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2016-07-10 09:27:44

『幻の旅路』を読む 第3章−9 スペイン・グラナダと『お上りさん』

テーマ:素人学者さん 『幻の旅路』を読む
ショパンの曲:Chopin Nocturnes 大湾節子 ヨーロッパ 旅の写真 
『幻の旅路』

THE COLORS OF SERENITY
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(1:27)


6Granada,Spain19870412
1. Granada, Spain 1987.04.12

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大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(24)
2016年06月16日
テーマ:『幻の旅路』を読む

グラナダ (P116)
10月10日 マドリード→グラナダ

大湾さんが到着したグラナダは、「水に恵まれた潤いのある町」と書いてあったガイドブックは現実とは違ったようです。

駅の外に一歩出たら、道路工事でもしているかと思うくらい、そこら中に砂埃がたって、非常に乾燥している。

海外旅行をするときに、ガイドブックは鵜呑(うの)みにすると危険なのでしょうか。
それとも、たまたまグラナダが激変したのでしょうか。

田舎臭い駅に若い日本人女性が三、四人固まって降りてくる。
彼女たちのまったく場違いなハイファッションが一際目立つ。
何がおかしいのか、げらげらと大声を出して笑いこけている。


彼女たちは「ハイファッション」以上に「ハイテンション」だったのですね。
こういうシャレは英語でも通用するのでしょうか?
この光景を読んで、私は「おのぼりさん」という言葉を思い出してしまいました。

おのぼり‐さん【御上さん】 見物などのために都会に出て来た田舎者をからかいぎみにいう語。
国語大辞典(新装版)小学館 1988
おのぼりさん【お上りさん】
〔軽蔑(けいべつ)して〕a bumpkin; a rustic
プログレッシブ和英中辞典 第2版 小学館 1986,1993 (注1)

大湾さんは、ホテルへ向かうために、彼女たちとタクシーに相乗りします。
彼女たちは羽田空港で働いているとのこと。
なるほど、職業柄、当時としては「ハイファッション」だったのかもしれません。

スペインだけ観光に来たというのに、みんなすごく大きなスーツケースを持っていて、全員の荷物をトランクに入れるのに苦労する。
(略)
一人旅をしていると言ったら「いいですねェー」「すごいですね ェー 」と口々に感心している。
私の旅の現実など想像もつかないのだろう。


彼女たちは、ごく一般的な若い日本人女性なのでしょう。
ですから、憧れの海外旅行に出た、という事実が、彼女たちをして「ハイテンション」にしていたのでしょうね。
彼女たちは、それほど旅慣れていないので、あれこれ心配して不要な荷物を詰め込んだのでしょう。
おそらく、彼女たちにペトラの言葉を伝えても「へェ~、そうなのですかァ~」という感想しか出てこないでしょうし、大湾さんの旅の現実を想像することは不可能でしょう。

そして、大湾さんは「宿泊料金は安いが、シャワーの湯がぽたぽた程度しか出ない」ホテルに到着します。


アルハンブラ (P117)

夕涼みに町の人々が三々五々、アルハンブラの丘に登っていく。
(略)
眼下にグラナダの町が一望できる城塞まで登りきる。
夕日はたったいま向こうの山の端に沈んだばかりで、辺り一面薄紫と茜色(あかねいろ)のベールに包まれ余韻が漂う。
(略)
厳かで静寂な空気が流れる。
どこからか美しく物悲しい『アルハンブラの思い出』のギターの旋律が聞こえてくるようだ


写真 1987.04.12 「グラナダ、アルパイシンの丘 木陰の下が村人たちの憩いの場

大きな銀杏(ギンナン)のような気が生い茂っている木陰に、多くの人たちがベンチに腰掛けています。
その後ろには小窓が並ぶ、日本の瓦屋根のような屋根がある白い建物が見えます。

1987年は、私にとっても思い出深い年です。
勤務校が文部省(当時)指定の全国公開研究会の研究校として、10月には全国公開を控えていました。
私は研究副主任として準備に忙殺されながらも、大学院進学のための県教委の試験を受け、8月には大学院を受験しました。
若かったからできたのだ、と、今は思います。

アルハンブラの思い出」で思い出しました。
あの美しい旋律を、私がギター演奏の曲だと知ったのは、初めてLPレコードで聴いてからずっと後のことです。
私 が最初に「アルハンブラの思い出」を聞いたのは、イタリア人のトランペッター  ニニ・ロッソ (Nini Rosso)のLPレコードでした。
ですから、私は、この曲はトランペットのための曲だとばかり思っていました。
何年も経ってから、NHKテレビの音楽番 組で、ギターの曲であることを知りました。


(注1)
『私こそお上りさんです』


『お上りさん』って、なんだか古臭いニューアンスがありますね。
それに、どこか温かい視線があります。

『お百姓さん』とか『お上りさん』とか、昔は普通に使われていた語が、いまは差別語とかいろいろと言葉の使い方が厳しくなって、簡単に言葉を選べなくなりました。

お上りさんの英訳は、rustic。
これは、初めて知りました。
Rusticは、荒々しいカントリースタイルのインテリアなどの時に使いますが、「地方の人」、「田舎の人」、「垢抜けない人」など、『人』という意味もあることを知りませんでした。
この場合は「名詞」で使っていますね。
田舎の人たちを半分からかい気味に、Hillbillyともいいます。

a bumpkin; a rusticの英語の意味は、
an unsophisticated or socially awkward person from the countryside.
地方からやってきた都会風でない野暮な感じの人を指す、と書かれてあります。

ロンドンや東京など、昔は地方からやってきたた人たちは、一目でわかって、彼らのことをそう呼んでいたのでしょう。
でも、いまは地方もすっかり変わって、都会の人も地方の人もまったく区別がつかないでしょう。

ロス・アンジェルスには『お上りさん』はいませんね。
第一、この町には、典型的はロス・アンジェルス人がいないのです。
皆、その他大勢で、様々な人種や人々が集まって暮らしています。

私は、日本で英語を習っていた時に、ソフィストケート(sophisticate)という語は、「経験を積み過ぎた、スレた人」という意味で、悪い意味に使うのかと思いました。
でも実際こちらで使われている意味は、「とても洗練された」という意味で、最高の褒め言葉です。
グレス・ケリーなど、上品な女性を指す言葉です。

2008年、私は16年ぶりに帰国しました。
まさに浦島太郎、リップ・ヴァン・ウィンクルでした。
( “Rip van Wincle”:19世紀のアメリカの小説家ワシントン・アーヴィングの短編小説)

100歳で亡くなった日系の婦人のお古のスーツを着て赤坂の町を歩いたら、自分でも気が付きました。
洗練された近代都市にはまったくそぐわない服を着ているなと。

銀座の和光の前で待ち合わせた時もそうでした。
何十年も前のウールのスカートと友人から譲ってもらったスェーターを着て現れたら、友人は私と一緒に歩くのをためらっていたようでした。

服装だけでなく、マナーも野暮で粗野になっていますから、外見や品格を大事にする人にとっては、私のような『お上りさん』と一緒に歩くのは恥ずかしいのではないでしょうか。

母が生きていた頃に上野の美術館に行きました。
帰りに見かけた人たちです。
地方から東京見物に上京したようで、「ああ、疲れた」「東京は広いね」と、一休みしている彼らの話し声が聞こえてくるようでした。

なんだか『ほのぼのとした心温まる光景』だったので、淡い夕日の中の彼らにカメラを向けました。
地方から来た方たちで「お上りさん」とわかる雰囲気を持った人たちですが、決してからかいや高い視線から見て写真を撮ったのではありません。
ご覧になったらお分かりになると思います。


10Tokyo,Japan1986.11.06
2. Tokyo, Japan 1986.11.06 (上野・東京都美術館前の広場にて)


とてもユニークな『幻の旅路』の読後感を書いてくださった素人学者さんは、下の2つの記事を載せた後、ずっとお休みしています。
2、3年かけてゆっくり完成しましょうといっていた合作の読後感のブログも当分の間お休みいたします。
あるいは、これまで十分書き留めてくださったので、これでおしまいにするかもしれません。

脳梗塞 2016年06月28日
テーマ:生活の1シーン
しばらく休みます。

詩作12016年06月30日
テーマ:生活の1シーン
詩を作ってみた。

左手がある。
まだ左手がある。

左手で書こう。
描こう。

素人学者さんへ

Slowly but surely, it just takes time.
Hope each day finds you feeling better and better
.

