『幻の旅路』を読む 第3章−8 スペイン・ペトラ | 『幻の旅路』大湾節子のブログ

『幻の旅路』を読む 第3章−8 スペイン・ペトラ

http://ameblo.jp/wasansensei/theme-10093117674.html
http://ameblo.jp/wasansensei/theme-10093117674.html
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(21) 2016年06月09日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(22) 2016年06月14日
テーマ:『幻の旅路』を読む

マドリードで、ブーツの話 (P110)
10月9日 マドリード→グラナダ

大湾さんは、愛用のブーツを修理しなければならなくなりました。

旅が始まってから、ほんの数週間でかなりの距離を歩いたらしい。
昨日訪れたトレドの凸凹砂利道で足には完全に豆ができてしまうし、とうとうブーツの方がダメになってしまった。
新しい靴とも考えたが、靴擦れが怖い。
やはりこの靴を修繕してもらおう。


ホテルで靴屋はいくつかあると聞いて、大湾さんは訪ね回り、やっと修理ができる靴屋を探し当てます。
とりあえずの糊付けだけやってもらい、大湾さんはこの ブーツを翌年のヨーロッパ旅行でも愛用します。
イタリアのベニスで洪水被害に遭い、再び糊が剥がれたブーツを、靴修理店で頑丈に縫い合わせてもらうことができた、とのことです。

私にも、靴で困った、という経験があります。
大学入学記念に買ってもらった革靴、なかなかの高級品だったのですが、大学4年の時の教育実習初日に壊れてしまったのです。
始業前、小学2年生の子どもたちが遊ぼうというので、まだ背広姿のまま校庭に出て、ドッジボールをしていたら、靴の底が抜けてしまったのです。
これには参りました。
実習初日終了後、閉店間際の千葉駅ビルの靴屋に行って、買替ました。
家庭教師のアルバイト料1か月分の1万円が消えました。


ドイツの女の子ペトラに出会う

大湾さんは、午前中にブーツを修繕してもらった日、昼食を摂(と)ろうと、ホテルの斜め向かいにあるレストランに入ります。
そのレストランで、若い女の子に出会います。

突然「向かいの席に座っていい?」と声をかけられる。
見ると、ブロンドのショートヘアの若い女の子が私のテーブルの前に立っていた。
(略)
英語が上手なのでどこの国か聞いたら、ドイツ人だと答える。
彼女はニュルンベルクから来た留学生で、名前はペトラ。
スペインは二年目で堅苦しいドイツ人と違って、スペイン人は大らかで開放的で大好きだという。
(略)
このまま別れてしまうのは残念だと思っていたら、何と彼女の方から「今日はテストが終わってのんびりしているところだから、夜まで一緒につき合ってあげる」と、申し出てくれる。

ニュルンベルクといえば、私が大学のオーケストラで最初にトランペットを吹いた曲が、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーより 第1幕への前奏曲」でした。
人との交流とは、年齢差や性別、民族を越えて、最終的には人と人との相性で成立する、ということでしょうか。
大湾さんは、彼女とレアル宮殿に向かいます。

地下鉄を降りて表通りに出ると、入口のすぐ横の地べたにもの乞いの親子が座っていた。
マドリードの町なかではどこでももの乞いを見かけた。


そして、大湾さんはペトラから「ガイドブックにも載っていないこの国の意外な現実」を教えてもらいます。

いまのスペインの若い人たちは男女平等で、女性も男性と同じ教育を受け職業訓練も十分受けている。
(略)
しかし、少し前の世代の女性、つまり三十歳以上の女性はいままで何の教育も訓練も受けず、実際に社会で働いた経験もない。
それで一家の大黒柱の亭主が突然事 故や病いで死んでしまったら、主婦か母親役しかやったことのない女性は、ああして残された子供たちと一緒に道端でもの乞いするしか、生きるすべを知らな い。
この国ではこういう人達を十分援助する法律もないのだという。


驚きましたね。
フラメンコや闘牛など、「情熱の国スペイン」というイメージしか持ち合わせなかった私は愕然(がくぜん)としました。
つい最近まで、いわゆる社会福祉制度が乏しく、生活弱者には厳しい国だったのだ、と知って、ため息が出ました。

大湾さんも、「私も生まれた国や時代が違っていたら、いま私が持っている自由や権利は与えられなかったのだ」と思い、ペトラ嬢を「ただの可愛いブロンドの女子学生ではなく、しっかりした頭脳と温かい心を持った立派な女性だった」と讃(たた)えます。


