映画「42 〜世界を変えた男〜」感想 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

昨日、大リーグのドジャーズの試合を見ていたら全員が背番号「42」をつけていました。大谷もつけてました。映画「42 〜世界を変えた男〜」を思い出しました。この映画では、未だ黒人差別の残るアメリカの大リーグで、史上初の黒人メジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの半生を描いた作品です。

監督 ブライアン・ヘルグランド

俳優 チャドウィック・ボーズマン  ハリソン・フォード

2013年アメリカ映画 128分

内容(Wikipediaより抜粋)

「1947年、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャーズの前身)のゼネラル・マネージャーのブランチ・リッキーは、ニグロリーグでプレーしていた アフリカ系アメリカ人の ジャッキー・ロビンソンを見出し、彼をチームに迎え入れる事を決める。

だが、当時はまだ黒人差別が激しく、 メジャーリーグも白人だけのものだった事から、彼の入団は球団内外に大きな波紋を巻き起こす。

ジャッキー・ロビンソンは他球団はもとより、味方であるはずのチームメイトやファンからも差別を受けてしまい、孤独な闘いを強いられる。

しかし相手球団の監督の罵倒や危険球に耐え、必死にプレーする彼の姿が、やがてチームメイトや観客の意識をも変えていく。」が概略です。

1945年当時、野球は、黒人と白人が別れて、黒人の活躍は、黒人選手だけのニグロリーグに限定されていたのには、驚きました。ガソリンスタンドのトイレは、白人しか利用できないとか飛行機搭乗葉は、白人優先です。チームの仲間うちのシャワーも黒人は、一緒にできないとか限りない差別です。フィリーズの監督ベン・チャップマンも聞くに堪えない罵詈雑言を吐き散らします。足を狙った悪意あるスライディング、頭を狙った死球など見るに堪えないいやがらせです。しかし、ロビンソンは、必死に耐えて結果を残します。その中で1947年9月17日、運命の試合。各地で多くの人がラジオの中継に耳を傾けています。ジャッキーはプレッシャーの中見事ホームランを放ち、ドジャースは優勝を決めます。黒人は大歓声を送り、全ての人ではないにしろ、白人もロビンソンに拍手を送りました。

リッキーは、チームが強くなることが第一で、選手に白人も黒人も関係ないという信念でした。

リッキーがロビンソンに最も求めたことは差別を受けた時に「やり返さない勇気を持つ」ことだったという。

ジャッキー・ロビンソンが大リーグにデビューした4月15日は「ジャッキー・ロビンソンデー」として、毎年すべての選手や監督、コーチなどが「42」の背番号でプレーします。初めて知りました。

黒人の選挙権は、1870年の南北戦争後に与えられたことになっていますが、選挙時の文字書きテストで、排除されました。多くの黒人が「貧しい者と字が書けない者」でした。実際は、1964年の公民権法まで待たなければならなかったのです。

従って、1947年当時は、公然と差別を受けていました。

身を守るためには「やり返さない勇気を持つ」ことだったという。

前に黒人の映画スターシドニーポワチエの映画「招かれざる客」感想の時、理想的な黒人(教養がありスマートで著名な医者で独身)を出現させて、通常の白人は負けてしまうレベルの高い人物にしました。

人種差別に負けないためには、やり返さないで、教養を身につけた紳士であるという努力を続けなければならないと2つの映画では言っていると思いました。

 

 

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