ゆふべより

秋とはかねてながむれど

月におどろく空の色哉

(夕暮れの景色を、もう秋になったのだろうかと思いながら眺めていたが、夜になり月が出ると、秋が来たことがはっきりと分かる空で驚いたよ。)



後鳥羽院が正治二(1200)年に侍臣に詠進させた百首歌「正治二年院初度百首和歌(秋日侍太上皇仙洞同詠百首応製和歌)」に載っている藤原定家の和歌です。

定家の『拾遺愚草(上)』に載っています。





秋月に稲穂の絵



正治二(1200)年、藤原定家が39歳の時に詠んだ歌で、当時、定家は藤原家隆らと共に九条家の歌壇(九条兼実の)に属していましたが、その本歌取りの技法を駆使した新風の和歌が、「新儀非拠達磨歌(しんぎひきょだるまうた)」(難しくて分かりにくい歌)だと、敵対する旧派の歌の家・六条家の人々や源通親らによって非難されており、「若い者は入れるな」と、最初は百首の歌人から除外されていました。


ですが、定家の父・藤原俊成の「正治仮名奏状」によって、それが解除され、無事に後鳥羽院の百首歌に詠進することが出来ました。


ちなみに俊成定家の父子は、もともと「御子左家(みこひだりけ)」であり、後に定家の子の為家の時代に六条家を圧倒するようになりましたが、為家の子の為氏(ためうじ)、為教(ためのり)、為相(ためすけ)の時に、領地争いになり「二条家」「京極家」「冷泉家」の三家に分裂しました。



上の歌は、百首の内で秋の歌として詠まれた歌ですが、当時の秋は、今よりもっと早く来ていたことでしょう。百首歌は春廿(二十)首・夏十五首・秋廿首・冬十五首・恋十首・旅五首……などと詠まれており、四季があります。



ですが、今の日本は「四季」ではなく「二季」になりつつあり、平安時代・鎌倉時代の当時とは、まったく季節の感じ方が違うのでしょうね。当時の夏の最高気温はいったい何度だったのか? どうせ「二季」になるのなら、いっそのこと春と秋だけで良いと個人的には思います(夏と冬だけでは、きつい)。

早く秋が来てほしい🍂🍁



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