グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。

 

子育てでとても苦しい時期は、子育てが分かっていないくて不安だった時です。

 

何をしても初めての子育てだから、この子は天才ではないか?と思えたり、笑ってくれるだけで嬉しかった時期もあります。

 

それでも長男はとても赤ちゃん時代から敏感な子どもで、泣いてばかりでしたし、ウンチも毎日出ないで綿棒で刺激しないと出ないし、とても育てにくい子どもでした。

 

でも子どもが赤ちゃんの時から障害を持って生まれて、その子が亡くなるまで毎日病院へ1年半も通った知人もいるので、私の苦労は苦労に入らないのかもしれません。

 

でも自分の子育てしか分からないので、泣いてばかりの息子を相手に途方にくれていました。

 

最近ではHSC(ハイパーセンシティブチルドレン)と言うようになり、私の育て方ではなく、もともと長男は繊細で敏感でとても育てにくいタイプだったのだと分かりました。

 

昔のように子どもがたくさんいて、兄弟姉妹の相手をして大きくなったり、近所の小さな子どもたちとも一緒に遊んでいると、自然に子どもはみんな違う!とか、ひどく泣く子もいる!とか分かったと思います。

 

たまたま私は一人っ子で兄弟姉妹がいなくて、実家はダンスの教習所で大人ばかりで、子どもと遊ぶよりも、大人に遊んでもらっていました。

 

だから赤ちゃんや小さな子どもに慣れていないまま大人になり、結婚して子育てをすることになってしまったのです。

 

今から思うと母も私を育てる時にはお手伝いさんもいて、大人も多くて子育てに大変な思いをしないでいました。

 

だから長男が生まれた時には、経験不足の祖母と母が、HSCのよく泣く赤ちゃんを囲んで右往左往してしまいました。

 

一番覚えているのは、産院を退院して実家に戻ったのですが、長男にお乳を飲ませて、抱いて背中を習ったようにトントンと軽くげっぷが出やすいように叩いてあげたら、噴水のようにお乳を吐いたのです。

 

ビックリした母と私はすぐ近所の小児科を探して、退院したその日に近くの病院へ行きました。

 

優しい先生で「赤ちゃんは吐くことがあっても、元気なら心配ないのですよ」と言ってくれて、母と長男と3人で実家にもどりましたが、生きた心地がしませんでした。

 

長男は元気でも泣いてばかりだったので、慣れない母と私はごはんも二人一緒には食べられないぐらい落ち着かない毎日でした。

 

本に書いてあるとおりに煮沸消毒をしたり、果物のジュースも生でないとダメと思って、毎回生の果物を絞ったり、新米祖母と母は時間がいくらあっても足りませんでした。

 

実家へ帰らないで、一人で退院してから子育てした人を本当に尊敬しました。

 

今はネットで情報も多く相談もできるので、子育ては少しは楽になっているのでしょうか?

 

自分が辛かったので、子育て中のママたちの居場所を提供するNPO法人みどりなくらしに協力できて嬉しく思っています。