「物乞い」で思い出しました。
私は人生で2度、物乞いする人に出逢っています。
一 度目は就学前、4歳か5歳の頃。
まだ現在の家屋が建っていなかった自宅の庭には井戸とぶどう棚がありました。
縁側に出て遊んでいると、まるで仙人のよう に、はだしで、白くて長いあご髭を生やし、髪の毛をきゅっと束ねた、修験者(しゅげんじゃ)のような白装束(しろしょうぞく)の老人が「井戸水を飲ませてもらうよ」と言って、手汲みポンプを 上下させながら、がぶがぶと井戸水を飲みました。
数分経ったでしょうか、いつまで経っても飲み終わらないことに気味わるくなった頃、ようやく、「ありがと う」と言って立ち去りました。

二度目は、小学4年生の頃。
「ごめんください」と声がしたので玄関に出ると、きちんとした身なりの40代後半の男性が、「物貰いです」と言います。
「モノモライ」の意味を目にできる病気のこととしか理解できなかったので、私は「えっ?」と聞き返しました。
男性は「物貰いです。乞食です」と言ったので、私がギョッとしていると「井戸水を飲ませてください」と言って、私が「どうぞ」と言うや否や、井戸水を飲んでから出ていきました。
髭は少し伸びていましたが、失業して間もない頃だったのではないか、と、今になって思います。

私は、じわりじわりと貧困が拡がって、住みにくくなった今の日本でも、「もの乞い」はありうるのではないか、と、危惧(きぐ)しています。


レアル宮殿で (P114)

大湾さんは出逢った若い女の子ペトラとともにレアル宮殿を訪れます。
そこで、ロシアのレニングラードから来たという好青年に出会います。
青年は大湾さんとペトラに小熊のバッチをくれました。

ユーモア一杯の美しい青年と立ち話をしたのは、ほんの十分かそこらだったが、国籍も年齢もこえて三人の心が触れあった貴重な瞬間だった。
宮殿の門に消えていくとき、私たちの方を振り返って何度も手を振ってくれた。


大湾さんは今回の旅からロス・アンジェルスに帰ったとき、ガラス飾りケースに小熊のバッチを収めました。
こういう出会いが旅の醍醐味(だいごみ)なのでしょうね。
綺麗な思い出とは本当によいものだと思います。

大湾さんとペトラ嬢は、 順番待ちして、ようやく観光客で混み合うレアル宮殿に入ります。

高価なコレクションが納められた豪華絢爛な部屋を次々に案内される。
ガイド嬢は誇らしげに、そしてとうとうとその価値を説明している。
ワァーすごいと単純に感嘆しているのはアメリカ人の観光客。
ここでもペトラは彼等と全く違う反応を示した。


アメリカ人の観光客が示した反応が、一般的な観光客の反応だと思います。
レアル宮殿に入る前、ペトラ嬢は大湾さんに、スペインではほんの少し前まで女性の地位が低かったことを説明しています。
思慮深い、真面目なドイツ人の女の子です。
そして、レアル宮殿でもペトラ嬢は・・・・・・

「こういう宝物を見ると我慢できない。
スペインではいまでも何百万人の親子がその日の食べ物を確保するために必死になって生活しているのに、こんな想像もつかない世界が存在している。
(略)
スペインでは莫大な財産を一家族(ブログ筆者註・王族のこと)が持っていて、路上には貧しい人が溢れている。
こんなコレクションを少しでも売って、そのお金を恵まれない人々の福祉にあてたらいい」と、思いがけないことを提案した。


大湾さんの文章によれば、ペトラは「若い女の子」ですから十代ではないか、と、推察します。おそらく、ペトラ嬢は彼女の人生の中で、それがスペインにいた間だけであったとしても、様々に見聞を広めてきたのだと思いました。

大湾さんは言います。

ペトラは毎日不公平な現実を目撃している。
純粋で正義感が強い彼女は高価な国宝を見て感激するより、怒りの方が出てきてしまうのだ。


豪華な調度品を見て、単純に驚いたり喜んだりすることは普通の反応ですから、咎(とが)められる筋合いのものではないわけです。
しかし、若いペトラ嬢は異なった反応をした。
そこが、大湾さんにとっては新鮮に映ったのでしょう。

