グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。
長男と旅行をした間は、夫は愛犬と留守番をしてくれました。
依存と共依存にならないために大事なことは、お互いにその人しかいないと思わないことです。
この人しかいないとお互いが思うと、依存する人とその人に依存してしまう共依存の人になってしまうのです。
もしかしたら、長男にとっては自分を理解してくれる母親はとても楽な存在かもしれません。
でも、私にとっては夫とも仲が良いし、友人も多いので、長男とは楽しいですが、彼だけが特別な存在ではありません。
私が夫とは仲が悪く、友人もいなくて、長男だけが唯一の心を許せる相手だと依存と共依存になっています。
人間関係はお互いが自立して、良い関係を持っことが理想です。
けれども子どもに障害があったりした場合は、自立を強制するのも虐待になり、正常な依存もあります。
私はノーベル賞作家の大江健三郎さんのファンなのですが、ご自分のお子さんの光君が頭に大きな腫瘍を持って産まれた時の衝撃を「個人的な体験」として小説にしています。
障害を持った子どもを授かった親としての苦悩などが、作家の目を通して生き生きと描かれています。
光君を授からなかったら、それからの大江さんの作家活動はまるで違っていたと思う深い考察がある小説です。
私はまだ結婚前にこの小説を読んで、なるほど・・・と思いましたが、本当の意味での親の苦悩までは想像しかできませんでした。
私も発達障がいのグレーゾーンの長男との葛藤を経験し、親と子の依存と共依存について考えていた時に、たまたま大江健三郎さんの「正当な依存があります。光が私たちに依存しないと生きていかれないのは正当な依存なのです」のコメントを読みました。
それを読んでとても楽になりました。
定型発達や類型的な発達の子どもにとっては依存に見える行動も、ユニークな子どもにとっては依存と思わなくて良い行動があると言うことです。
それを読んでからは、他の人から依存と共依存に思われるのではないか?などと他の人の目や意見を気にしなくなりました。
長男にとって楽しく良い事で、私にとっても楽しく良い事ならば、依存や共依存を心配しないと割り切ったのです。
だからなかなか一緒に行く友人がいない長男が「一緒に行かない?」と言う時は、長男の歳などは関係なく、私が行きたい時は行くようにしています。
数年前には私が仕事で岡山へ行く前に、大阪のUSJに長男も来て一緒に楽しみました。
夫は犬もいるし、遊園地が好きではないので、長男と二人で一日楽しみました。
マザコンと言われそうですが、友人がいない長男の正しい依存だと思ってしっかり楽しみました。