ゆっくりですが、確実に良くなります。
ただ時間がとてもかかります。
1日1日、良くなっていくように心からお祈り申し上げます。

ご多忙の御身で、思うようにならないことが多く、焦ったり気が滅入ったりすることがあると思います。
どうぞこの際、十分お身体をお休めになって、1日も早くご回復なされますように心からお祈り申し上げます。


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大湾節子 ヨーロッパ・カメラ一人旅 第2部
『幻の旅路』“Maboroshi no Tabiji” (“Revived Journey”) 大湾節子
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『幻の旅路』大湾節子のブログ-4PR外テーブル


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2016-06-20 10:38:42

『幻の旅路』を読む 第3章−6 フランス オーストラリア人の夫婦

テーマ:素人学者さん 『幻の旅路』を読む
ショパンの曲:Chopin Nocturnes 大湾節子 ヨーロッパ 旅の写真 
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大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(16) 2016年05月16日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(17) 2016年05月16日
テーマ:『幻の旅路』を読む

「第3章 1980年、第三回目の旅」
9月15日~11月25日 71日間 七ヶ国
イギリス→オランダ→フランス→スペイン→モナコ→イタリア→ギリシャ→イタリア→モナコ→フランス→オランダ→フランス→イギリス


今回読んだページには、これまでに読んできたページの中で、もっとも感動的な、胸に迫るお話が綴られていました。
『幻の旅路』が単なる旅行記ではなく、「人生紀行」と呼ぶべき作品であることを確信しました。

ラ・ロシェルでオーストラリア人の夫婦に出会う (P97)
10月3日 ラ・ロシェル

駅の小さな案内所で情報を得ようとしたが、言葉が通じない。
それでも町の中心に出るには、駅前の道を真っ直ぐ歩いていけということだけは分かった。
案内所で後ろに立っていた家族が、親切にも自分たちの車に乗っていきなさいと申し出てくれた。

このように、見返りを求めない親切って、本当に心から感謝の気持ちが湧いてきますね。

私は、39歳の年に市教委の指導主事になりました。
20年以上経ったので時効と考えて書きますが、学校現場とは何もかも勝手が違う教育行政の仕事に慣れず、 ほとほと困っていたときに先輩指導主事に助けを求めました。
先輩は、私の質問に耳を傾け、ていねいに教えてくれました。
はじめは、ただただありがたかったのですが、やがて気がつきました。
先輩は、私の質問に答えるとき、チラッチラッと、向こうの席の上司の顔を確認していました。
「ちゃんと見てくれていますか? 私はこんなにも親切に後輩指導主事の指導ができる人間ですよ」と、上司に対して、彼自身の素晴らしさを無言でアピールしているようでした。
そのことに気づいてからは、先輩を頼る頻度が激減(げきげん)しました。

一階のバーで一息つこうとテーブルに着いたら、向こうから見慣れた中年の夫婦がやって来る。
二日前、モン・サン・ミッシェル城を見学していたときに出会ったオーストラリア人だ。
(略)
彼等は六十歳前後だと思うが、思い切って仕事の権利を売り渡し、足腰がまだ丈夫な間にゆっくりヨーロッパを見て回っているのだという。
(略)
不便な簡易ホテルでも文句を言わず贅沢もしない。
愚痴をこぼしたり病気をしたりする暇がなさそうな夫婦で、その瞬間瞬間を精一杯楽しんで生きているようで一緒に話をしていてとても楽しかった。


(P98) 写真 1984.04.06 「メルボルンの公園で 4年後モリーとパットを訪ねる

写真には、人柄の良さがにじみ出ている老夫婦が写っています。
写真の説明には「メルボルン」、「4年後」と書かれています。
つまり、大湾さんは、ラ・ロシェルで出会った老夫婦の住むオーストラリアで、老夫婦のモリーさんとパットさんに再会するのです。

日本の古い諺(ことわざ)を思い出しました。
袖振り合うも=他生(たしょう)[=多生(たしょう)]の縁
見知らぬ人と袖が触れ合う程度のことも前世からの因縁によるとの意。
どんな小さな事、ちょっとした人との交渉もすべて深い宿縁によって起こるのだということ。
(国語大辞典(新装版)小学館 1988 より引用)

モリーさんとパットさん夫妻と大湾さんのふれあいの様子が99頁に書かれています。

それから四年後の1984年四月、私はオーストラリアのメルボルン郊外ビクトリアに彼らの家を訪ねた。
(略)
着いた日には白い刺繍入りのベッドカバーの上の枕元に、一輪のばらの花とチョコレートが置いてあった。
私の滞在中、彼らは奥の小さな部屋に移り、私には自分たちの寝室を提供してくれた。


旅先で知り合った友人を、 こまやかな心遣いでもてなしてくれる老夫婦の様子がよくわかり、読んでいて「ああ、国とか国境とかとは関係なく、よい人は世界中にいるのだな」と、嬉しくなりました。

そして、さらに感動的な場面は続きます。

次の目的地に出発する朝、二人でメルボルンのバスターミナルまで送ってくれ、私がバスに乗り込むとき、奥さんが茶色の紙袋を手渡してくれた。
バスの中で袋を開けてみたら、彼女が朝出発前に用意したと思われるサンドイッチとクッキーとバナナが一本、なかから出てきた。
思わず目頭が熱くなった。


些細(ささい)な事と言ってしまえばそれまでですが、一人旅を続ける大湾さんには、モリーさんの、打算の無い、心から友人の旅の無事を祈る気持ちが伝わってきたのだと思いました。
読んでいる私まで目頭が熱くなりました。

そして、衝撃的な出来事が訪れます。

2006年11月27日、(略)オーストラリアから突然電話が入った。
最初よく聞き取れなかったが、モリーという女性の名前を聞いてすぐ分かった。
彼女の息子からで、母親が衰弱して亡くなったという知らせだった。
私とは会っていないが、いつも両親が話していたからよく知っているといっていた。

彼の電話で一瞬にしてラ・ロシェルで彼らに会ったときのことが思い出されてきた。
そのときのことを電話で話してあげると、息子も一緒に泣いていた。
次の日、Eメールで両親と私が一緒に写った写真を葬式に飾っていいかと尋ねてきた。
彼女は享年(きょうねん)八十七歳だった。
彼らとラ・ロシェルで出会ったのは二十六年前だから、丁度あの頃モリーはいまの私の歳だったのだ。


旅先で出会ってから26年。
何という長い年月でしょう。
旅で出会った人との交流とは、物理的な交流とともに、心の、精神的な交流として継続されるのだな、と、深く感動しました。

26年経って、国際電話とEメールとで友人の葬儀に「立ち会う」ことができたという事実は、大湾さんの旅が言葉どおりの「幻の旅路」ではなく、「確固として存在した人生航路」であったことの証明であります。

冒頭にも書きましたが、今回読んだページには、これまでに読んできたページの中で、もっとも感動的な、胸に迫るお話が綴られていました。
本当によいご本を読ませていただき、著者の大湾さんには心から感謝申し上げます。
このあと、2匹の猫の話も登場するのですが、読後感が長くなりましたので、次回に譲らせていただきます。

ラ・ロシェルでオーストラリア人の夫婦に出会う  (P99)
10月3日 ラ・ロシェル

大湾さんには愛猫が2匹いました。
ラ・ロシェルで出会ってから26年もの長い年月、交流のあったモリーさんが 2006年11月27日にお亡くなりになったという連絡を受けたとき、15歳になる愛猫の1匹が重い病気にかかっていました。

写真 「傷ついた心の幼女を助けてくれた兄弟猫のアルバート(上)とアンカー
2002.09.01(上)/2003.07.01(下)
2枚の写真の猫は、大湾さんのブログに紹介されている2つの動画に登場している猫たちではないか、と、思いました。
間違っていたらごめんなさい。
この動画というのが、大湾さんがテレビ局から取材を受けた番組で、下記のYouTubeに公開されています。

その通りです。
これらのDVDを作る直前に、最後の1匹の猫が亡くなりました。
これらの作品は猫たちの思い出と愛情を込めて、『3匹の猫たちに捧げる』意味で作りました。
DVDの最後の部分に猫たちの写真が載っているのは、そのためです。
皆さんもお時間がある時に是非ご覧ください。


Setsuko Owan Travel Photography Part 1
“Seko’s Photo Journey” Part 1
大湾節子 ヨーロッパ・カメラ一人旅 第1部
『幻の旅路』“Maboroshi no Tabiji” (“Revived Journey”) 大湾節子

モーツアルトの曲:Music: Wolfgang Amadeus Mozart-Piano Concert No. 21-Andante
https://youtu.be/yUf3Gh42OeQ
軽快な曲:Lively music
https://youtu.be/_JIYv6eBG4M

YouTube Setsuko Owan Travel Photography Part 2
“Seko’s Photo Journey” Part 2
大湾節子 ヨーロッパ・カメラ一人旅 第2部
『幻の旅路』“Maboroshi no Tabiji” (“Revived Journey”) 大湾節子
モーツアルトの曲:Music: Wolfgang Amadeus Mozart-Piano Concert No. 21-Andante
https://youtu.be/N5cWvsNZ6NE
軽快な曲:Lively music
https://youtu.be/xAVcyh0YwIw



幻の旅路』という書名を英訳したものが “Revived Journey” なのでしょうか。
revived は「改訂された」というような意味だと覚えていますので、 “Revived Journey” は「旅路の改訂版」。
すなわち、「本書を書き上げることで旅路を振り返る」という意味なのでしょうか。
これまた間違っていたらごめんなさい。