ガイドが「これは××女王が三歳のときの肖像画です」と説明するのを聞いて、ペトラが耳元で囁く。
「あれで三歳ですって。
第一、ポーズから衣装にしろ、なん て大人っぽくて不自然なんでしょう。
自分たち一族がどんなに権力があるかを誇示しているのよ」。
彼女の素直な遠慮のない意見を聞いて、こんな見方もあるの かとおかしくなった。


このペトラの台詞(せりふ)には笑いました。
ペトラは極めて真面目な子なんですね。
私は、今、まさに日本で、毎日のようにテレビのワイドショーを賑わせている、都知事の顔つきと言動をペトラに見せて、感想を聞きたいものだ、と、思いました。

大湾さんは、宮殿から出て、半日つき合ってくれたペトラと別れます。
そして、大湾さんは、翌年ドイツに行った際、ニュルンベルクの彼女のアパートを訪ねましたが、残念なことに会えなかったとのことです。


『ペトラ』

私がマドリードで会ったドイツの女子大生ペトラはとても正義感の強い女性でした。
スペインに住んでいる外国人、あるいは留学生が全員彼女と同じ考えかどうかわかりません。
でも、少なくともペトラはとても純粋な社会の不正や格差にとても敏感な女性だったようです。

私も彼女に出会わなかったら、ただの旅行者で、道端で物乞いをしている親子を見かけたらかわいそうにとか、汚いとかそんな単純な感情しか浮かんでこなかったともいます。
その現象の裏にある厳しい庶民の現実までには目が行き届かず、彼女の鋭い社会批判を聞いて、初めてスペインの裏面を知りました。

ペトラは宮殿を訪ねたときも、まったく想像もつかないことを提案しました。
私たちのようなその土地に知識の乏しい旅行者は、宮殿内の豪華絢爛(ごうかけんらん)なインテリアや装飾品を見て、「わぁ~、すごい」と、感嘆の声をあげるだけにとどまると思います。
ところが、ペトラは宮殿内の装飾品の一つでも売って、困っている人たちを助けたらいいと言うのです。
彼女はとても心の温かいヒューマニストな女学生だったんですね。

その翌年(1981年)ドイツに行ったとき、ニュールンベルグの彼女のアパートを訪ねました。
列車とバスを乗り継いで行ったのですが、残念なことに会えませんでした。

こうして旅先で出会った人々とは、再会が殆ど不可能です。
でもペトラのように一緒に過ごした時間はとても短いのですが、いまでも私の心の奥深くに残っていて、いろいろな考え方や見方に影響を与えた人々がたくさんいます。


2012年4月に載っていたある記事を読んで、32年も前にペトラの言っていたことを思い出しました。
スペインのフアン・カルロス1世国王(74)の記事です。
皆さんも覚えていらっしゃるかもしれませんね。

その頃、スペインは失業率が23%に達し、カルロス国王は「高い失業率で夜も眠れない」と報道陣に語っていました。
なんと優しい思慮深い国王でしょう。

ところが、その数週間後に、彼がアフリカのボツワナでこっそり象狩りをしていたことが発覚しました。
彼が多額の費用を費やして象狩りに出かけたことは、国民はもちろん、政府の関係者にも殆ど知らされていませんでした。
仕留めた象の前で満足げな表情の国王の記念写真まであります。

じつは、狩猟中に転んで大怪我をし、急遽(きゅうきょ)マドリードに運ばれて緊急手術をする羽目になったのです。
それで彼の豪華なお忍び旅行が発覚したのです。

また、こんな記事も載っていました。
国王の次女の嫁に当たる元ハンド・ボール五輪代表選手(イニヤキ・ウルダンガリン公)が、公金500万ユーロ以上も流用した疑いがあるというのです。

今年問題になったパナマ文書によると、国王の祖母も税金回避のためにパナマの金融会社を利用していたとういことが暴露されました。
そのことは彼女も認めています。(2016年4月7日)

仕事がなくて苦しんでいるスペイン国民の怒りが伝わってきますね。
ペトラの言っていたことがよくわかりました。

(次の『バーニー・サンダース氏』の記事に続きます)
http://ameblo.jp/romantictravel
2016-06-14 06:52:12
『バーニー・サンダース氏 (Bernard “Barnie” Sanders)』
テーマ:├アメリカのニュース



幻の旅路―1978年~1984年 ヨーロッパひとり旅/大湾 節子

¥2,940
Amazon.co.jp

海外:著者から直接お求め下さい。($20)