英雄たちの選択「明治日本を襲った試練(伊藤博文とロシア皇太子襲撃事件)」 | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

12月22日、NHKBS英雄たちの選択「明治日本を襲った試練(伊藤博文とロシア皇太子襲撃事件)」が放送されていました。この事件は、全く知らなかったので事件の顛末は、どうなるのかハラハラドキドキして見ていました。面白かったです。

番組内容は、以下の通りです。(放送案内より)

「1891年春、ロシア皇太子の歓迎祝賀が一転、明治政府にとって深刻な外交危機へと急変する!皇太子が襲撃された「大津事件」である。ロシアからの賠償金や領土割譲の要求を避けるべく、伊藤博文が対策に奔走する。争点となったのが犯人の処罰。必ず「死刑」にしたい政府と、法律上は「無期懲役」が限度だとする司法が対立。国際社会が注目するなか、優先すべきはロシアとの外交か、司法の正義か?ジレンマに陥る伊藤の選択とは?」とあります。

(ロシア皇太子襲撃事件を伝えるフランスの新聞です。)

大津事件とは、1891年5月11日、日本を訪問中のロシア皇太子ニコライ2世が、滋賀県大津町で警備にあたっていた警察官・津田三蔵に突然斬りつけられ負傷した暗殺未遂事件である。

海外までこの事件は、広まりました。

明治政府は、ニコライ皇太子を歓待し、大国ロシアとの友好関係を築こうとしていた。

当時の日本は、大日本帝国憲法を発布してわずか2年後であり、近代国家の道を歩みだしたばかりの小国で、まだロシアに軍事的に対抗する力をもたかなかったため、賠償金や領土の割譲まで要求してくるのではないかと危惧された。

5月13日、天皇自ら京都常盤ホテルに赴いてニコライを見舞った。(皇室外交)

ニコライ自身、「日本に来てから予想以上の丁寧な歓待を受け非常に感謝している、負傷以前と変わらない」ことの旨を言われた。

明治政府は、事件を所轄する裁判官に対し、天皇や皇族に対して危害を与えたものに適用すべき大逆罪によって死刑を適用するよう働きかけた。

しかし、旧刑法116条は日本の皇族に対して適用されるものであって、外国の皇族(王族)に対する犯罪は想定されておらず、法律上は民間人と全く同じ扱いにせざるを得なかった。

つまり死亡していないため最高刑は謀殺未遂罪(旧刑法292条)適用による無期懲役までであり死刑を宣告するのは法律上不可能であった。

「法治国家として法は遵守されなければならない」とする立場から、「刑法に外国皇族に関する規定はない」として政府の圧力に反発した。(大審院院長(現在の最高裁判所長官)の児島惟謙)

一方、ロシア側の対応は、日本政府に一切賠償を請求しない事でした。

しかし、シェーヴィチ駐日ロシア公使は、「犯人が無期ならロシアとの間にどんな重大な事が起きても保証できない」と言った。

それを聞いた伊藤博文は、犯人が死刑でないとこの事変は上手くいかないと考え大逆罪を適用すると決めた。その後の重臣会議で決定した。

西郷内務大臣は、「法律は、国家の平和を保つものではなく、破壊するものである。」と述べた。

しかし、これに対し、大審院院長の児島惟謙は反論した。

事件から16日後の5月27日、大審院院長の児島惟謙は、裁判官に「司法の独立を守るよう」と根回しをし、裁判長堤正己は、一般人に対する謀殺未遂罪(旧刑法292条)を適用して津田に無期懲役の判決を下した。

判決に対し、ロシア皇帝はもちろん一般人民も満足であった。

何故、ロシアは、判決を受け入れたのであろうか。

理由としては、「日本側のもてなしが素晴らしくニコライの心証が良かったこと、明治天皇のお見舞いも含めて日本の皇族が事件の解決に奔走した事、大津事件の直前にドイツとロシアの独露再保障条約がきれ、ヨーロッパで同盟国がない時に、アジアでロシアは戦争をおこしたくなかったからのようです。」(岩手大学麻田准教授)

「もし刑法の明文を曲げて無理な解釈を下していれば、日本は世界の信用を更に大きく失うところだった」と横浜居留地のイギリスの英字新聞は、この判決を支持した。

今回の判決により、不平等条約改正の糸口をつかむこととなり、3年後の1894年、日英通商航海条約を調印することになる。

この判決は、海外でも大きく報じられ、国際的に日本の司法権に対する信頼を高めた。このことは日本が近代法を運用する主権国家として、当時進行中であった不平等条約改正へのはずみとなった。

 

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