Revivedという意味は、蘇生(そせい)する、一旦死にかけた人が生き返る時などに使います。
『幻の旅路』の出来事は30年以上も前の出来事で、私が書き始めてから、実際一冊の本になったのは、30年経っていました。
屋根裏部屋に埃に埋もれていた物が、やっと光に当てられたという意味で、『幻』という題がつけられ、それにふさわしい意味は「蘇(よみがえ)った旅路」を英訳して“Revived Journey”としました。
題名については、下記のあとがきに詳しくブログに説明してあります。

http://ameblo.jp/romantictravel/theme-10070623912.html
2013-06-10 07:34:54
『幻の旅路』 あとがき~人生への思いを遥かなる旅路に込めて
テーマ: ├ あとがき~遥かなる旅路に込めて~

この紀行文は最初「三十代、ヨーロッパを一人歩く」という仮題をつけていたが、塩澤幸登編集長から「幻の旅路」という題名はどうかとの提案があった。
「幻」という言葉は「幻の幽霊船」というイメージがあって、どうもピンとこないと返事を送ったところ、日本では「幻」という語は、長い間日の目を見ず埋もれていたものが発見された時にも使うと教えられた。

日本の新聞をよく見ると、なるほど「幻の酒」とか「幻のウイスキー」、あるいは「幻の邪馬台国」というように、「幻」という言葉が決して否定的な意味には使われていない。
この題名を英語に訳すと、「Revived Journey (蘇った旅路)」とでもなるだろうか。

確かに、四、五十年前に学んだ日本語で、三十年前に書いたこの日記は、現代の日本を知らない浦島太郎が書いたような話である。
埃の積もった屋根裏部屋でがらくたのなかに埋もれていた日記のように、内容も表現も古くてカビ臭いのは当然。
塩澤編集長が考え出して下さった題名がピッタリのような気がした。

(以下略)

Revivedと1字違いの Revisedは、学者さんがおっしゃっている「改訂する、訂正する」という意味になります。
何回も書き直してので、確かに『幻の旅路』は、書き直しながら、昔の旅路を振り返ると言う意味にもなりそうです。



実はこの猫は十五年前(1991年)シェルターから引き取った美しい兄弟猫の一匹だった。
私たち夫婦は大好きなスイスの画家「アルバート・アンカー」の名を取って、それぞれの猫に「アルバート」と「アンカー」と名付けた。
(略)
それから三年後(1994年)、日本人の生みの親とアメリカ人の養親に何かの事情があって二回も手放され、心に深く傷を負った三歳十ヶ月の日本人の女の子を引き取った。
いままで愛されたことも愛することも知らなかった彼女に、二匹の猫が愛することを見事に教えてくれた。


これが本書『幻の旅路』に大湾さんの娘さんが初めて登場する場面でした。
二匹の猫たちは、単なるペットではなく、娘さんの人生の初期、娘さんの人間形成に大きく関わったことがわかります。
猫たちの存在が娘さんの心身の成長に計り知れない役目を果たしたのだ、と、思いました。

そして、この文章には「私たち夫婦」と書かれていますから、大湾さんのご主人様が本書に登場したのも、この文章が初めて、と、いうことになりましょうか。
また、猫たちを「シェルターから引き取った」と書かれています。
「シェルター」を直訳すれば「避難所」になりますから、おそらく二匹の猫は動物を一時的に保護する施設にいた、と、いうことなのでしょうか。

アニマル・シェルター (Animal Shelter)は、捨て猫やこれ以上飼うことのできない犬猫を一時的に預かって、保管する施設です。
ある期間保護されますが、引き取り手のない動物たちは、殺処分されます。
デイビットが連れてきた老猫(『結納金は猫一匹』に登場する猫のこと)が死んだ時、絶対ペットは飼わないと誓ったのに、シェルターにいた2匹の兄弟猫を見た途端、誘惑に負けて、引き取りました。
この猫たちは命拾いをした恩返しに、傷ついた幼女の心を癒してくれました。



彼女が愛することを少し学びかけたときに、アンカーが十四ヶ月もがんと闘った後、十三歳で死んでいった。
そしてアルバートは、この旅行記が完成するまで何とか生き延びておくれと願っていたら、椅子から二回も落ちて腰を骨折し完全に動けなくなったにもかかわらず、九ヶ月も病気と闘って、2007年6月29日、 ちゃんと私が原稿を書き終わるのを待って逝った。
二匹ともまるで「僕たちのお役目は終わりましたね」といわんばかりの立派な死に際だった。


私は動物を飼っていませんので、実感として理解することは困難ですが、ペットの動物は飼い主の人間にとって、家族の一員として愛されているのだ、と、いうことがよく分かりました。
猫の13歳というのは、人間に例えると何歳になるのか、私には分かりませんが、恐らくは、高齢だったのだと推察します。

いずれにしても、ラ・ロシェルは、大湾さんにとって、血の通った温かい思い出の地であったことには違いありません。
そして、旅で出会った人たちとの交流が人生の中で大きな意味を持つことがある、と、いうことも、私は『幻の旅路』から学びました。


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アルアン箱
Albert & Anker 1991


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アルベッド
Albert 1992


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アル庭
Albert 2002


『幻の旅路』大湾節子のブログ-アン庭
Anker 2003

(以下の2つのブログに全文引用しています)

http://ameblo.jp/romantictravel/theme-10050134031.html
2011-11-29 05:07:04
『幻の旅路』よりAlbert & Anker
テーマ:├ CATS 猫自慢

2006年11月27日、十五歳の猫がもう何週間も嘔吐を繰り返し、食事もしなくなって死が間近に迫ったことが分かって悲しんでいた時に、オーストラリアから突然電話が入った。
最初よく聞き取れなかったが、モリーという女性の名前を聞いてすぐ分かった。

彼女の息子からで、母親が衰弱して亡くなったという知らせだった。
私とは会っていないが、いつも両親が話していたからよく知っていると言っていた。

彼の電話で一瞬にしてラ・ロシェルで彼等に会った時のことが思い出されてきた。
その時のことを電話で話して上げると、息子も一緒に泣いていた。
 
次の日、Eメールが送ってきて、両親と私が一緒に写った写真を葬式に飾っていいかと尋ねてきた。
もちろんオーケーと返事をしたが、彼女は享年八十六、七歳だと言っていた。
彼等とラ・ロシェルで出会ったのは26年前だから、丁度あの頃モリーは今の私の歳だったのだ。
そう考えると、なおさら感慨深い。
葬式には体は参加できないが、心は参加すると言ったらとても喜んでいた。
 
今にも死ぬかと思っていた猫はそれから何ヶ月も生き延びた。
11月から友人の獣医さんの所に週三回点滴とビタミン剤をうちに行った。

12月末、長年使っていた化学性のクリーナーを使わなくしたら、嘔吐がぴたっと止った。
しかしその頃には、右腕にできた腫瘍は二倍に膨れ上がり、腹の中の腫瘍はグレープフルーツ大に拡大していた。

翌年の2月になったら、水道栓を止めた後に水道をひねると勢いよく水が飛び出るように、毎日水便が続いた。
3月呼吸が異常になり苦しそうだったので、病院に連れて行くのを止めた。
点滴を上げなくなったら、今度は下痢がぴたっと止った。

(以下略)


http://ameblo.jp/romantictravel/entry-11091391635.html
2011-11-28 01:22:56
うちの猫自慢 Albert & Anker
テーマ:├ CATS 猫自慢


『幻の旅路』大湾節子のブログ-4PR外テーブル


あなたの町の図書館にも『幻の旅路』を1冊、置いてもらってください。
お家の近くに図書館はないですか?
次回、図書館をご利用することがございましたら、
『購入希望図書』として『幻の旅路』を申請してください。
ご負担にならなかったら、是非よろしくお願いいたします。

また、あなたの町の図書館や母校に寄贈をご希望の方も、遠慮なくお申し出ください。
送料、手数料など私が負担して、『本の泉社』を通してお送りいたします。
本名『幻の旅路』
発行『2010年8月30日』
著者『大湾節子』
発行所『茉莉花社(まつりかしゃ)』
発売所『本の泉社』


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幻の旅路―1978年~1984年 ヨーロッパひとり旅/大湾 節子

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下記の地域の町の図書館、および大学の図書館に『幻の旅路』を寄贈いたしました。
2015年:
沖縄県・長崎県・福岡県・鳥取県・広島県・兵庫県・大阪府・香川県・愛媛県・東京都
2016年4月:
京都市・三重県・滋賀県・奈良県・和歌山県。愛知県・岐阜県・静岡県
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2016-06-20 10:34:28

『幻の旅路』を読む 第3章−7 フランス・スペイン 駅のホームで

テーマ:素人学者さん 『幻の旅路』を読む
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大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(18) 2016年05月22日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(19) 2016年05月29日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(20) 2016年06月06日
テーマ:『幻の旅路』を読む

今回は、ラ・ロシェルという駅で、大湾さんが、映画『ダイ・ハード (“ Die Hard”)』のブルース・ウィルス (Bruce Willis) 張りの冒険活劇(?)を演じたのです。
私はハラハラドキドキ、あるいは拍手しながら、あるいは笑いながら、読み進めました。

臨場感を表現したいため、『幻の旅路』の本文からの引用が多くなりましたが、ご了承ください。

ラ・ロシェルの海辺の風景 (P100)
10月4日 ラ・ロシェル→ボルドー

写真 1985.08.18 「ノルウェーの美しい港町バーゲン、展望台から湾と対岸を望む

ノルウェーといえば「フィヨルド」という言葉を思い出します。
地理の授業が好きではなかった私でも覚えている言葉です。
ウィキペディアで確認すると
フィヨルド(ノルウェー語等:fjord、異称:峡湾、峡江)とは、氷河による浸食作用によって形成された複雑な地形の湾・入り江のこと。
ノルウェー語による通俗語を元とした地理学用語である。 湾の入り口から奥まで、湾の幅があまり変わらず、非常に細長い形状の湾を形成する。
中学生の頃、「氷河ってすごいな!」と驚いたことを思い出しました。

この場所で景色を見ていた大湾さんは、遠くから見られている視線を感じ、案の定、大湾さんに視線を注いでいた一人の男性からドライブに誘われます。
幸い、その男性は「悪い奴」ではなかったようです。
それにしても、大湾さんはモテますね!

