアーズに道案内を頼む、というのである。シアーズは、ワーデンの説得を承知した。ワーデン、チャップマン、ジョイス、シアーズの4人からなる橋梁爆破挺身隊は輸送機からタイの密林地帯に降下した。

この時チャップマンは巨木に激突、落命した。残る3人は難行軍を続けた。携帯ラジオで、橋は5月12日に完成、13日には初列車がクワイ河を渡るとの日本軍の情報を知った。

事実、クワイ河の架橋工事は進み、捕虜兵士の士気は上がり、彼らは橋梁建設に生きる意義を見出していた。ニコルスンはこの橋に英軍の誇りをかけていた。

5月12日がきた、夕刻、ワーデンら挺身隊はクワイ河を見下ろす陸の上に辿りついた。夕陽に映えて巨大な橋が見事完成されていた。夜影に乗じ、ジョイスは橋脚に爆薬を装置、シアーズとワーデンは迫撃砲を備えて彼を援護、橋梁爆破の準備はなった。

朝がきた。斎藤大佐とニコルスンは最後の点検にと橋を上へ上った。そのとき、ニコルスンは橋脚の爆薬を発見した。

と、その矢先斎藤大佐はジョイスに後から刺し殺された。折しも列車の汽笛が聞こえた。ジョイスは発火装置に迫ろうとしたがニコルスンに遮られた。シアーズがジョイスを助けるため出てきたがジョイスとともに、日本兵に射殺された。

その瞬間、丘の上のワーデンが放った迫撃砲の1弾はニコルスンの傍らに落下、ニコルスンの体は発火装置の上に崩折れた。

捕虜たちが苦心の末に完成した橋は列車とともに粉砕した。ゆるやかに流れるクワイ河の水面に、「本橋梁は英軍将士によって建造されたものなり」と書いた1枚の板が漂うばかり……。」以上が概略です。

デビット・リーン監督の作品(ドクトル・ジバゴ、アラビアのロレンス等)は、長い。この映画も3時間弱。しかしあまり長いと感じないのです。結構、面白い。やはり、橋がどうなるのかが気になり、最後爆破されるとは驚きでした。

色々調べてみると、橋を実際に作ったのは、英国人捕虜が一から作り上げたという事実はなく日本の鉄道第九連隊だったようです。映画では、イギリスの技術を見せてやれと言ってますが違います。また、4人からなる橋梁爆破挺身隊で橋を破壊したのではなく、イギリス軍の空爆により破壊されたようです。しかも木造の橋ではなく今もコンクリートの橋が残っています。

やはり、この映画でのニコルスン大佐は、将校の労役従事を拒否し軍人が持つ誇りを大切にします。一方、斎藤大佐はニコルスンらの頑固さに負け、彼らの恩赦をあたえました。すると、その恩返しで、捕虜たちは、頑張り続け工期まで完成させて、ほのかな友情みたいなものが生まれるのです。日本軍のインドへ侵攻を防ぐため橋の爆破は、必要ですが、捕虜の身では、橋の建設に協力せざるを得ない。シアーズとニコルスンの立場でした。しかし、結果的には二人とも死んでしまいます。味方同士が殺しあうとは、戦争の悲惨さを表しています。

この映画での斉藤大佐の立場です。橋の完成は、日本ではなくイギリスの成果になりますので最後のシーンでは、髪を切り遺髪にするシーンがありました。早川 雪洲というアメリカとヨーロッパで主演男優としてスターダムにのし上がった最初のアジア系俳優となった人だそうです。演技がうまかったです。

この映画は、第30回アカデミー賞で作品賞をはじめ7つの部門で受賞しています。

音楽は、「クワイ川マーチ」で有名です。

最後までご覧になりありがとうございます。

 

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