グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。

 

病院での不便な生活のおかげで、自分がとても謙虚になれて、普通の日常生活に感謝できることに気がつきました。

 

恵まれていると、その生活に感謝するよりも、もっと!もっと!と欠けていることに気を取られていた気がします。

 

35年も前のことになりますが、当時の近所の市立中学には特殊学級がありました。

 

長男はユニークだけれど、当時は発達障害の診断もありませんし、知的障害も身体障害も無かったので、普通級に通っていました。

 

当時の特殊学級は、障害の重い生徒が多かった気がします。

 

私は長男の学校での様子が心配で、中学でもPTAの役員を引き受けたのですが、とても印象的だったことがあります。

 

運動会が終ってからのPTAの反省会が、普通級も特殊学級も一緒に開かれたのです。

 

その時に特殊学級のPTAの役員をした人が、感想の発表の時に「息子が少しでも走る姿を見ることができて、涙が出るくらい嬉しかった」と、思い出して少し涙ぐみながら話してくれました。

 

それまでは、他の友人と「息子が宿題をしない」とか「成績が悪い」などと子どもたちの悪口を言っていた私たちは、その話を聞いてシーンとしてしまいました。

 

子どもが走る姿が嬉しい!と思ったことが無かったからです。

 

赤ちゃんの時には、立てば歩け、歩けば走れ!と無意識に思い、大きくなると、勉強しろ!良い子になれ!と思っていたのです。

 

その時のお母さんの本当に嬉しそうだった様子は今でも覚えています。

 

できないことではなく、できたことを心から喜んであげられる親になりたいと思いました。

 

でも親が謙虚になれたのもその時だけで、すぐにやればできる!とか、もっと!と思ってしまったのを苦い思い出として覚えています。

 

親の愛はつい期待してしまうのですね。

 

生まれてきてくれたことに感謝するのは難しいです。