日々感じること。
2-3日高温が続いただけで「いつまで続くこの猛暑!」
梅雨時期に少し雨が降らなかっただけで「梅雨入りしてから降らない雨!」なんて特集が組まれる。
また、小麦や油や牛乳が値上がりするたび、「この値上がり!不況にのしかかる値上げの風」なんて報道がされる。
そのような報道がなされるたび疑問がわきます。
猛暑、猛暑と報道されるが、本当に猛暑なのか?
日本の夏は暑い。夏は暑いのが当たり前。だからこそちょっと前までは涼しく暮らせるように工夫をしたり、暑い時間は外にでないように、自然と共存する形で暮らしてきたはず。
それがどこかで歯車が違ってきて、暑いのがまるで敵のような形になっている。
私達人間は、便利なものを作って自然をわがもののように利用しているが、本来人間は、自然の中で生かされている。
特に人間だけが特別な動物でなく、生かされている。
この根本的なことに皆が気づけば、一つ一つの現象に対して右往左往せず、もう少し冷静に物事を見、判断できるようになるのではないかなーと思います。
食べ物の話。
私が小さいころはウナギが食べられるのはほんとにごちそうを食べられる特別な日だった。
お肉にしても、ケーキにしても、それは特別な日の特別なごちそうだった。
今のように、毎日日常のようになんてもちろんなかった。
いつの頃からか?回転ずしでウナギが見られるようになり、100円でショートケーキが買えるようになった。
その当時、事情を知らなかった私は「うれしい。毎日食べられる!」とのんきに思っていた記憶がある。
だけどそのようにするために、どういう背景があるか?
以前読んだ記事では最近養鶏では、鶏の脳の一部を取り、人間でいうと植物状態になった鳥さんにチューブで栄養を流し入れ、チューブで排泄物を排泄して養鶏するシステムが開発されているとのこと。
これが本当に実現されることを考えたら・・・。
恐ろしくて言葉が出なかった。安さを追求するために何をしてもいいのか?
しかし、そうさせているのは私達消費者。
「少しでも安く買いたい」という気持ち。大切な気持ちだけど、それらを作るためにかかるコストは支払う必要がある。
例えば牛乳。
「牛乳は毎日飲むから値上がりしたら困る」という消費者。
しかし、原油高、飼料の高騰などで、値上げせざるを得ない状況が生産者にはある。
そのものはどういう形でどのように作られるか?どのような思いで育ち育てられているか?
自然に寄り添いながら生きること。
本来食事とは命をいただくこと。「いただきます」という言葉には、命をいただくという意味が込められている。食べ物をいただくことは尊い命をいただくこと。
それで私たち人間は生かされている。頂く動物たち、もちろん野菜にも、命の中にはもちろんその魂も宿っています。
どのような思いで育ち、育てられたか?
育てた人の思いは?
それらがすべて食べ物に宿り、その魂が私たちを生かしてくれていると私は思っています。
食べ物に感謝の気持ちをもつことがあってもそのような劣悪な環境で育てることは決して許されないはず。
自然の流れに従いたい。
宇宙の秩序に寄り添いたい。
そういう風に生きていきたい。そしてそういう風に考える人が増えれば、世の中も少しずつ変わっていくのではないかと思います。
ものを選ぶ前に一呼吸おいて考えたい。
「それはどういうところで誰にどんな風に作られたか?そのものはうれしい気持ちになったかな?
うれしい気持ちになったら使う、食べる私もうれしい」
うれしい世の中にしたいですね~。