ラ・ロシェルの駅で (P102)

スペイン行きの列車は夜八時発。
辺りはもう真っ暗。駅の構内に十人ほど映画の関係者が列車を待っている。
(略)
監督さんらしい。
雑誌を買って、ズボンのポケットからお金を出すのさえ様になっている。
カッコいいなぁーと、思わず声が出てしまう。
私もかつて映画を勉強し、いつかあんな制作スタッフの一人になりたいと夢見ていたことがあった。
でもそれはもう遠い昔のことだ。


そもそも大湾さんは、映画や写真という、映像の世界で仕事をしたい、と、思っていたようですね。
駅で出会った監督さんに憧れる気持ちがわかります。
さて、実は、ここからが大変だったのです。

パリ行きの列車が入ってくる。
その列車が出た後、構内は急にひっそりとする。
次の列車を待っているのは私一人だけ。
(略)
反対側のホームに渡る。
驚いたことに、こちらのホームは真っ暗で、一等の車両がどこに停まるのか全く見当がつかない。
列車がホームに入ってきた。
柄の悪い 二等の客が窓から顔を出してこちらを見ている。
一等はもっと後ろの方らしい。

慌てて列車の後尾へ走るが、貨物列車が何台も間につながっていて、肝心の車両 が中々見えない。
スーツケースが重くかさばって、膝の横にバンバンとぶつかって走りにくいことこの上ない。
必死に走って、やっと一等の客車を見つける。
列車の最後尾だった。
ドアに手をかけ、えい! と力一杯開けようとしたが、どうしたわけか開かない。
押しても引いてもびくともしない。
こんなところで時間を費やしていられない。


こういう時って、本当に焦りますよね。
もうすでにハラハラドキドキです。
身体の中からアドレナリンが噴き出すようですよね。
しかし、ここからの大湾さんの行動が「ブルース・ウィリス (Bruce Willis)」だったのです!!

次の車両のドアに向かって突進する。
えーい! これは開いた。
ステップに足をかけた途端、スーと、何か動き出す。
一瞬状況がつかめない。
何だろうと思ったが、いま乗ったばかりの列車が動き出したのだ。
停車時間はほんの一、二分で、何の合図もなしに、スーと動き出してしまった。
私のスーツケースは、まだ砂利のホームの上にぽつんと置かれたままだというのに。


おそらく、次の文章は、大湾さんご自身もお書きになっているとおり、数秒の間の出来事だったかと思いますが、大湾さんが、当時の出来事とご自身の自問自答を克明に記してくださっているので、切羽詰(せっぱつ)まった緊張感が生々しく伝わってきます。

完全にパニック状態に陥(おちい)る。
どうしようか?
自分だけ次の駅までいって戻って来ようか。
しかし反対方向の列車がいつ出るだろうか。
田舎の駅だから、明朝まで列車がないかもしれない。それともここで降りてホテルを捜すか。
いや、駅からの長い道のりをこんな夜遅く一人では到底歩けない。

それなら、あのスーツケースはそのままホームに放っておこうかとまで考える。
いやいや、とんでもない。
重くて重くて、あれほど恨みに感じたスーツケースでも、あれがなければ旅は続けられない。
第一、私の唯一の旅の同伴者で はないか。
と、ほんの数秒の間に頭が目まぐるしいくらい急回転して、ゆっくりだが既に走り出している列車から思い切って飛び降り、一目散にスーツケースの ところにかけ戻る


一瞬の判断がその後の展開を大きく左右するのですね!

スーツケースを両手で高く掲げ、通過しかけている最後の車両の開いているドアを目がけて投げ込む。
ガタンと床に落ちる音が聞こえた。
次は私の体だ。この際、格好なんか構ってられない。
入口の支柱につかまり、腹這(はらば)い気味に体を床につけ、転がり込むようにして滑り込む。


まさに、映画『ダイ・ハード (“ Die Hard”)』の世界ですね!!

私は先日、大湾さんのブログのリンクを辿って、大湾さんがテレビ局の取材に応じている長編の2つの動画(You Tube)を視聴しました。
私に比べればよほど早口で、テキパキと司会者の問いに即答する大湾さんを見て、「誰かに似ている!」と思いました。
その時は誰に似ているのか思い出せませんでしたが、今、ブログを書いていて思い出しました。

当時の大湾さんは、私が知っている数少ない日本の女優さんの中で、志穂美悦子(しおみえつこ)さんに似ている、と、思い出しました。
志穂美さんはジャパンアクションクラブ(JAC)の出身ですから、切れ味鋭い演技のできる美貌の女優さんでした。
大湾さんは才色兼備(さいしょくけんび)の女性だなぁ、と、納得しました。

志穂美悦子という女優さんの名前は初めて聞きました。
どんな女優さんかインターネットで調べてみたら、顔のキリッとした頭のキレそうな美しい女性でした。
私は、20代初めはぽちゃっとした丸顔のどこにでもいるような女性で、歌手の三沢あけみさんや宝塚の浜木綿子さんに似ていると言われたことがあります。
50年以上も前に活躍していた芸能人なので、知っている人は少ないと思います。

若い頃は食い気ばかりが旺盛で、いたって飾り気がなく自然体の人間でした。
美貌の女優さんには程遠く、「才色兼備」というイメージもまったく当てはまりません。
私の早口の話し方が志保美悦子さんに似ていたのでしょうか。
学者さんに褒められすぎて、こそばゆいです。

いまは疲れやすく脚も痛くて、いつもしかめ面をしていますが、若い頃はてとても元気で、いつもニコニコしていたのでしょう。
近づきがたい美人でもなく、頭のキレそうな才女にも見えなかったので、性別や年齢、国籍に関係なく、誰でも気楽に友だちになれたのではなれたのではないでしょうか。
長年カジュアルなカリフォルニアに住んでいるのも、大いに影響していると思います。
学者さんが「モテる」とおっしゃっているのとは、少し違う気がします。

皆さんもお時間がございます時に、ぜひ旅の写真を紹介している動画(You tube)『ヨーロッパカメラ一人旅』をご覧ください。


ホーッ! と大きな溜息が漏(も)れる。
さすがに服はひどく汚れてしまったが、何とか荷物も体も無事に乗り込むことができた。
人間、いざとなれば普通なら絶対できないことを、とっさの機転でやれるもので、後から落ち着いて考えたら危ないことこの上なくてぞっとした。


誰にでもできることではない、と、思いました。
若さゆえの、気力・体力・身体能力を持ち合わせた結果、いや、それだけではなく、大湾さんご自身の性分が原動力になっていたのだ、と、思います。

日本では駅のホームでもデパートのエスカレーター乗り場でも、お客様第一で「足元にお気をつけ下さい」とか「お忘れ物のないようにお降り下さい」と過保護 なくらい手取り足取り注意してくれる。
ヨーロッパでは「列車がホームに入ります」とか「間もなく発車いたします」といった発着の知らせは一切ない。


この辺が、来日する外国人観光客が気に入る「おもてなし」、「日本らしさ」につながっているのでしょうね。


4Seville,Spain19870409
1. Seville, Spain 1987.04.09


スペインの夜行列車 (P104)
10月4日 ボルドー→マドリード

大湾さんはボルドーでマドリード行きの夜行列車に乗り換えます。

一等列車は六人掛けの小室に分かれていて、その中の一室にいるのだが先ほどから寒さに震えて声も出ない。
寒い。
ひどく寒い。(略)
朝方になったらさらに気温が下がって、真冬の夜空の下で野宿でもしているかのようだ。


一等列車というのに暖房がなかったのでしょうか。
それとも、暖房が効かないほど、スペインの夜は寒くなるのでしょうか。
一等列車でこうなのですから、二等列車に乗る人たちは、さらに寒い思いをしたのでしょうね。

