グレーゾーンの子どものミカタのマツジュンです。

 

今から思うと、当時は長男の就職を真剣に考えていたと思います。

 

発達障がいと分かってからは、年齢の七掛けで考えるようにしていたので、ダメでも30歳ぐらいまでになんとかなってくれれば・・・と思いながらも、できることはやってみようと真剣でした。

 

我が家はサラリーマンなので、別に長男が大金持ちにならなくても良いけれど、いわゆる高等遊民のように、長男が働かないで好きなことをして遊んで暮らせるだけの財産はありません。

 

だから「どんな仕事」とかのイメージはなくても、できればいつか経済的に自立をして欲しいだけは伝えていました。

 

本人もアルバイトをしてみて、自分で稼いで好きな物が買えることの喜びを知り、親に頼んだり、イヤな顔をされたりするよりも、自分で稼いで買う方が良いと思ったようです。

 

長男はオタクなので、好きなゲームも本もプラモもフィギュアもたくさんあります。

 

それらを買いたい!の強い欲求があったので、アルバイトは真剣に探しましたし、働きだすと真面目に通いました。

 

残念ながら自己アピールも下手でコミュニケーションも苦手だったので、面接で落ちてばかりでしたし、やっと決まった仕事も注意欠如やコミュニケーションでクビになることが続きました。

 

それでも本人は仕事をして稼ぎたい!と真剣に思っていたので、歯科技工士になる!と決めてからは専門学校に遅刻も休みもなしで通い続けました。

 

やっと2年間で卒業して資格も取れた時は、本当に嬉しくて卒業式後に新宿の中華料理屋さんでお祝いをしました。

 

まさかこれから苦難の日々が始まるとは思ってもみなくて、私は大変だった子育てが終わった気がしたのです。

 

実は学生でなくなり、歯科技工所に勤め、社会人になったそこからが長男の波乱万丈の日々のスタートだったのです。