ウニを求めて石狩市浜益までドライブ(1) | リタイアライフのつぶやき

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65才でサラリーマン生活からリタイア。さて、これから何をしていこうか。ブログでつぶやきながら日常生活を報告。参考になれば幸いです。

ウニを求めて石狩市浜益までドライブしました。

自宅から70kmです。1時間半のドライブです。

国道231号線オロロンラインを留萌方面に向かって走ります。

ウニと言えば、小樽・積丹が有名ですが、こちらも美味しいウニが食べられます。

積丹の島武意海岸のまで86kmですので同じくらいでしょうか。

浜益は意外と穴場かも知れません。

到着しました。国道231号線沿いです。みさき食堂です。

浜ラーメンでも有名です。看板は、目立ちます。

2年前の写真です。

浜ラーメンです。ウニが採れなくて小鉢になりましたので、浜ラーメンセットにしました。

店内は、こんな感じです。

店の主よりいいウニが採れたばかりという話。来て良かったです。

お盆期間は、全くウニが採れなかったそうです。行く前に確認したほうがいいようです。

これで3000円とは、安いと思います。こんな美味しいウニはないと感じました。

ウニの漁は、6月から8月末までの限定です、9月から来年5月まで禁漁です。

食べられる期間は、限られます。来年また来ようと思いました。

続いて少し留萌方面に足を延ばしました。

「はまます郷土資料館」へ行きました。

みさき食堂より車で5分~10分以内だと思います。

国道231号線を留萌方面に向かい左側です。

割と小さい白い看板の案内板が国道にあります。

 

「はまます郷土資料館」正面です。

看板です。

ニシン建網漁業の番屋を郷土資料館として復元し現代に甦らせた施設です。

展示物は明治から昭和にかけての漁業の様子がメインとなっていて、当時の様子を垣間見ることができます。この建物は元々、網元の白鳥家が明治32年に建てたニシン建網漁の番屋。ニシンがとれなくなった昭和30年代以降からは廃屋のようになっていたところを修復し、郷土資料館として利用されるようになりました。当時使用された漁具類や生活用品、ジオラマが展示され、当時の様子を後世に伝え続けています。

網元の居間と事務所です。

網元の部屋です。

漁夫(ヤン衆)の居住区です。

こちらも見方を変えた漁夫(ヤン衆)の居住区です。

当時の設計図に基づき、1/20のスケールで製作されたジオラマです。

 

ニシン圧搾して身と油に別ける角銅。男たちが目一杯の力で粕玉を作成した漁業器具です。

粕玉は、肥料です。

ニシンは、生で食するのではなく、数の子をとったあと、身欠きニシンにしたり、大半は畑作の肥料となったりしました。

「もっこ」と呼ばれ女性がニシンを入れ背負って運びました。

絵画です。大量にニシンが採れています。

ニシン漁獲量の推移ですが、昭和30年から激減しています。

激減の原因としては海流あるいは海水温の上昇、乱獲、森林破壊などとする諸説があるが解明されていないようです。

昭和30年以降の不漁によりこの番屋使われなくなり廃屋のようになりました。

その後、郷土資料館として利用されるようになりました。

次回へと続きます。

最後までご覧になりありがとうございます。

2年前に作った動画です。よろしかったご覧ください。↓

 

 

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