最近のスペインの鉄道の状況はわかりませんが、私が利用したのは36年も前のことです。
いまでは大都市間の路線は最新の車両を使っていると思いますが、私が乗った列車はどこもここも隙間だらけで、一等車両についている暖房は効率が悪く、ないも当然でした。
朝方は冷え込んだ外気が入り込み、まるで野宿をしているようでした。
この列車の中で経験した歯がかみ合わず凍えるような寒さは、一生忘れません。

旅先で楽しかったことよりも、不便な思いや辛い経験が深く心に残っています。
いまとなっては、2度と繰り返すことのできない貴重な思い出です。


凍える大湾さんを見かねて、職業軍人の男性が厚手のセーターを貸してくれました。
「地獄に仏」とは、このことですね。

地獄で仏(ほとけ)に会ったよう
非常な危難にあったり、大変困ったりしている時などに思いがけない助けに会った喜びをたとえていう。
地獄の地蔵。
(国語大辞典(新装版)小学館 1988 より引用)

驚いたことに、彼の使う英語の単語は日本の中学の一、二年で習うきわめて簡単な単語ばかりなのだが、それらを上手に使って、自分の考えを理路整然(りろせいぜん)と無駄なく相手に伝えてくる。

私が中学生のときに英語を教わっていた先生から聞いた話を思い出しました。
国際会議で、英語でスピーチをしなければならなくなった老教授が、英語学校で特訓を受けた、という話です。
英語学校の先生が老教授に渡したのは、中1・中2・中3の英語の教科書で、英語学校の先生は、3冊の中学英語の教科書を何度も何度も音読して、教科書を丸ごと覚えなさい、と指示したそうです。
そして、3か月後、老教授は見事にスピーチをやり遂げた、とのこと。
中学生だった私はこの話を聞いて、basic English に、強い興味を持ちました。


初めてのスペイン

さて、そこから地下鉄の改札口に出るまで歩くこと歩くこと、とにかく延々と歩く。


1987(昭和62)年の8月、 県教委の試験に合格した私は、兵庫教育大学大学院の試験を受けに、前日の早朝、総武本線の特急しおさいで東京駅まで、東京駅から新大阪駅まで新幹線、新大阪駅から中国ハイウェイバスで滝野社(たきのやしろ)インター下車、そこから予約しておいた旅館へ、という、生まれて初めての長距離一人旅を敢行(かんこう)しました。

実に大袈裟(おおげさ)な表現かと思われるかもしれませんが、家庭訪問中に迷子になるほどの方向音痴の私ですから、本当に、筆舌(ひつぜつ)に尽くしがたいほど大変な思いをしたのです。

翌日の試験よりも、旅館に辿り着くまでが数倍困難であった、と、今でも思います。
第 一関門は、東京駅で、総武本線の地下ホームから新幹線ホームへと辿り着くことでした。
所属校の事務長さんが、旅券など何から何まで手配してくれて、時刻表 と乗り場までを克明に記したメモをくれました。

メモと駅のホームの表示板を交互に睨めっこしながら、新幹線乗り場と乗るべき号車を捜しました。
第二関門は、新大阪駅で新幹線を降りた後、中国ハイウェイバスの乗り場を捜すことでした。
大湾さんが地下鉄の改札口に出るまでの大変さが身に染みて分かりました。

第三関門で大事件が勃発(ぼっぱつ)しました。
滝野社インターでバスを下車してから旅館までは徒歩15分とのメモでしたが、そのとき、私は、「徒歩」という文字を見逃してしまい、今思い出すと不思議でなりませんが、「あと15分バスに乗る」と思ってしまったのです。
そうこうするうちに、バスが来てしまい、乗ってしまったのです。
気がついたら、終点の三ノ宮駅でした。
加東郡社町と神戸の違いにはさすがに気づき、パニック状態で公衆電話から旅館に電話し、2時間遅れで宿に到着した次第です。
※30年近く前の話なので、地名などは現在と異なっていると思われます。


マドリードで見た岸恵子さんの写真 (P107)

大湾さんは、マドリードの裏通りにある小さな文房具屋のショーウィンドウに、白い小さな額の中に若い頃の岸恵子さんの写真を見つけました。

日本の女優さんはどうして歳をとらないのだろうと感心した。

私は、芸能人や芸能界のことはさっぱりわかりませんし、女性の美容のことなどこれまでの人生で考えたこともありませんが、想像するに、女優さんなどは、美貌を保つために、人知れず、 相当な苦労をしているに違いない、と、思っています。
私には、20代の頃からずっと憧れを抱いている外国人の女優さんが二人います。
ジュリー・アンドリュースとオードリー・ヘプバーンです。


マドリードで、トイレの話 (P107)
10月6日 マドリード

国内・海外を問わず、旅先でのトイレ ( の心配がないこと)は、極めて重要な問題ではないか、とは想像に難くありません。

(P108) 写真 1984.09.13「スイスの駅のトイレはみな清潔。プリエンツ・ウェストの無人駅
ペンションのような恰好をした大きな屋根のトイレの写真です。

後の経験で分かったことだが、いつも清潔で気持ちがいいのはスイスの小さな駅のトイレ。
(略)
日常トイレが身近にあると有難味を感じないが、旅先では痛切に感じる。


今回は、大湾さんもトイレ探しで大変な思いをしたようです。
実は、私も、教職初年度から9年間、バス遠足や修学旅行の引率のときは、バスがドライブインなどにトイレ休憩のために駐車すると、私は生徒よりも早く、脱兎 (だっと:一目散に逃げるウサギのように、とても早く)のごとくトイレに駆け込みました。
トイレ休憩のドライブイン到着のたびに、です。
表面上は生徒の安全確認のため、でしたが、生徒引率の緊張のためでしょうか、もともと乗り物が好きではなかったためでしょうか、強い腹痛が頻繁に起こりました。
修学旅行やバス遠足には、必ず、正露丸を持参したのですが、1日で 2粒×10回くらいは服用していました。
そんなわけで、トイレの大変さは他人事ではありません。

いまでも悪夢でうなされるのはトイレが見つからない状況の話です。
見つかっても長い列ができていたり、トイレが詰まったりと、最悪の経験がいつも頭の底にへばりついているようです。
アメリカでは最近空港での保安検査が厳しくなって、大空港では3時間から4時間、列に並ばないといけないとありました。
それを聞いただけで、トイレに行けない状況を想像して、昔と比べて飛行機の旅がしにくくなりました。



旅の荷物のこと (P109) 
10月7日 マドリード

一人旅のときは洒落っ気など出さないこと、これが今回の旅の教訓。
(略)
どうかなと思う物はすべて置いていく方がよい。
旅先では工夫と代用、それしかない。


大湾さんは旅を重ねながら、荷造りの工夫を身につけていったようです。


マドリードの市内観光

ひとつ気になったのは、道を教えてくれた人が、みんな独特な口臭があった。
きっと、昼食に魚のスープを飲んだからだろうと当て推量する。


旅行の思い出は、見たもの(視覚)だけでなく、音・音楽・会話(聴覚)や匂い(嗅覚)なども重要な要素となって形成されるものなのだな、と、改めて思いました。
それにしても、土地の人の「口臭」というのも、旅の思い出といえば思い出ですが、「懐かしい」というより「思い出したくない」と、私だったら考えてしまいそうです。


トレドの町を訪ねる (P110)
10月8日 マドリード→トレド→マドリード

大湾さんは、中世の都トレドを訪れました。

城壁の中に入ると、曲がりくねった坂道の多い石畳の角に、古い宮殿や教会が昔のままの威厳を保って建っている。
(略)
後ろを振り返ると、晩秋の夕日の中にくっきりとトレドの城壁が浮かび上がって見える。
一度栄えた町は、いまはその当時の面影だけを残し、わびしさと物悲しさを漂わす。


大湾さんのこのような文章を読んで、なぜか私は、アンデルセン著『絵のない絵本』のいくつかの物語を思い出していました。
ここではその内容は省略します。

しみじみとした大人の女性の旅だと想像しました。
やはり、大湾さんの著書は「旅行」ではなく、「旅路」なのだ、という感慨に浸りました。


幻の旅路―1978年~1984年 ヨーロッパひとり旅/大湾 節子

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2016-06-14 11:43:43

『幻の旅路』を読む 第3章−8 スペイン・ペトラ

テーマ:素人学者さん 『幻の旅路』を読む
ショパンの曲:Chopin Nocturnes 
大湾節子 ヨーロッパ 旅の写真 『幻の旅路』

THE COLORS OF SERENITY EUROPEAN TRAVEL PHOTOGRAPHY
https://youtu.be/cNiV2gSHv4Q
 (4:20)
https://youtu.be/zwpi7BR4e-0 
(3:54)
https://youtu.be/Dg7WuhyafVo?list=PLh7t-m6ncxjUO0kOPASUUSrcucp5nYxdK
 (1:27)

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http://ameblo.jp/wasansensei/theme-10093117674.html
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(21) 2016年06月09日
大湾節子さんの『幻の旅路』を読む。(22) 2016年06月14日
テーマ:『幻の旅路』を読む

