最近、詐欺被害について

「被害者にも原因があるのではないか」

「人格的な問題があるのではないか」

「騙される方も悪い」


といった意見を目にすることがある。


こうした考え方は、「victim blaming(被害者非難)」と呼ばれる。

本来加害者に向けられるべき責任を、被害者に向けてしまう考え方である。



しかし、ここで一つはっきりしていることがある。


少なくとも法律はそう考えていない。

刑法の考え方では、詐欺は騙した側だけが責任を負う犯罪である。


人を騙し、信じ込ませ、財産を奪う。

その行為そのものが犯罪であり、

責任を負うのはそれを行った側である。


交通事故のように、

「8対2」「7対3」といった過失割合によって責任が分けられるものではない。


もし仮に割合で表すなら、

10対0」だ。


詐欺は紛れもなく、

騙した側が加害者であり、騙された側が被害者となる。


被害者が

信じてしまったこと、

好意を持ってしまったこと、

助けたいと思ってしまったこと。


それ自体は犯罪ではない。


どれほど騙されやすかったとしても、

それが詐欺師の刑事責任を軽くする理由にはならない。


詐欺という犯罪は、

人の信頼、善意、孤独、共感といった

人間の自然な感情を利用して成立する。


そもそも——


詐欺という犯罪は、騙されやすい人がそこに存在するだけでは成立しない。被害者が信じてはじめて成立する。


つまり「騙された」という事実そのものが、詐欺師の嘘が機能した証拠でもある。


詐欺は「騙す行為」を罰する犯罪であり、「信じたこと」を責めるなら、詐欺という犯罪の前提そのものが揺らいでしまう


騙される人がいるから詐欺がある」のではない。

「騙す人がいるから詐欺がある」のである


詐欺という犯罪の出発点は、あくまで騙す行為にある。



実際、詐欺被害は決して特別な人にだけ起きるものではない。


これまでにも

医師、弁護士、会社経営者、公務員など、

社会的に判断力があるとされる人たちが

詐欺被害に遭った例は数多く報告されている。


つまり、

「人格に問題があるから騙される」

では説明できない犯罪である。


だからこそ世界中で問題になり、

多くの人が騙され、

警察や専門家が注意喚起を続けている。


それにもかかわらず、

被害者に向かって


「どうして信じたのか」

「欲があったのではないか」

「下心があったのだから自業自得」

「人格的な問題ではないか」


と語ることは、

本来向けられるべき矛先を

被害者へ向けてしまうことになる。


詐欺の責任は詐欺師にある。

これは感情論ではなく、刑法の原則である。


被害者を責める社会ではなく、

詐欺という犯罪の構造を理解し、

被害を減らす社会であってほしい。


責められるべきなのは、被害者ではない。

人をだまし続ける詐欺師である。


騙されるほうも悪い——わけない


そして、もう一つ忘れてはならないことがある。


被害者が責められる社会は、

詐欺師が最も望む社会でもある。



――――――――――――――


今、傷ついている誰かに届いてほしい。


――――――――――――――