グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。

 

ショックなことは続くものですね。

 

私の友人のお嬢さんは長男と同じ歳です。

 

友人はお嬢さんの上に男の子がいたのですが、24歳で脳幹腫瘍ができて、8月に発病して手足がしびれるようになり、9月は看病できたのですが、30年前の10月に亡くなっています。

 

その時も本当にショックで、人生にはこんな試練があるのかと思いましたが、友人は一か月看病していて、だんだん悪くなっていく息子を見ながら、もうこれ以上は可哀そうだから死なせてあげたいと思えたそうです。

 

お嬢さんもいましたし、本当に年末には立ち直った友人はとても強くて尊敬しました。

 

その後友人は離婚もし、自分の人生を楽しんでいて、一人娘になったお嬢さんと良い関係が築けていました。

 

そのお嬢さんが3年前に乳がんになり、本人の希望で切らないで治療をした結果昨年亡くなってしまいました。

 

私はクリスチャンなので、試練は忍耐を生み、忍耐は品性を磨き、品性は希望につながると信じています。

 

だから彼女の不運は神さまは耐えられない試練は与えないとおっしゃっているので、彼女が耐えられる強い人だと思われたのだと思いました。

 

でも彼女の話を聞いて「二人の子どもを見送ることになったのは、よほど前世で悪いことをしたのね」と他の人から言われたというのが本当にショックでした。

 

先祖のたたりとか、因縁とか、何か悪いことがあると、先祖供養が足りないと言われる宗教も多いそうです。

 

それは苦しんでいる人や悲しんでいる人の傷口に塩を塗ることであり、とても信じられません。

 

聖書の中のエピソードで、イエスさまに「彼が盲目に生まれついたのは、だれが罪を犯したからですか。この人ですか。その両親ですか。」と弟子が聞くことがあります。

 

イエスさまは「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現れるためです。」と答えられます。

 

そして泥を盲人の目に塗って見えるようにします。

 

私はこのエピソードが大好きで、不運なことはその人の罪でも、親の罪でも、前世のたたりや因縁でもなく、神さまのわざがこの人に現れるためと言われると納得できます。

 

友人は息子を亡くしたことで、娘と深い良い関係が築けて、その後の30年が幸せでしたし、今は亡くなる前の娘から「お母さんは好きなように生きてね」と言われた言葉を大事にして、81歳のこれからの人生を充実させようと頑張っています。

 

お子さんを二人とも亡くして、不幸な人ねと言われるのが一番イヤだそうです。

 

人生は何があっても幸福になれるのです。