グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。
子どもの自立はとても大切なテーマです。
ただ子どもが障害を持っている場合は、単純に親と子を依存だ共依存だと言って、自立していないことを責められないと思っています。
私はこの前亡くなった大江健三郎さんの小説のファンなのですが、長男に傷害があることで大江さんの小説の世界が広がり、深くなっている気がします。
初期の「個人的な体験」は脳に傷害を持って生まれた長男に対する複雑な思いが描かれていて、代表作の一つだと思っています。
その後は長男の音楽的才能を伸ばしたり、家族全員で成長していく姿がエッセイなどでも書かれていました。
その中でも印象的だったのが、「世間は依存はいけないとか、共依存はいけない。などと言いますが、私は長男のように一人で生きられない場合は、正しい依存であり、それは問題ないと思っています。
細かい表現は違うかもしれませんが、内容は「正しい依存がある」と言い切ってました。
長男は作曲もできたりしたようですが、生きるには他の人の力が必要で、妹さんや家族も積極的に支えていたのが印象的でした。
私は子どもの自立が大事!依存や共依存はいけない!と思い込んでいたので、この発言が衝撃的で忘れられませんでした。
その考え方に触れられたおかげで、長男の自立に対しても、他からは依存や共依存に見えていても、それが正しい依存の場合があると思えて、精神的にとても楽でした。
そして自立と孤立の違いを学んで確信しました。
他の子が一人住まいをしているから!とか、もう25歳だから!と他の子どもと比較して、その子を無理やり家から追い出すことは、自立ではなく、孤立になるという確信です。
自立は親が子どものお尻を叩いて無理に追い出すことではなく、子どもが時期がきたら、自分から家を出ていくのが自立です。
同じように家を出ていても、それが自立なのか孤立なのかで、子どもの安心感ややる気はまるで変ってきます。
おかげさまで息子たちには「いつでも出ていっていいよ!」と伝えていて、大学卒業後に就職した次男は、すぐに1人暮らしをしました。
なかなか仕事が決まらなかった長男は、経済的な問題もあり、1人暮らしを望みませんでした。
長男はやっと安定した仕事と収入が得られるようになりましたが、本人はまだ不安なようで同居を続けています。
そのうちに私達両親が72になり、長男がいると助かることも増えて「僕は必要な存在だね」とお互いに同居を楽しめるようになりました。
同居の子どもから老親が殺されたり、老親が同居の子どもを殺したりする痛ましい事件を知るたびに、やはり一番大事なのは、コミュニケーションが取れる良い関係を築けることだと痛感しています。