マドリードで、ブーツの話 (P110)
10月9日 マドリード→グラナダ

大湾さんは、愛用のブーツを修理しなければならなくなりました。

旅が始まってから、ほんの数週間でかなりの距離を歩いたらしい。
昨日訪れたトレドの凸凹砂利道で足には完全に豆ができてしまうし、とうとうブーツの方がダメになってしまった。
新しい靴とも考えたが、靴擦れが怖い。
やはりこの靴を修繕してもらおう。


ホテルで靴屋はいくつかあると聞いて、大湾さんは訪ね回り、やっと修理ができる靴屋を探し当てます。
とりあえずの糊付けだけやってもらい、大湾さんはこの ブーツを翌年のヨーロッパ旅行でも愛用します。
イタリアのベニスで洪水被害に遭い、再び糊が剥がれたブーツを、靴修理店で頑丈に縫い合わせてもらうことができた、とのことです。

私にも、靴で困った、という経験があります。
大学入学記念に買ってもらった革靴、なかなかの高級品だったのですが、大学4年の時の教育実習初日に壊れてしまったのです。
始業前、小学2年生の子どもたちが遊ぼうというので、まだ背広姿のまま校庭に出て、ドッジボールをしていたら、靴の底が抜けてしまったのです。
これには参りました。
実習初日終了後、閉店間際の千葉駅ビルの靴屋に行って、買替ました。
家庭教師のアルバイト料1か月分の1万円が消えました。


ドイツの女の子ペトラに出会う

大湾さんは、午前中にブーツを修繕してもらった日、昼食を摂(と)ろうと、ホテルの斜め向かいにあるレストランに入ります。
そのレストランで、若い女の子に出会います。

突然「向かいの席に座っていい?」と声をかけられる。
見ると、ブロンドのショートヘアの若い女の子が私のテーブルの前に立っていた。
(略)
英語が上手なのでどこの国か聞いたら、ドイツ人だと答える。
彼女はニュルンベルクから来た留学生で、名前はペトラ。
スペインは二年目で堅苦しいドイツ人と違って、スペイン人は大らかで開放的で大好きだという。
(略)
このまま別れてしまうのは残念だと思っていたら、何と彼女の方から「今日はテストが終わってのんびりしているところだから、夜まで一緒につき合ってあげる」と、申し出てくれる。

ニュルンベルクといえば、私が大学のオーケストラで最初にトランペットを吹いた曲が、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーより 第1幕への前奏曲」でした。
人との交流とは、年齢差や性別、民族を越えて、最終的には人と人との相性で成立する、ということでしょうか。
大湾さんは、彼女とレアル宮殿に向かいます。

地下鉄を降りて表通りに出ると、入口のすぐ横の地べたにもの乞いの親子が座っていた。
マドリードの町なかではどこでももの乞いを見かけた。


そして、大湾さんはペトラから「ガイドブックにも載っていないこの国の意外な現実」を教えてもらいます。

いまのスペインの若い人たちは男女平等で、女性も男性と同じ教育を受け職業訓練も十分受けている。
(略)
しかし、少し前の世代の女性、つまり三十歳以上の女性はいままで何の教育も訓練も受けず、実際に社会で働いた経験もない。
それで一家の大黒柱の亭主が突然事 故や病いで死んでしまったら、主婦か母親役しかやったことのない女性は、ああして残された子供たちと一緒に道端でもの乞いするしか、生きるすべを知らな い。
この国ではこういう人達を十分援助する法律もないのだという。


驚きましたね。
フラメンコや闘牛など、「情熱の国スペイン」というイメージしか持ち合わせなかった私は愕然(がくぜん)としました。
つい最近まで、いわゆる社会福祉制度が乏しく、生活弱者には厳しい国だったのだ、と知って、ため息が出ました。

大湾さんも、「私も生まれた国や時代が違っていたら、いま私が持っている自由や権利は与えられなかったのだ」と思い、ペトラ嬢を「ただの可愛いブロンドの女子学生ではなく、しっかりした頭脳と温かい心を持った立派な女性だった」と讃(たた)えます。


「物乞い」で思い出しました。
私は人生で2度、物乞いする人に出逢っています。
一 度目は就学前、4歳か5歳の頃。
まだ現在の家屋が建っていなかった自宅の庭には井戸とぶどう棚がありました。
縁側に出て遊んでいると、まるで仙人のよう に、はだしで、白くて長いあご髭を生やし、髪の毛をきゅっと束ねた、修験者(しゅげんじゃ)のような白装束(しろしょうぞく)の老人が「井戸水を飲ませてもらうよ」と言って、手汲みポンプを 上下させながら、がぶがぶと井戸水を飲みました。
数分経ったでしょうか、いつまで経っても飲み終わらないことに気味わるくなった頃、ようやく、「ありがと う」と言って立ち去りました。

二度目は、小学4年生の頃。
「ごめんください」と声がしたので玄関に出ると、きちんとした身なりの40代後半の男性が、「物貰いです」と言います。
「モノモライ」の意味を目にできる病気のこととしか理解できなかったので、私は「えっ?」と聞き返しました。
男性は「物貰いです。乞食です」と言ったので、私がギョッとしていると「井戸水を飲ませてください」と言って、私が「どうぞ」と言うや否や、井戸水を飲んでから出ていきました。
髭は少し伸びていましたが、失業して間もない頃だったのではないか、と、今になって思います。

私は、じわりじわりと貧困が拡がって、住みにくくなった今の日本でも、「もの乞い」はありうるのではないか、と、危惧(きぐ)しています。


レアル宮殿で (P114)

大湾さんは出逢った若い女の子ペトラとともにレアル宮殿を訪れます。
そこで、ロシアのレニングラードから来たという好青年に出会います。
青年は大湾さんとペトラに小熊のバッチをくれました。

ユーモア一杯の美しい青年と立ち話をしたのは、ほんの十分かそこらだったが、国籍も年齢もこえて三人の心が触れあった貴重な瞬間だった。
宮殿の門に消えていくとき、私たちの方を振り返って何度も手を振ってくれた。


大湾さんは今回の旅からロス・アンジェルスに帰ったとき、ガラス飾りケースに小熊のバッチを収めました。
こういう出会いが旅の醍醐味(だいごみ)なのでしょうね。
綺麗な思い出とは本当によいものだと思います。

大湾さんとペトラ嬢は、 順番待ちして、ようやく観光客で混み合うレアル宮殿に入ります。

高価なコレクションが納められた豪華絢爛な部屋を次々に案内される。
ガイド嬢は誇らしげに、そしてとうとうとその価値を説明している。
ワァーすごいと単純に感嘆しているのはアメリカ人の観光客。
ここでもペトラは彼等と全く違う反応を示した。


アメリカ人の観光客が示した反応が、一般的な観光客の反応だと思います。
レアル宮殿に入る前、ペトラ嬢は大湾さんに、スペインではほんの少し前まで女性の地位が低かったことを説明しています。
思慮深い、真面目なドイツ人の女の子です。
そして、レアル宮殿でもペトラ嬢は・・・・・・

「こういう宝物を見ると我慢できない。
スペインではいまでも何百万人の親子がその日の食べ物を確保するために必死になって生活しているのに、こんな想像もつかない世界が存在している。
(略)
スペインでは莫大な財産を一家族(ブログ筆者註・王族のこと)が持っていて、路上には貧しい人が溢れている。
こんなコレクションを少しでも売って、そのお金を恵まれない人々の福祉にあてたらいい」と、思いがけないことを提案した。


大湾さんの文章によれば、ペトラは「若い女の子」ですから十代ではないか、と、推察します。おそらく、ペトラ嬢は彼女の人生の中で、それがスペインにいた間だけであったとしても、様々に見聞を広めてきたのだと思いました。

大湾さんは言います。

ペトラは毎日不公平な現実を目撃している。
純粋で正義感が強い彼女は高価な国宝を見て感激するより、怒りの方が出てきてしまうのだ。


豪華な調度品を見て、単純に驚いたり喜んだりすることは普通の反応ですから、咎(とが)められる筋合いのものではないわけです。
しかし、若いペトラ嬢は異なった反応をした。
そこが、大湾さんにとっては新鮮に映ったのでしょう。

ガイドが「これは××女王が三歳のときの肖像画です」と説明するのを聞いて、ペトラが耳元で囁く。
「あれで三歳ですって。
第一、ポーズから衣装にしろ、なん て大人っぽくて不自然なんでしょう。
自分たち一族がどんなに権力があるかを誇示しているのよ」。
彼女の素直な遠慮のない意見を聞いて、こんな見方もあるの かとおかしくなった。


このペトラの台詞(せりふ)には笑いました。
ペトラは極めて真面目な子なんですね。
私は、今、まさに日本で、毎日のようにテレビのワイドショーを賑わせている、都知事の顔つきと言動をペトラに見せて、感想を聞きたいものだ、と、思いました。

大湾さんは、宮殿から出て、半日つき合ってくれたペトラと別れます。
そして、大湾さんは、翌年ドイツに行った際、ニュルンベルクの彼女のアパートを訪ねましたが、残念なことに会えなかったとのことです。


