グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。
日本ではハングリー精神が大事と思われてきて、コーチが部員を罵倒したり、しごいたりが当たり前とされてきました。
やっと体罰はダメと言われるようになりましたが、それまでは愛の鞭と言って、先生が生徒を叩いたり、コーチが部員を叩いても当たり前と思われて、誰も文句を言わない時代が長かったです。
子どもの自己肯定感よりも、なにくそチクショー!のハングリー精神がその子を強くすると信じられてきました。
ライオンはわが子を深い谷に落として、這い上がってきた生命力のある子どもだけを育てるとのイメージも日本人は好きな気がします。
実際にライオンがそうするかどうかよりも、可愛いわが子をわざわざ谷につきおとすのが、親の愛だと誤って伝わっている気がするのです。
でもそれこそ弱肉強食の世界です。
弱い子は死んでも当たり前なのか?
強い子だけが生き残れば良いのか?
この価値観の世界には、あなたはあるがままで生きる価値がある!の自己肯定感は育ちません。
日本で本当に子どもの自己肯定感を育てたいと思ったら、親が育ってきた時代の価値観を疑わなくてはいけません。
私が好きな聖書の言葉に「あなたはわたしの目に貴く、重んじられる」イザヤ書43章4節があります。
どんな自分であっても、神さまの目から見ると貴くて重んじられるのだと思えると、他の人からどう思われても、自分には生きる価値があると思えて、自己肯定感が上がります。
これは子どもにとっての親も同じです。
どんな自分であっても、親から見ると貴くて重んじられるのだと思えると、その子の自己肯定感は上がります。