本中毒、映画中毒、仕事中毒、そして...恋愛中毒 -78ページ目

オヤジはスマホの夢を見るか…

この10年間使ってきた携帯電話、所謂ガラケーに、とうとうガタが来た。
通話中に勝手に切れてしまう事が頻発する。
通話中に切れなかった場合には、どのボタンを押しても通話を切る事が出来ず、いつまでもツーツー音を鳴らしている。
いちいち裏蓋を開け電池を外さないといけない。
電池を外した場合、50%の確率で時計がリセットされる…鬱陶しい事、この上ない。

僕の携帯にかかってくる電話はほぼ全てが仕事の電話。
仕事に支障が出る。
モノを大事にするつもりのオヤジも、これはダメだ。
新品に機種変更をする事にした。

機種変更をするとなると、昨今の状況から、ガラケーか?スマホか?を考えるのだが、これは全く迷わない。

選択肢はガラケーしかない。

まず、携帯電話の使用状況が、通話とメールが殆ど。
電車の中で、ガラケーについているブラウザで、ニュースや2ちゃんねるをチェックしたりするが、殆どは本を読んでいるので、スマホが必要だとは思わない。
と言うより、スマホを弄んでいる時間がない。
電車の中で見ていると、スマホを持っている人の殆どはゲームをしているだけだ。
スマホは時間の無駄なのだ。

更に3GやLTEのデータ通信の費用がバカにならない。
会社で通話料をどれくらい使うのかを聞き取り調査をしたら、7,000~15,000円という事だった。
皆、通信費にお金を使いすぎだろう、それは。
この金額は僕の経済概念ではとても受け入れる事ができない。
ガラケーならば、通話放題で1,500~2,000円程度に抑えられる。

そしてスマホのセキュリティが気に入らない。
サービスを提供するために、iphoneもAndroidもユーザのデータを吸い上げて、AppleとGoogleに送り続ける。
位置データ、クレジットカードのデータ、そして購買データ…

というワケで、またガラケー。
新しいガラケーで次の10年間、頑張るのだ。

僕の予測では…
10年後にはスマホは無くなって、ウェアラブルPCに変わっている。
それでも、ガラケーはきちんと残っている様な気がする。

■映画 『パトレイバー 首都決戦』 2015日本



1990年代に人気アニメだった『パトレイバー』の続編を実写化した映画。
昨年から30分モノの番組として製作された新作がペイTVで放送されDVDもリリース、一部の映画館でも上映されていた。
本作はその延長線で作られた完全な劇場用新作。
監督は劇場用アニメを手がけた押井守。

ストーリーは劇場用アニメ『パトレイバー2』を下敷きにしている。
『パトレイバー2』でクーデターを演出した柘植の教え子達が、熱光学迷彩を装備した最新式のステルス戦闘ヘリを自衛隊より強奪、再びクーデターを起こす。というお話。

作品の出来としては、ちょっと残念な感じ。
いろいろと準備不足な感じは否めない。

まず予算。
ロボット物のアニメーションを実写化する場合、どうしてもロボットがいる日常のシーンを作るのにお金がかかる。
たぶん、かなり苦労したのだろうと思う。
僕は、この劇場版の前のペイテレビ・セルビデオ用に作られた30分モノは観ていないのだが、この劇場版ではパトレイバー以外のロボットは出てこない。
アニメ版では、土木作業用とか軍用とかでレイバーが当たり前になって当時の日常に溶け込んでいる世界が舞台だった。
だから今回の殆どレイバーが出てこない世界には、残念感が漂う。
そしてその画もどことなく安っぽい。
押井守は、製作費と興業収入について結構シビアに意識しているから、最初から仮想世界を構築する事は捨てて、利益を優先させたのだろうと思う。
その割り切り方が、押井守を一部マニアに受けるだけの監督で終わらせてしまった残念な要因なのだろう。(あえて過去形で書くのだが…)

そして脚本。
13年前に作られた『劇場版 パトレイバー2』と連続性を持たせた設定はなるほどと思うが、柘植学校の門下生達が再度クーデターを起こそうとした動機が良くわからない。
そこら辺をもう少し掘り下げないと、課題提起にならない。
脚本の背骨の部分がそうだから、押井守が毎度繰り返す外連味たっぷりの台詞による社会論・組織論の蘊蓄を聞かされても全然ピンとこない。
内容の希薄さを誤魔化して時間稼ぎをするために、閉じたモラトリアムの世界での13年前ぶりの下手な同窓会を、視聴者に見せているわけだ。

それって見せられる方は不愉快に感じないのだろうか?
少なくとも僕には不愉快だ。

■書評 小池和男『なぜ日本企業は強みを捨てるのか』 日本経済新聞社2015/2/15

なぜ日本企業は強みを捨てるのか/小池 和男
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企業の能力とか競争力とかいう概念がある。
客観的は数値指標として、それが何を指すのかは判然としないのだが、これからの市場で売り上げ、占有率、利益をどれくらい伸ばす力があるのかを顕す概念ととらえて良い。
そして、その企業の能力には2種類の考え方がある。
今現在の能力と、未来にどれくらいの能力を獲得できるのかという考え方。
この著者の主張は、大事なのは長期の継続的な能力構築力にあって、それは従来日本企業の強さであった。しかしながら昨今は米国流の経営指標によって、その強みを失いつつある。という事。

よく言われる論旨で、そういう部分もあるという事に異論はない。
しかし、残念なのは、本書の中でも言及されている様に、著者が高齢なので自分で調べた一次資料を用いて論を展開・検証しているのではなくて、ここ25年くらいの間に発表されたいろいろな研究内容や、調査統計etcによっている所。
実証的なのは良心的なのだが、どうしても論の展開に沿った資料を掻き集めた様な印象は拭えない。


以下は本書とは関係ない余談
個人的には、本書の論理展開に異論はない。
しかし一方で、現状の日本企業のトップには組織の持つそうした強みをきちんと分析認識して、経営に生かす資質は無いだろうと、僕は考えている。
日本企業は、安定した昨日と同じ市場が明日も続く場合には、経営層が何もしなくても、現場が長期の能力構築を生かして戦術的には戦う事が出来る。
しかし、市場が変動し局面が大きく変わる時に戦略的に戦う事はできない。
富山和彦氏が主張する様に、日本企業では組織をあまり変えずに維持する人材を経営層に引き上げる傾向が強い。
そうして引き上げられた経営者が、目的意識を持って戦略的に組織を変えていけるとは思えない…