『ペトラ』

私がマドリードで会ったドイツの女子大生ペトラはとても正義感の強い女性でした。
スペインに住んでいる外国人、あるいは留学生が全員彼女と同じ考えかどうかわかりません。
でも、少なくともペトラはとても純粋な社会の不正や格差にとても敏感な女性だったようです。

私も彼女に出会わなかったら、ただの旅行者で、道端で物乞いをしている親子を見かけたらかわいそうにとか、汚いとかそんな単純な感情しか浮かんでこなかったともいます。
その現象の裏にある厳しい庶民の現実までには目が行き届かず、彼女の鋭い社会批判を聞いて、初めてスペインの裏面を知りました。

ペトラは宮殿を訪ねたときも、まったく想像もつかないことを提案しました。
私たちのようなその土地に知識の乏しい旅行者は、宮殿内の豪華絢爛(ごうかけんらん)なインテリアや装飾品を見て、「わぁ~、すごい」と、感嘆の声をあげるだけにとどまると思います。
ところが、ペトラは宮殿内の装飾品の一つでも売って、困っている人たちを助けたらいいと言うのです。
彼女はとても心の温かいヒューマニストな女学生だったんですね。

その翌年(1981年)ドイツに行ったとき、ニュールンベルグの彼女のアパートを訪ねました。
列車とバスを乗り継いで行ったのですが、残念なことに会えませんでした。

こうして旅先で出会った人々とは、再会が殆ど不可能です。
でもペトラのように一緒に過ごした時間はとても短いのですが、いまでも私の心の奥深くに残っていて、いろいろな考え方や見方に影響を与えた人々がたくさんいます。


2012年4月に載っていたある記事を読んで、32年も前にペトラの言っていたことを思い出しました。
スペインのフアン・カルロス1世国王(74)の記事です。
皆さんも覚えていらっしゃるかもしれませんね。

その頃、スペインは失業率が23%に達し、カルロス国王は「高い失業率で夜も眠れない」と報道陣に語っていました。
なんと優しい思慮深い国王でしょう。

ところが、その数週間後に、彼がアフリカのボツワナでこっそり象狩りをしていたことが発覚しました。
彼が多額の費用を費やして象狩りに出かけたことは、国民はもちろん、政府の関係者にも殆ど知らされていませんでした。
仕留めた象の前で満足げな表情の国王の記念写真まであります。

じつは、狩猟中に転んで大怪我をし、急遽(きゅうきょ)マドリードに運ばれて緊急手術をする羽目になったのです。
それで彼の豪華なお忍び旅行が発覚したのです。

また、こんな記事も載っていました。
国王の次女の嫁に当たる元ハンド・ボール五輪代表選手(イニヤキ・ウルダンガリン公)が、公金500万ユーロ以上も流用した疑いがあるというのです。

今年問題になったパナマ文書によると、国王の祖母も税金回避のためにパナマの金融会社を利用していたとういことが暴露されました。
そのことは彼女も認めています。(2016年4月7日)

仕事がなくて苦しんでいるスペイン国民の怒りが伝わってきますね。
ペトラの言っていたことがよくわかりました。

(次の『バーニー・サンダース氏』の記事に続きます)
http://ameblo.jp/romantictravel
2016-06-14 06:52:12
『バーニー・サンダース氏 (Bernard “Barnie” Sanders)』
テーマ:├アメリカのニュース



幻の旅路―1978年~1984年 ヨーロッパひとり旅/大湾 節子

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2016-06-14 06:52:12

『バーニー・サンダース氏 (Bernard “Barnie” Sanders)』

テーマ:├アメリカのニュース
ショパンの曲:Chopin Nocturnes 
大湾節子 ヨーロッパ 旅の写真 『幻の旅路』

THE COLORS OF SERENITY EUROPEAN TRAVEL PHOTOGRAPHY
https://youtu.be/cNiV2gSHv4Q
 (4:20)
https://youtu.be/zwpi7BR4e-0 
(3:54)
https://youtu.be/Dg7WuhyafVo?list=PLh7t-m6ncxjUO0kOPASUUSrcucp5nYxdK
 (1:27)


『サンダース氏」の記事は、『ペトラ』の記事から続いています。
2016-06-14 11:43:43
『幻の旅路』を読む 第3章-8 スペイン・ペトラ
テーマ:素人学者さん 『幻の旅路』を読む)


このような社会の貧困の格差、不平等さに対して、とても敏感に反応し、今回アメリカの大統領選挙の際にそんな社会を改革しようとスローガンに掲げた人物がいます。

民主党候補者のバーニー・サンダース氏です
彼はバーモント州バーリントンの市長に選ばれ、その後、下院議員を経て、上院議員に選ばれます。
彼は、元々は無所属ですが、今回は民主党で出馬しました。

ボサボサの白髪を風にまかせて熱意ある演説をしている74歳のおじいさんです。
夜のトークショーで、司会者に一番大切なものは何ですかと聞かれたら「7人の孫たちだよ」と目を細めて答えていました。

彼の両親は、ナチを逃れてアメリカに移民してきたユダヤ系ホーランド人です。
ニューヨーク・ブルックリンの狭い貸しアパートに家族4人が住んでいたそうです。
大金持ちのうちに生まれ育った共和党大統領候補のトランプ氏とは対照的です。

私はサンダース氏の名前をいままで聞いたことがなかったのですが、クリントン氏との討論会で彼の真摯(しんし)な、そして過大表現をしない端的なわかりやすい話し方にとても感銘を受けました。

彼がいままでどんな活動をしていたか、バーリントン市長時代にどんな活躍をしていたか、なにせ遠く離れた東海岸のことですからまったく知りませんでした。
経歴を見てみたら、彼は市長になる前に、大工さんや映画を作ったり、書物をしたりしています。
そして、何回も落選を経験しています。

イギリス系の『ガーディアン』という新聞に、彼が若い頃、人種隔離(かくり)の政策に反対して、警察官に両腕を捕まれ引っ張られている写真が載っていました。
豚箱に入れられるのも恐れない活動家です。

『ガーディアン』そして、『デモクラシー・なう』という新聞は彼の人物や活動をとても高く評価して、取り上げています。
日本語版のニュース 『デモクラシー・なう』http://democracynow.jp/
イギリス系のニュース 『ガーディアン』http://www.theguardian.com/us


サンダース氏は大学卒業後、イスラエルの『キブツ』で数ヶ月過ごしたこともあります。
彼はユダヤ系ですが、イスラエル一辺倒ではなく、イスラエルの行き過ぎたパレスチナに対する政策を批判できる人です。
アメリカの政治家のなかで、はっきりとイスラエルの超タカ派ベンヤミン・ネタニヤフ首相を批判できる人は他にいないと思います。

サンダース氏は若い時から「格差をなくして、一般の人々が政治に自分たちの声を反映できるような平等な社会をつくろう」と、その政治的見解を一貫して通し続けてきました。
今回の選挙活動でもそれを一番のスローガンにしています。


クリントン氏もトランプ氏もともに国民の1%の富裕層に属する人たちですが、サンダース氏はアメリカの政治が、その1%に当たる大金持ちが支配し、影響を与えているといっているのです。

そんな矛盾した不平等な現実に対して、彼は強い怒りを持っています。
それが彼の社会的、政治的改革の原動力で、彼の情熱はそこから生まれてきています。


貧しい人たちに目を向けて「最低賃金を時給15ドルにしよう」とか、「男女平等の賃金にしよう」と提案しているのも彼です。
また全国の公立大学の授業を無料にしようというのも、能力はあっても経済的な理由で進学できない若者たちを頭に入れて出てきた政策の1つです。
またすべてのアメリカ国民が医療の保障を受らけれるような政策も掲げています。
地球温暖化の問題にも力を入れています。


サンダース氏を紹介する『道徳と正義 (Morality and Justice)』という4分ほどの短い動画があります
そのなかでは、次のような力強い言葉が綴られています。
『あらゆる人々が、どんな人種や宗教、障害、性的指向であろうとも、生まれながらにして十分保証されているアメリカ国民としての平等の権利を享受できる国にしましょう。
みなさん、私たちはそのような国を作ることができるのです。
ともに立ち上がりましょう。
人々を分裂させてはなりません。』


彼はヒラリー氏のように大金持ちや俳優、大企業からのお金は一切受け取りません。
4月に開かれたクリントン氏の選挙資金集めの晩餐会(ばんさんかい)では、クリントン氏と俳優ジョージ・クルーニー夫妻の3人のテーブルに座るには、参加者は2人で353,400ドル(約4千万円)の献金をしなければいけませんでした。

サンダース氏は、ウォール・ストリートでの1回の講演会で何万ドルという礼金をもらったり、1人何万ドルもする晩餐会を開いて、選挙資金を集めたりしているクリントン氏とは対照的です。

彼の場合、すべて個人の寄付金のみで選挙戦を戦っています。
平均の献金額は27ドルとかいっていました。

私も政治献金するのは今回が初めてですが、サンダース氏の熱意と情熱にまけました。
たった100ドルですが、2回に分けて送りました。

毎回テレビで禿げた頭を真っ赤にして熱弁をふるっている彼の選挙活動を見るたびに、献金したい衝動にかられました。
が、私の場合、アメリカの年金は毎月627ドル、日本からの厚生年金は2ヶ月分で80ドルにも満たないので、再度送りたいのは山々でしたが、我慢しました。


