12月18日、NHK総合で、映像の世紀バタフライエフェクト「塩の行進 ガンジーの志を継ぐ者たち」が放送されてました。興味があったので早速みました。
放送の解説は以下の通りです。
「大英帝国によるインド支配に抵抗したガンジーが、非暴力の力を世界に示した「塩の行進」。その志は時空を超え受け継がれた。
人種差別と闘い、ワシントン大行進で公民権法成立への道筋を作ったキング牧師。
フィリピンの独裁政権との闘いの中で暗殺され、政権打倒への市民の団結を生んだアキノ氏。
自宅軟禁されながら非暴力抵抗でミャンマーの軍事政権と闘い続けたスー・チー女史。
非暴力で世界を変えようとした人々の闘いの記録。」とあります。
(南アフリカ共和国で弁護士)
ガンジーは、イギリス領であった南アフリカ共和国で弁護士をしてていた。
(文豪トルストイ)
ガンジーに非暴力で戦うことの意義を教えたのは、ロシアの文豪トルストイであった。
「不服従」と「愛」の精神であった。
1915年、ガンジーは、インドに戻った。インドは、イギリス政府の植民地支配を受けていた。ガンジーは、非暴力運動を始めた。
(チャルカ(糸車))
チャルカ(糸車)の復活である。チャルカ(糸車)で編んだ布を身にまとうことで外国製品をボイコットする運動が全国に広まった。
(塩の行進)
さらに大規模な非暴力運動を始めた。塩の行進である。ガンジーと78人の弟子たちで始まった。
インドでは、イギリス政府が塩の製造と販売を独占していた。
ガンジーは、400キロ離れた海岸まで歩き、行進は、1万人に膨れ上がった。
浜辺に到着一斉に塩つくりをはじめた。インド総督府は、逮捕し始め、逮捕者は、10万人を超えた。1年後、インド総督府は塩つくりを許可した。ガンジーは、独立をイギリスに訴えても相手にされなかった。
インドの独立の後押しをしたのは、戦争であった。第二次世界大戦で疲弊したイギリスにインドを植民地支配する力はなかった。
(インドの独立)
1947年8月、インドは独立した。この間大きな問題が発生した。宗教間の対立であった。インドのヒンズー教(7割)とイスラム教(2割強)であった。
(パキスタンの独立)
インド独立の前日、イスラム教徒の国、パキスタンが誕生した。各地で暴動がおこり200万人ともいわれる犠牲者を生んだ。
(暴動の地を巡るガンジー)
ガンジーは「宗教という名のもとに殺しあうのはおかしい。」融和を唱えた。ガンジーは爆弾で殺されそうになるが、暴動を止めるため断食をする。
(断食をするガンジー)
ガンシーを死なせてはならないと暴動は、止まった。しかし、その後ヒンズー教徒により暗殺される。その前に「暗殺する人を憎んではいけません。」と言っている。
(キング牧師)
暗殺から11年後、ガンジーの火葬場を訪れる人がいた。キング牧師である。
「ガンジーの精神は、今や人々が考える以上に強い。」「非暴力による抵抗こそ抑圧された人々が正義と尊厳を勝ち取るための武器になる。」と訴えた。
(バスの前列は白人、後列は黒人)
当時、アメリカは、使用施設が黒人と白人に分けられていた。1956年、キング牧師が推し進める非暴力運動によりバス車内の人種隔離が撤廃された。
1963年5月、更なる差別の撤廃を求めて大規模なデモを計画した。デモの排除に対する暴力に非暴力で対抗した。
(ワシントン大行進)
1963年8月、20万人のワシントン大行進である。キング牧師は、人種差別撤廃を訴えた。
翌年1964年7月、人種差別の解消を求めた公民権法制定される。
(キング牧師暗殺)
1968年4月4日、暗殺される。
(貧者の行進)
貧者の行進始まる。キング牧師暗殺後の4月29日、アフリカ系アメリカ人を中心とする貧困層の経済的不公正の是正と地位向上を求めた運動であった。
その15年後の1983年。ここにも非暴力で戦おうとする人物がいた。
逃亡先のアメリカから母国フィリピンに帰国しようとしたベニグノ・アキノである。
マルコス大統領が銃殺刑にしてアメリカに追放したのだ。独裁政権との闘いの中、非暴力で戦おうとするが、マニラで飛行機から降りたとき、射殺される(1983.8.21)。
(アキノの葬儀)
10日後、アキノ氏の葬儀があり、マルコス退陣の機運が強まる。3年後、100万人がアキノ氏の葬儀の通りを埋め尽くした。
(コラソン・アキノ大統領就任)
1986年2月、マルコス大統領は、国外へ脱出し、新たにコラソン・アキノ(ベニグノ・アキノ氏の妻)がが大統領に就任する。
(アウン・サン・スーチー)
その2年後、非暴力で戦おうとする人がミャンマーに現れる。1988年8月、民主化を求めて非暴力で軍事政権と戦おうとするアウン・サン・スーチーです。
危機感を抱いた軍事政権は、1989年7月、スーチー氏を自宅軟禁にする。
それでも断食をして無言の抵抗を続けた。
1991年、ノーベル平和賞受賞、2010年、自宅軟禁が解除される。
人々は、スーチーを待ち続けていた。圧倒的な人気を後押しに2015年総選挙で勝利を収め事実上の最高指導者になった。
2020年の総選挙でも圧勝。しかし、軍は、2021年2月、クーデターにより再びスーチーを拘束
した。
(市民不服従運動)
市民は、市民不服従運動を展開しスーチーの解放を求めた。
軍は、実弾で鎮圧に乗り出した。今も軍事政権に対する抵抗は続いている。
(法廷で裁かれるスーチー)
2021年2月、スーチーは、27年の刑期が課せられている。
(インドの軍事力)
一方、非暴力を訴えたインドは、世界第4位の軍事大国になっている。
以上が放送の概略です。
感想としては、ガンジーの非暴力の思想が、トルストイの非暴力によって愛を武器とする考えに基づいていることを初めて知りました。ガンジーの非暴力の思想を受け継いだキング牧師、アキノ氏、スー・チー女史へと続きます。悲しいことにスー・チー女史を除く3名は、全て暗殺で亡くなっています。アキノ氏は、志半ばで暗殺され心残りだと思います。飛行機から降りてからの演説まで考えていました。誰が暗殺としたのか調べていくと、アキノ氏がタラップを降りる途中で連行兵士に撃たれた可能性が高く、黒幕は、マルコス以外考えられないです。
3人とも、死を恐れてません。ガンジーにいたっては、暗殺する人を憎んではいけませんといいます。キング牧師は、自宅は爆破され殺害予告まであっても怯みません。アキノ氏は、殺害されるのを予想してました。凄い精神力です。
スーチーに関して調べますと、自宅軟禁から首都にある刑務所の独房に移送され、78才(1945.6.19生まれ)です。現在のミヤンマーは、国軍と反クーデター抗議運動の対立による内戦に加え従来からの少数民族が加わり複雑のようです。
信念を貫き、非暴力で世界を変えようとした人に感動しました。
内容は、45分の放送内容をすべて網羅しておりません。足りないところもたくさんありますのでご容赦ください。
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