前回の、信頼すると楽な話の続き。


あれからびっくりしたことがあった。

おトイレ掃除を床拭きまでしてくれるようになった旦那さん。


先日洗濯物に便座シートがあったので「変えるの?」と聞くと「うん。そんな気分やから」との返事。


私はかなりびっくりしてしまった。

「おトイレ掃除は旦那さんにまかせとこ」と信頼していたら(丸投げかも!)旦那さんが自ら便座シートを交換する!という奇跡がおきた。


しかも、その翌日またびっくりするような事が起こった。


次はお風呂掃除🧼の話(掃除ネタばかりです)

いつもは釜だけ洗ってくれる旦那さん。

平日なのにこちらの床拭きまでしてくれていました!?


私は目を疑ってしまいました。

数ヶ月前ならあり得ないこと。

聞くと、「何となく」らしい。

これには本当にびっくりしてしまいました。


何がどうなったのか分かりませんが、私は「きっとちゃんとしてくれるはず」と思っただけ。


思ったから、そうなったんだと思う。


多分人って、信頼されると「それに応えたい!」とか、「信頼を裏切りたくない!」

とかそういう感情を持つ生きものなのかもしれない。


それもあるだろうけど、多分意識の問題。

私が疑ったりするのをやめて「ちゃんとしてくれる!」と思うようなったから。


例えば看護師の例で。

新人看護師の指導の時。

見学しかしたことのない処置の準備をしてもらうというシュチュエーション。


確認大事なので、ちゃんと準備できているか、確認する。


その時の意識、マインド。

これによって、同じ確認するということが全く違うように作用する。


1.信頼してるバージョン

「一回見学してるし、あなたならきっとちゃんとできてるけど、念のため確認するね」


2.信頼してないバージョン

「一回しか見学してないし、新人だし、多分抜けてるんだろな。ちゃんと確認しないと」


「きっとちゃんとできてるよね。一緒に確認してみよう!」という意識と

「ちゃんダメできた?変なことになってないでしょうね?」という意識。

同じ確認でも全く違う。 

できていても、そうでなくても

1の意識だと「また頑張ろう!」となるだろうし、

2だと、「私を信頼してくれない」という卑屈な意識が出たり、「私ってやっぱりできない」とかそんな意識を生んでしまう。


多分夫が嬉しいことをしてくれるようになったのは私の意識が1から2に、変わっだからだと思う。

意識が変わると目の前が変わる、

全ての根源は意識なんだなーと改めて実感したエピソード。


そんな事を考えながら今朝メールを見ると、こんな言葉があった。


「信頼とは信頼に値する材料があるからするというものではなく、まず先に信頼してしまうことなのです。

信頼されると人はそれにこたえようとするものです。

by ジョセフ・マーフィー」


全てを信頼してゆだねられるようになろうと決めます!



「信頼すると楽になる」というお話。


私は今まで、「信頼する」ということが苦手な人だった。

自分でしたこと、見たこと、聞いたことしか信用できない。 

 もともと疑ぐり深い性格だったことに加えて看護師時代、「確認しました!やりました!」を信用したら、とんでもないことになっていた!ということを何度か経験し、「自分しか信用しないでおく」という癖がついたのかもしれない。

とにかく、「信頼して任せる」ことがなかなかできなかった。


だけど、人を信頼して任せてしまえばすごく楽になるということに、最近気づいた。


きっかけはささいなこと。

夫は毎朝おトイレの便器をゴシゴシ掃除をしてくれるのですが、、、。

ある休みの日「トイレ掃除したよ!」という夫に「床も拭いてくれた?」と聞いた。

「してない」とのことだったので、お願いした。

そしたらやってくれた。

翌日、平日。

いつものように掃除をしてたらおトイレの床がきれい。そして雑巾が濡れている。

だけどその時は一応お掃除した。

帰ってきた夫に、床も拭いてくれたかを聞くと、拭いてくれたとのこと。

「なんかキレイやったから、掃除してくれたかと思っててん。ありがとう」と言った。

そして、「夫がしてくれてるから」とありがたく思い、その日からおトイレ掃除はしなくなった。

かなり家事が楽になり、心も嬉しかった。

翌日から平日も毎日床のお掃除をしてくれるようになった。


ここからは私の人を信用できなかったちょっと黒い部分。


掃除でも何でも、私は自分のやり方というか、こだわりがあって、気になるとやり直しをすることがあった。

そして荒を見つけてしまい、夫を責めて「もう絶対せーへん!」などと言われ、ケンカをしてしまう、、、ということが過去に何度もあった。


夫を信頼して掃除を任せるようになってから心も体も本当に楽になった。

ちょっと大げさだけど、結局人を信頼すると、「私がやらなければ」という、「私が」とか「ねばならない」という余計なエゴみたいなのがなくなり、こんなに楽になるんだと実感した事例でした!

