今日気づいたことです。
長文です。
まず、煮込みハンバーグについて
10年前くらいに通っていたお料理教室で、体験レッスンのメニューが煮込みハンバーグでした。
当時私はその料理教室が大好きで、本気でパンの講師を目指していました。
結局それはしなかったのですが、それはさておき。
その煮込みハンバーグが簡単なのに美味しくて、大好きで、当時の得意なメニューの一つでした。
嬉しくて職場の先輩に言うと「煮込みハンバーグって、市販のソースじゃだめなの?」って真顔で言われたことがありました。
「だめじゃないけど簡単で美味しいし、手作りの方がいいしなー」というのが感想でした。
オムツについて
最近出産された方の、おむつについての意見です。
一人の方
「最近のオムツ、すごく性能が良くて、この子はオムツが濡れて気持ちが悪くて泣いたことないよー。」
と。
もう一人の方(布おむつについての使用されています)
「布オムツ、濡れてたら気持ち悪いのかおしっこしなくて外すとするから試しにおまる座らせたらおまるでできて。感動した」と。
確かまだ1歳になっていない頃の話でした。
極端な例ですが、私の身近なところであった話です。
「ソースは手作り。市販のは添加物が、、、」
「手作りなんてやってる暇はない。
少しでも安く早く美味しくできれば。」
「紙おむつのほうが楽で動きやすい」
「布おむつのほうが早くオムツ外れる」等など。
今回はオムツと煮込みハンバーグでしたが、世の中には同様なことがいっぱいあると思います。
添加物
白砂糖
肉食
薬
医療等など。
私も色々意見がありましたし、今もあります。
だけど今日気づいたのですが。。。
ここからは、愛のことも入ります。
この世の中に不要なものってないですよね。
人が求めたからそこに生み出され、ある。
だからその「もの」は、人の想い、愛だなーっと。
その本来は、愛の結晶の「もの」が、私達の解釈でいいものにも悪いものにもなってしまう。
例えば「紙おむつや紙ナプキン」も、今は色々問題化されているけど、本来は「長時間オムツが変えられないとき、赤ちゃんが快適に過ごすには?」という愛の意識から生まれたもの。
ナプキンもそうだと思う。
布ナプキン派の私ですが、仕事中や旅行中は紙ナプキン使います。
お薬もそう。
はじめは「この痛みを取るにはどうしたら楽になるか?」の愛の意識から作られたはず。
レトルト食品も、そうだと思う。
「愛の意識から」できた。
最初はそう。
問題はそこからだと思う。
使い方。
本来「今の痛みを止める」目的の痛み止め。
「痛みをとりあえず止めて、生活改善して根本から良くしよう」だったら本来の目的だと思う。
「痛み止めで治った。よかった」チャンチャンではちょっと違う気がする。
本来「長時間オムツ変えられない為に」の紙おむつ。
旅行中と外出だけにして、あとは布使おう。
という使い方と、
「赤ちゃんも心地よさそうだし楽だからこれでいいか」という使い方は違うと思う。
問題は、そこに意識かを向けているかな?ということだと思います。
「なんとなく無意識に」がこわいです。
「無意識」だから気づかなうちに環境が破壊され、病名の付かない病気、アレルギー等の生活習慣病も増えている。なんか生き急ぎ、ものはあるけど満たされない、逆に捨てても満たされない気持ちが交錯している。
「〜している。」意識を持って行動する。
今回歯痛で何年ぶりかに鎮痛剤を飲みました。
日本で抜歯した時飲まなかったのに。
主人の同僚の方に頂き、飲むことも自分で決めて、飲んで楽になりました。
だけど帰ったら歯の治療します。
また、気になっていた歯ぎしりと食いしばりも相談し、甘味との付き合い方、食べ方も考
えます。
そうやって一つ一つの選択を、欲ではなく本来の愛の意識から意識的にする。
衣食住、生活すべて。
そうすると、必要なものは残り、そうでないものは淘汰されていくと思う。
そして、完全調和の、平和な世の中になると思う。
だから「あれがいい、これはだめ」はもういいかなー。
煮込みハンバーグとオムツから、色々考えました!

我が家でご飯会した時の、リクエストのあったポトフです。
美味しかったです。