グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。

 

今朝の東京新聞の伊藤比呂美さんの人生相談のコラムに考えさせられてしまいました。

 

60代の主婦の方が、自分の90代の親が叩いて縛って怒鳴って育てたのは「しつけ」だったと言うが、50代になって母を恨んでいることに気がついたそうです。

 

私がいつも書いているように、昔は「しつけ」でも、今は虐待として否定される子育てです。

 

相談者は娘を同じように育ててしまい、それは「しつけ」ではないと気がつき、自分の40代の娘が同じような子育てをしているのをなんとか止めさせて、体罰の負の連鎖を止めたいと思っています。

 

でも娘は自分を否定されているようだと聞く耳を持たない。

 

伊藤さんの回答は厳しくて、連鎖という言葉を使う事で相談者は責任を90代の母に押し付けているのではないか。

 

自分自身がもう少し早く問題に気がついて、娘をそうやって育てないですんだのではないか。

 

相談者自身のせいもあるのではないか。

 

そうしたら自分の責任なので、娘さんの今を否定するのではなく、今の行為を否定することができ、自分の行為の釈明しながら、母として娘にしたことを謝り、謝り、謝り続ける。

 

人はなかなか変われない。

 

問題に気がついた人だけが変われる。

 

謝り続けると、娘さんの心が溶けて、気づいて、いつか娘さんが変わる。

 

相手を変えようと思ったら、強く言っても聞く耳を持たないだけで相手は変わりません。

 

相手の考えに影響を与えるのは、とても時間がかかりますが、相手を責めるのではなく、相手が気づくように伝え続ける。

 

子どもを叱る時も、子どもを否定しないで、その行為だけを言う。

 

悪いことや困ったことをしたら、その行為はしっかり言わないといけませんが、悪いことをした子イコール悪い子ではないし、困ったことをした子が困った子ではないのです。