映像の世紀バタフライエフェクト「我が心のテレサ・テン」感想 | リタイアライフのつぶやき

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5月30日、NHKで映像の世紀バタフライエフェクト「我が心のテレサ・テン」が放送されてました。興味があったので早速見ました。

放送の解説には、以下の事が書かれています。

「台湾出身のテレサ・テンの歌声は世界のチャイニーズの心を震わせ、テレサが一度も足を踏み入れたことのない中国本土にも彼女のカセットテープがあふれた。

中国から台湾に亡命した空軍パイロットはテレサとの面会を真っ先に求め、台湾当局もテレサをプロパガンダに利用した。

そして、テレサの歌声は天安門広場の民主化デモを支援し、香港の民主化運動でも歌われ続けている。歴史に翻弄されたアジアの歌姫の知られざる物語である。」あります。

自分が知っているテレサ・テンは、「つぐない」、「空港」、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」など透き通るような美しい声で、自ら身を引く儚い女性や切ない男女の別れの曲など歌い自分は、とても好きな歌手でした。

今回の放送では、日本でのヒット曲は出てきません。本当のテレサ・テンの姿がわかります。

テレサ・テンは、11歳の時、ラジオ局主催の歌唱コンテストで優勝。

両親は、1949年に中国本土での内戦に敗れた蒋介石とともに中華民国(台湾)に移った外省人の中の一組だった。

14歳の時にプロ歌手としてデビューする。17才で香港に活躍の場を移して、スターの座を駆け上る。21才の時、日本でのデビューを果たした。アジアでの人気は目覚ましく、また華僑、華人に絶大なる人気を誇っていた。

1977年、代表曲となる歌が生まれる。「月が私の心を映している(月亮代表我的心)」。中国では古来、月は、遠く離れた人と人を結びつけるモチーフとして、詩や絵画に描かれてきた。異国で暮らす中国人は、5千万人~7千万人ともいわれ人気を博し、中国大陸までその人気は、拡がった。

中国では、文化大革命(1966年~1977年)の影響がまだ根強く残っていました。この当時、外国の曲を聴くことは、重罪だったがテレサの曲を聴く若者は、沢山いた。この当時、「愛」と言う言葉はなかった。愛は、「社会主義を愛する」、「毛沢東を愛する」、「共産党を愛する」以外はなかった。革命の反対の言葉であった。

1970年後半、文化大革命が終わり、鄧小平の「改革解放」政策を打ち出す。西側の文化が流れ込む。ラジオ・オーストラリアに手紙が殺到した。テレサのカセットテープが飛ぶように売れ「小城故事」が人気。中国大陸を支配するのは、二人の、鄧だと言われた。

(鄧小平)

鄧麗君(テレサ・テン)

昼を支配するのは鄧小平、夜を支配するのは鄧麗君(テレサ・テン)と呼ばれた。中国大陸に行ったことは、ないが8億人の心を捉えていた。

一方、当時台湾は、「大陸反攻」の精神で中国を資本主義に進めたく、テレサ・テンを台湾当局のプロパガンダに使った。

中国本土で西側文化は「精神汚染の害は、社会主義、共産指導者への不信感をまき散らしている。」とされた。標的は、テレサ・テンとされた。

中国にとって、恐れていることが起きた。中国人民解放軍の少佐が台湾に亡命したのだ。

真っ先に会ったのがテレサ・テンだった。

1989年6月4日、改革派だった胡耀邦元総書記の死がきっかけとなり、天安門広場に民主化を求めて集結していたデモ隊に対し、軍隊が武力行使し、多数の死傷者を出した。

天安門事件である。

中国政府は、戒厳令を出し、25万人の軍隊をだした。香港では、中国の民主化を支援するチャリティーコンサートが開かれた。

それにテレサ・テンが参加して「私の家は山の向こう」を歌う。このコンサートで5億円集まる。

テレサ・テンの願いも空しく、軍隊の武力行使により一説では、1万人以上亡くなったと言われている。

この弾圧に、著名な文化人や芸術家は海外に移住した。オーストラリアに移住した画家の郭健もその一人です。

1995年5月8日、テレサは、タイ・チェンマイで気管支喘息の発作で亡くなります(42才)。

葬儀には、3万人のファンが訪れ早すぎる死を悼んだ。

香港では、自由と民主主義を守るための民主化運動(2014.9)でもテレサの歌は歌われ続けていた。

デニス・ホーがテレサの歌を歌う。2021.10月、香港国家安全維持法により逮捕される。

テレサは、言いました「中国とか台湾とか私には、何の関係もありません。私は、チャイニーズに向かって歌っているのです。」香港生まれも、台湾生まれも、中国本土生まれも皆同じ中国人という考えでした。最後「テレサは、歌うのが好きでした。自分のために歌っただけです。歌えるだけで幸せでした。」で番組は終わりました。

感想としては、最後まで番組で流れ続けた「月が私の心を映している(月亮代表我的心)」が、多くの中国人の心を捉えていることに感動しました。

日本で月と言えば、願い事を祈る対象てあったり、今昔物語に出てくるウサギの墓標であり、平安時代から続く月を眺めて風情を楽しむものだと思うのですが、中国で月とは、思いを寄せている人と人とを結びつけるものと言われており「月が私の心を映している」の意味は、「私の本心は、言うまでもなく聞くまでもなく、二人の心を結び付けると言われている月を見ればわかるはずよ」としい意味のようです。

実にロマンチックな内容なのにびっくり。何故、好まれるかと考えると、文化大革命も含めて、中国共産党のもとでは、ロマンチックな愛は語れず、これらを打ち破る一つがテレサの歌ではなかったのかとか考えました。

オーストラリアに移住した画家の郭健の言葉では「テレサは、私達を人間性が抑圧された状態から解放してくれた人です。彼女は、私達が最も暗い闇にいたとき、自由をもたらした一筋の希望でした。テレサの人間性は、専制国家で生きている人たちにとって重要な意味を持っています。」

「月が私の心を映している(月亮代表我的心)」は、初めて聞いた曲ですが、すっかり好きになりました。

 今までのテレサに対するイメージが変わりました。日本では、レコード会社の販売戦略に乗せられた為、演歌歌手のイメージですが、実際は、歴史に翻弄されたアジアの歌姫であった事を知らされました。

最後までご覧になりありがとうございます。

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(「月が私の心を映している(月亮代表我的心)」↓

歌の題名が少し違うようですがこの曲です。