これには嬉しい続きがあり❣️

長くなるので、次回に書きます^_^



9月から11月までの3か月間「パーソナルシェフ養成講座」という講座を受けていました。

パーソナルシェフとは、一言でいうとプロの家庭料理人。

ハレの日の特別な日に食べる特別な料理でなく、ケの日、普段に食べる普通の料理。

だけど食べる人の体調、好みを考え、食材と会話し想いを込めて、普通だけどあなただけの特別な料理を作ります。

パーソナルシェフについて書くと、とても長くなってしまうので、改めて書きたいと思います。

今日はその中で感じたこと。


「レシピとマニュアル」について。

 

毎回の講座では、一汁三菜の献立を一人で全部作ります。

講座終了後に2週間後に行われる次回の講座の課題メニューが出され、2週間かけて予習します。

そのメニューのレシピ。

ほとんどのメニューは大体4行くらいでとてもシンプルで短い。

例えば

「ごぼう、ニンジン、シイタケ、玉ねぎ、をみじん切りにしてしんなりするまで炒める」という工程。

文にすると1行だけど

※みじん切りって、どれくらい?

※そのメニューで野菜のみじん切り炒めはどんな役割になるのか?

※食べる人はどんな食感を望むの?

※今日のお野菜はどんな感じ?

※野菜、どの順番で炒めると美味しい?

※しんなりってどんな感じ?etc

 

この一行だけでもいろいろ考える。

先生方からは「レシピの行間を読む」と教わりました。

 


あー、なるほど!と頭で分かりましたがなかなか難しい。。。

 

その時は思いませんでしたが

「これって病院のマニュアルと一緒」と思いました。

 

病院にはいろんなマニュアルがありました。

病棟を離れて5年以上経つので変わっているかもしれませんが。

私が勤めていた時は、

※病棟マニュアル、

※入院の際のマニュアル

※退院の際のマニュアル

※看護手順いう看護のマニュアル。

※クリティカルパス(入院した日から退院するまでに提供する治療、検査、処置、看護、食事、などが時系列に書かれた標準医療計画書のこと)


ドクター指示も、マニュアルがあって、それに主治医がチェックするようになっていました。

このマニュアルがあるおかげで、効率よく誰が担当しても一定のケアが提供できるようになりました。

クリティカルパスの導入は、患者さんも入院生活がどう流れていくのかイメージできます。

 

病院マニュアルと料理のレシピ。

一見全く違うように見えますが、同じです。

ともに羅針盤のようなもの。


目的は

「患者さんが安全に安心して医療が受けられ、よい状態になるために」


「美味しい料理が完成し、食べる人が楽しく嬉しく元気になりますように」

というゴールに向かうための羅針盤。

 

文字にしたらたった4行のレシピ。

たった1枚の医療マニュアル。

 

だけどその中にどれだけの想いが詰められているか。

食材は一つ一つ違う、季節も違う、食べる人も違う、何もかも違うから同じ名前の料理はあっても同じ料理はないと思う。

看護も。

同じ病気でも人なんて年齢、性別から始まり同じなんてありえない。身体だけでなく心もある。

同じ医療なんてあるはずがない。

だけどそれでも一定レベルのケアが受けられるように、と考えられたマニュアル。

だからマニュアルも、行間をよむことがすごく大事になる。 

なぜそうするか?

なぜこの薬を使うか?etc


ところがいつの間にか、マニュアルの為のマニュアル、記録に残す為の看護になってしまっていた事がある。

また、インシデントが起こるたびに新しいマニュアルが増え、そのチェックが増えていき、チェックする為のマニュアル、マニュアルの為のチェック、なんだか何の為にしているのか分からない事が多くなった。


マニュアルは大事。

だけど本当に大事なのは、目の前の患者さんが良くなる事。

患者さんが良くなるのに、マニュアル以外で対応した方が良いことなんてしょっちゅうある。

マニュアルなんてなくても必要ならする事も山のようにある。

だけど「そんな手順書いてませんでした!」という言葉を聞く度に「なんで、、?」と萎えてしまっていた自分がいた。


今回パーソナルシェフ講座を受講した際、逆に「そんな手順レシピに書いてないけどそのひと手間が必要だったのか!」と気づく事が何回もあった。


その時ハタと気づいた。


「レシピに書いてなくても、素材や目の前のお料理見てたら分かるでしょ?」ということ。


「マニュアルになくても、目の前の患者さん見てたら分かるでしょ?」と同じ。


そんな事すら今さら気づく、まだまだ青い私。

だけど青くても、成長すれば熟すはず。


未来も見つつ、一つ一つの目の前を大事にして、頑張ろう!