グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。
私の教会では12月25日が日曜でないと、その前の日曜にクリスマスの礼拝をします。
日本の会社はクリスマスがお休みではないので、みんなで集まれる日曜にクリスマスのお祝いをするのは自然な気がします。
でもみんなで21日に「クリスマスおめでとう!」とお祝いしてから、24日の夜にはクリスマスイブ礼拝があるので、その時には暗闇の中でイエスさまの誕生を待ち望みます!と祈のります。
うまく24日が土曜だと良いのですが、そうでないとイエスさまが生まれた!とみんなでお祝いをしてしまってから、みんなで誕生を待ち望む祈りをするのは、慣れましたが少し不自然です。
今日は21日ですが日曜なのでクリスマスの礼拝で洗礼式もあり、若い女性が洗礼を受けて私達の仲間になりました。
牧師先生のメッセージで洗礼は古い自分が死んで、イエスさまを信じる新しい自分が生まれるとの話を聞きながら、34年前に自分が洗礼を受けた時のことを懐かしく思い出しました。
自分の古い価値観がどうしても変わらなくて、なんとか長男を心から理解したいと願い、思い切って40歳でキリスト教の洗礼を受けました。
洗礼は古い自分が死んで、新しい自分が生まれるというのがとても魅力的でした。
なかなか自分の価値観は変わりにくいのですが、キリスト教に出会った時に、この新しい価値観なら、勉強ができるとか、良い子ならとかの私の価値観ではなく、長男をあるがままで受け入れられると思いました。
それまでの自分の息子への愛が勉強が出来ればとか、良い子ならとかの条件付きの愛だったのが、生きていることに感謝の無条件の愛になったのです。