生きてみたいもう一度 〜新宿バス放火事件〜 | romiromi@【毎日それなりに生きてます】

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適当波情報と、日々の些細なこと…(。-_-。)



重〜いテーマだけど、
実話っつー事で、
他に見るものもないので、
ワイン飲みつつ観てます

桃井かおり、やっぱいい感じ
この人の気だるい演技好き
昔似てるって言われたんだけどなぁ




こちら主人公の被害者ご本人らしい
事件後回復したものの、
色々後遺症もあり、
2014年にガンで亡くなったそうです

この映画も、
1980年の事件から、
5年後の1985年に発表されたもので、
画像の昭和感とかは否めないけれど、
考えさせられちゃいますね〜

せっかくの休みに、
あんま暗くなっちゃうのも考えもんなんで
次は楽しい映画DVDで見ようかな




STORY
1980年8月19日、
新宿駅のバス乗り場に停車中のバスの中で、
石井美津子は他の乗客とともに
発車時刻を待っていた。
その時バスに近づいてきた一人の男によって
バスが放火され、
瞬く間に炎に包まれた。
乗客たちはパニック状態となり、
美津子は炎を前に
逃げ遅れて大やけどを負う。
病院に担ぎ込まれた美津子は、
連絡を受けた家族や
仕事仲間の杉原が見守る中、
緊急手当が行われる。

美津子のやけどは
全身の80%に及び
四肢の運動障害も生じたため
中島医師の治療を受けることに。
また燃えた髪の毛を丸刈りにして
母・なお子に付き添われ、
長い入院生活を送ることとなる。
12月美津子は
辛い治療に耐え
複数回に渡る皮膚移植が完了し、
かろうじて一人で歩けるようになる。
美津子は久しぶりに喫茶店で杉原と会い、
事件当日逃げ遅れた理由を語る。
実はあの時
杉原に頼まれた金策のことや
杉原との不倫関係に心身ともに疲れ、
「死ねば楽になるかも」と思ったと告白。

事件以後世間では、
逮捕された容疑者・丸山の動向や
入院先で亡くなった
他の乗客のことがニュースで報じられる。
その後美津子は
肝機能の悪化を経て
春頃にようやく状態が安定するが、
体には痛々しいやけど痕が残る。
そんな中、
美津子は杉原の妻が
末期がんにより亡くなったことを知る。
夏になり退院した美津子だったが
運動障害などの後遺症により
一人で生活ができず
実家に身を寄せる。
数日後石井家を訪れた記者・斉藤から
丸山について質問された美津子は、
「丸山を恨んでいない。恨む体力もない」
と率直に答える。

ある日杉原が石井家を訪れ、
両親に美津子との結婚を許してもらい、
二人で夫婦生活を始める。
暮らしの中で美津子はふと、
生きることは
誰かの犠牲の上で成り立つと考え、
そこから
丸山と自身に重なる部分が
あるのではと考える。
また世間は丸山を
『凶悪犯』の一言で済ませるが、
美津子は一変した人生や
傷を負った体のことを思うと
簡単に片付けられない。
後日美津子は、
刑務所の丸山に
思いの丈を綴った手紙を出し
気持ちの整理をつける。

1981年の年の瀬が迫る朝、
美津子は杉原から突然
「死のうか」と言われ、
会社の借金の返済期限が過ぎたことを知る。
半信半疑の美津子だったが
愛する夫と死に場所を求めて旅に出て、
福井県の温泉宿に泊まる。
美津子は杉原に
心中を思いとどまらせようと
「二人で生きていきたい」
と素直な気持ちを伝える。