藤原定家は興味深い和歌を詠んでいます。


時雨 時を知る  私家


偽(いつわ)りのなき世なりけり神無月
誰(た)が誠(まこと)より時雨(しぐれ)そめけん

        

『拾遺愚草』下 冬、

 『続後拾遺(しょくごしゅうい)和歌集』 冬 415)


(この世は偽りばかりだと思っていたが、神無月になり季節を忘れることなく降りはじめる時雨は、いったい誰の真心が表れているのだろう。そう思うと、この世は決して偽りばかりではなかったのだ。)
 





定家にとっての「偽り」とは、一体何だったのでしょうか? 「神無月」というのも、寂しい表現です(全国の神々が出雲大社に集まるので、諸国から神がいなくなる月。陰暦10月。)。何を思って、この歌を詠んだのでしょうか? 恋愛関係があったとされる式子内親王とのことで、思うところがあったのか? それとも、他の人間関係の問題か? 宮中でのまつりごとを間近で見てきて、不信を抱くことでもあったのか?

 

当時、定家の生きていた時代は、源平争乱期真っただ中で、定家が若い頃に平家滅亡、60歳の頃には承久の乱(1221年)が起きて、京方が負けています。承久の乱の少し前には、定家が和歌を教えていた鎌倉三代目将軍・源実朝の横死(享年28歳)もありました。そういう時代の変遷を、定家は若い頃から、いろいろと見てきており、この「偽りの」の歌を詠んだのかもしれません。


 

この「偽りの」の歌は、定家の嫡男為家(母は西園寺家の藤原実宗(さねむね)の娘)の『為家卿集』の安貞元(1227)年(定家66歳の時)の史料に、

時雨知時 京極亭月次会


冬来ぬと いひしばかりに神無月
人に待たれぬ初時雨かな



とあることから、この年の神無月(10月)、定家の自邸京極亭「私家」、一条京極の)での歌会の時の作と考えられています。



そして、この「偽りの」の歌は、能「定家」にも登場しています。

能「定家」について書いた過去記事


 

この能の中では、北国から都に来た僧たちが「都の千本」あたりで「時雨」に遭い、雨宿りする描写があります。そして、その雨宿りした家が、定家の建てた「時雨(しぐれ)の亭(ちん)」として登場します。

私の考えですが、おそらくこの能を創った金春禅竹は、先ほどの『為家卿集』中の「時雨」プラス「京極亭」⇒「時雨の亭」として造語を創った可能性もあるのでは、と思いました。

(「時雨(の)亭」という名は、定家本人が名付けたものなのか、調べてもはっきりしない。だから、後世の人が名付けた可能性もある。)



定家の嵯峨小倉山荘「時雨亭」の跡があった可能性が指摘されているのは、厭離庵(えんりあん)、二尊院、常寂光寺の3つの寺院、それと、式子内親王のお墓がある般舟三昧院(はんじゅざんまいいん)(応仁の乱の頃までは「両歓喜寺」があった)などがあります。


1981年には、定家の父・藤原俊成以来の歌学書など古文書類を収めた「冷泉家時雨亭文庫」も設立されています。この名も上記の定家の小倉山荘の名から付けられたそうです。

 

このように、とにかく、定家には「時雨」という言葉がつきまといます。

 

ちなみに、この「偽りの」の歌より、陰暦10月に降る時雨を「偽りの時雨」と呼ぶ言葉も出来たそうです。

井原西鶴が、


御心うつり替りて、何事も偽の時雨ふる


(浮世草子『男色大艦(なんしょくおおかがみ)』 1687 ニ・一)


と表現したとあります。




✨✨リアルとロマンは交錯する✨✨✨


定家と式子の小説を出版しています🍁

ぜひ、読んでみてくださいね(◠‿・)—☆


〈内容紹介より〉

どうして、あなたはいつも、自分から孤独になる道を選ぶのですか?」――平安時代、歌人として、そして女人として、想いを寄せてきた相手に藤原定家は思った。その相手とは、後白河院皇女の式子内親王。式子の元賀茂斎院という特殊な立場、弟以仁王の悲劇、数々の不幸な出来事。定家が式子に魅かれるのは、憧れゆえか、それとも同情ゆえか?


『小倉百人一首』や『新古今和歌集』などを編んだ、平安時代末期・鎌倉時代初期の歌人・藤原定家。彼の想い人は、「玉の緒よ絶えなば絶えね ながらへば忍ぶることの弱りもぞする」という有名な和歌を詠んだ孤高の歌人・式子内親王だった。後世、能にも描かれることにもなった二人の切ない恋とは、一体どのようなものだったのだろうか――? 源平争乱――激動の歴史の中で繰り広げられた二人の恋模様を、鮮烈に描き出す! 長編歴史小説。

【目次】
定家葛(ていかかずら)
明月片雲無し
薫物馨香芬馥(たきものけいかうふんぷく)たり
御弾箏の響き
波の底にも
殿上(てんじょう)
松浦宮(まつらのみや)物語
呪詛の噂
その黒髪のすぢごとに
朽ちし斧(おの)の柄
鵺(ぬえ)の声
玉の緒よ
這(は)ひまとはるるや定家葛



 

 (物語の最初は試し読みが出来ます🌈)


 
 他にも、壮年期の藤原定家が(文を通じて)和歌を教えていた鎌倉三代将軍源実朝とその妻坊門信子を描いた『雪は降りつつ』、『平家物語』「横笛」の章に出てくる斎藤時頼(滝口入道)と横笛を描いた『梓弓引く頃に』も出版しています。
 
 


 

 

 

 
 
  ✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨✨