グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。
長男はあまりに生きずらいので、自分から26歳で診断名が欲しくて聖マリアンナ医科大学の精神科を受診しましたが、結局「診断名はつかないけれど、ADHDよりASDが強いね。とても生きずらいけれど頑張ってください」とお医者さんに言われて終わりでした。
もともと勉強は好きではなく、やっとアメリカの高校を卒業して、帰国枠で大学へも入れたのですが、本人はどうしても声優になりたいと、代々木アニメーション学園に入りました。
声優は好きでしたが、学校のレッスンが俳優と同じように演じることを求められて、ダンスなどもあり、自分には無理だと思って、漫画の原作のヤングノベルス科にしました。
好きなことが仕事になるのは一番なので応援していましたが、漫画やアニメが好きでも、絵を描けなくて、原作希望ではなかなか就職には結びつきませんでした。
4年間の大学へ行かせたつもりで、2年間のアニメーションの専門学校が終ってからは、2年間はアルバイトで好きなことをしても良いけれど、我が家はサラリーマンで経済的に自立して欲しいと伝えて、2年間は自由にアルバイトで過ごしましたが、アルバイトでさえ面接で落ちましたし、やっと受かってもクビになってしまいました。
そこで冷静に彼の特質を考えて、接客ではなく、営業もなく、一人でやれて、仕事として続けれられものは何か?と考えて、たまたま友人の知り合いが「歯科技工士」の学校に関係していたので、本人はプラモを作ることが好きだし、技術を身につけると良いのではないか?と本人も納得して歯科技工士の学校へ行きました。
その2年間は真面目に学校へ通い、無事に歯科技工士の資格ももらえて、就職することができました。
大きな技工所には面接で落ちても、なんとか個人経営の技工所で働くことになりホッとしました。
そこを辞める経緯は以前にこのブログで詳しく書いてたので、今回は省きますが、芸術家なら良いけれど、同じ水準の歯を作り続けることが苦手だと言われて、技工士には向いてないと言われてしまいました。
過重労働の居眠り運転の交通事故で警察沙汰になり、警察から仕事が問題と思うと言われて、技工所に問い合わせたところ、「適正な仕事量を与えても、それが時間内で終わらないのは本人の問題で、こちらが無理をさせていない」と言われてしまいました。
安い給料で車持参で朝の製品の配達もして、夜中は3時まで働いて、車に布団を積んでいて、帰れない日も多かったのは、本人の責任と言われたのです。
本人は真面目なので、辛くても自分から辞めたいと言わないで、2年以上頑張っていました。
「技工士には向いていないので、他の仕事を探した方が良いですよ」と言われて、ゼロからのスタートになりましたが、どんな経験も全ては無駄にはなっていません。
履歴書に技工士と書けるので、手先が器用と思ってもらえ、仕事も2年したことで職歴になりました。
何が向いているか分からない時は、何かに一歩を踏み出してみることが、結果とは関係なく経験として意味を持ちます。