サンダース氏とクリントン氏の討論会を見ていた時に、とても気持ちが良かったのは、サンダース氏はトランプ氏のように個人攻撃はしない政治家でした。

トランプ氏は同じ共和党の政治家に対しても、ここに書くのも恥ずかしいくらいひどく下品な言葉や方法で個人攻撃をします。
クリントン氏に対しても、彼女の夫・元大統領ビル・クリントン氏の不倫のスキャンダルを取り上げて非難したり、Eメールの問題に触れたりと、肝心の政策については真っ向から討論していません。

クリントン氏とサンダース氏の民主党討論会では、お互いの政策の違いについてのみ討論を続けていました。


アメリカの大手メディアは、トランプ氏が毎晩予想もつかないツィートを公開するので、そのニュースをカバーするのでいっぱいです。
センセーショナルというか、呆れるような内容ばかりです。

トランプ氏の奇行、暴言、無知さなど、細かいところまで日本のメディアは追っていないようですが、アメリカ中に『白人至上主義』のトランプ氏を支持する人たちがたくさんいるということはとても危険で恐ろしいことです。

そして信じられないことですが、彼が共和党の大統領候補に選ばれたのです。
「これは悪夢以上に、恐怖以外の何者でもない」と、『ガーディアン紙』は語っていました。



6月7日のカリフォルニア州予選は、世論調査ではサンダース氏が勝つかも知れないといっていました。

私は長年アメリカに住んでいますが、アメリカ憲法の「武器を持って戦う」という法律がどうしても受け入れることができなくて、市民権を取るのを拒んでいました。
ところが、自分の声を反映するにいは選挙に参加しないといけないとわかり、渡米40年後にやっと市民権を取りました。
大統領選挙に参加するのはこれで2回目です。

私も夫も、そして娘も、奇跡を祈って、彼にそれぞれ1票ずつ入れたのですが、見事、クリントン氏に負けてしまいました。


もともとサンダース氏はクリントン氏に比べてひどく不利な立場でスタートしています。
クリントン氏は 、 他の人が立候補しない前に 、すでにスーパーデレゲート(特別代議員)を 4 ~ 500 人先に確保しているのです 。

それにクリントン氏は1978年から夫ビル・クリントン氏がアーカンソー州知事に選ばれたので、州知事のファーストレディーになっています。
また、第42代の大統領になったビル・クリンントン氏の妻として、1993年から2001年までアメリカ合衆国のファーストレディーでした。

2008年の大統領選挙戦にはオバマ候補と戦っています。
2008年11月には、オバマ次期大統領から国務大臣に指名されました。
その後は、上院議員を務めています。

彼女の長年の政界での活躍ぶりは、アメリカ中、いや世界中に知らない人はいないでしょう。

ところが、サンダース氏はアメリカでも一般の人たちがいままで一度も聞いたことのない政治家です。
クリントン氏の知名度は、一匹狼的な存在で活動していたサンダース氏とはまったく比較にならないのです。
これではサンダース氏がいくら 頑張っても勝ち目はありません 。


ご存知かもしれませんが 、 アメリカでは前もって、自分が支持する党を登録しないと選挙に参加できません 。

サンダース氏を支持している人たちは無所属が多いのですが 、今回彼は間際になって民主党で立候補しました 。
ニューヨークなど東部の州では 、 彼を支持していても 、 昨年の9月か10月までに民主党に登録しなかったために 、 彼に票を入れることができませんでした 。

トランプ氏の娘さんの1人も自分の父親に票を入れることができず、サンダース氏の娘さんもお父さんに投票できなかったと書いてありました。


日本では信じられないでしょうが 、 クリントン氏はあまり好かれていません 。
いままでの大統領候補の中で一番嫌われているのが 、トランプ氏とクリントン氏といっています 。
なんとその2人が共和党と民主党の大統領候補なのです。

私はいままでは女性が大統領になったら世界が変わるかもしれないと期待して、クリントン氏が民主党の大統領候補になればいいと願っていましたが 、彼女の献金の仕方や 過去のスキャンダルを知って 、支持するのを止めました 。
彼女は共和党ほどではありませんが、民主党の中では最も好戦的なタカ派の政治家とされています。


しかし、共和党のトランプ氏が大統領なったら 、世界はもっと敵が多くなり 、 戦争が多くなるでしょう 。

核を持つ国がもっと増えるでしょう。
地球温暖化はますますひどくなるでしょう。

米国有数の圧力団体『全米ライフル協会』はトランプ氏を支持し、彼も「憲法上の銃権を断固として守る」と誓っています。
そんな彼が大統領になったら、銃の規制がもっと緩やかになって、アメリカ国内で銃を持つ人たちがもっと増えるでしょう。

昨日(6月12日)起こったアメリカ史上最悪の『フロリダ乱射事件』のように、銃による銃殺事件がもっと増えるでしょう。(注1)

国と国の間には閉鎖的な壁が作られ、国際平和を築く『かけ橋』は作られません。

お互いに憎しみ合いが増え、不信感が増し、いろいろな差別がもっとひどくなるでしょう。
憎しみからは憎しみ以外のなにものも生まれてきません。



軍事に詳しいがミリタリーの高官が『チャーリー・ローズ』のインタビューの際に次のように危惧(きぐ)していました。

「数秒を競う決断を迫られる『核兵器の使用』は、常に冷静な判断を下せる大統領が必要とされています。
トランプ氏は外交政策にまったく無知です。
その上、彼の性格は感情だけで左右され、前後の見境もなく、その場その場の瞬間的な判断しか下せません。
そんな人物が大統領になるのはまったくふさわしくありません。
それどころか、とても危険です」と語っていました。

簡単に『核戦争』が始まることはどうしても避けたいので、11月の本選挙の際は、不本意ですが、私はクリントン氏に票を入れると思います 。


サンダース氏は民主党大統領候補には外されましたが、それでも自分の信念を貫き通すために、7月の党大会まで走り続けると熱狂的な支持者に誓っています。

まるで『ドンキ・ホーテー』のように、不可能な夢を追い続けている彼の姿に同感する若者たちが多いのも頷けます。

選挙戦をスタートした時はすぐ消えてしまう『泡つぶのように一瞬にして消えていく候補』と評されていたに、ここまで戦い抜いた彼の健闘ぶりは高く評価されていいはずです。

1%の金持ちだけが得をするいまの社会構造を徹底的に改革しようとし、「金のかかる政治」を変えようとしたサンダース氏の一生をかけたスローガンは多くの学生たちや貧しい人たちの共感を呼びました。

そして、「革命をおこそう」と叫んできた彼の一貫したメッセージは、今回の大統領選を超えて、さらにもっと大きな『波のうねり』をうみだし、広がっていきました。


私服を肥やすのに忙しい、エゴや欲望の塊のような『政治屋』が多いなか、彼のように色々な面で恵まれない人たちを対象にした政策を打ち出している誠実な『政治家』が再び現れるのはいつのことでしょうか?

私が30年以上も前にマドリードで出会ったドイツの女子大生ペトラやサンダース氏は、社会の格差、不正や不義に対して純粋な怒りを持っていて、それを少しでも改善しようと思っている人たちです。

サンダース氏の誠実な人柄や74歳とは到底思えない熱意とエネルギー、知性やユーモア、社会改革など、世論調査によると、彼は一番好かれている大統領候補です。

そんな人物が大統領になれないのはとても残念ですが、彼の貴重な働きはきっとこれからの世の中を少しは変えてくれるでしょう。

少なくとも一般の人々の意識が、世の中の不平等や不義・不正・矛盾にもっと敏感なったと思います。
そう望んでいます。


(注1)
フロリダ州オーランドで6月12日に起きた銃乱射事件は、米大統領選にも大きな影響を与えるでしょう。

共和党のトランプ氏はいままでイスラム教徒の一時入国禁止を主張してきました。
今回の事件を通して、彼は改めて自身の主張を正当化し、イスラム系移民の受け入れを厳格化する考えを示しました。

民主党のクリントン氏は性的少数者への差別撤退(てったい)や銃規制の強化を唱えています。


『モハメド・アリ』

人種差別と戦い、ベトナム戦争参加を拒否し、そのためにリングから追放されたボクシングのチャンピオンです。
彼は1964年に『イスラム教』に改宗し、モハメド・アリと改名します。

パーキンソン病と診断され、長い闘病生活を送っていましたが6月3日に他界しました。
死ぬ間際まで、戦争反対、階級や人種問題、宗教問題などの社会の様々な問題と戦うのを止めませんでした。

1960年代、彼を『非国民・裏切り者』と非難していたメディアや社会は、今回彼の訃報に接して、すべてを超越したヒューマニスティックな『英雄』と賞賛していました。
時代がモハメド・アリの『本当の価値』を認めたのです。
私の尊敬する人物の1人です。



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