藤原定家と式子内親王の恋の伝説は、能「定家」(元の曲名は「定家葛」)で描かれている。
 
そのあらすじは、
 
北国から上洛してきた僧たちが、都の千本あたりで、初冬の都の夕景色に見入っていたところ、時雨(しぐれ)に遭った。
 
 
 
 
 
そのため、近くにあった家で雨宿りをしようとしていたところに、ある里女がにわかに現れた。
 
その里女は、その家が藤原定家卿の建てた「時雨の亭(ちん)」であること、時雨の季節には定家が、ここで和歌を詠んでいたことを教え、さらに近くにある式子内親王のお墓にも僧たちを案内した。
 
すると、その墓には蔦葛(つたかずら)がたくさんまとわりついていた。
 
里女は、式子と定家の忍ぶ恋、定家との恋が世に知られた式子の苦悩、その蔦葛は式子の死後も彼女を忘れられない定家の執心が「定家葛」となって、彼女の墓に絡みついたものだ、と語る。そして、里女は自分こそが、その式子内親王であり、この苦しみから救ってほしいと僧たちに告げ、姿を消す。
 
その後、僧たちが式子を弔っていると、墓の中から蔦葛に纏縛(てんばく)された式子の亡霊が現れ、僧たちの読経によって、纏縛から解放されたことに感謝し、舞を舞う。
 
しかし、その解放は一時的なもので、式子の亡霊が墓の中へ戻ると、墓は再び蔦葛に覆われてしまった。


                 以前行った能「定家」のチラシ
 
能「定家」では、葛がまとわりついた塚の作り物が登場しました。

この能「定家」の作者は、室町時代中期の能役者、能作者である金春禅竹(こんぱる ぜんちく。応永12〔1405〕年生~文明3〔1471〕年ごろ没)である。禅竹は世阿弥の娘婿。この能は夢幻能鬘物(かずらもの)とされる。
 
奥野陽子氏によると、禅竹は「和歌は能の命」であるとし、定家に強く傾倒していたという(『式子内親王 たえだえかかる雪の玉水』ミネルヴァ書房、2018年)。能の中にも、定家の自撰家集『拾遺愚草(しゅういぐそう)』中の和歌が、いくつか登場する。(式子の「玉の緒よ」の歌も。)
 
そして、天野文雄氏によると、「主人公が永遠に救済されないという設定の能に『野宮(ののみや)』『姨捨(おばすて)』があるが、それは禅竹が開拓した世界であり」(『能楽名作選(下) 原文・現代語訳』角川書店、2017年)としているので、シテである式子も、そして、もしかすると、蔦葛となってしまった定家も、永遠に救われないということなのかもしれない……。

禅竹が生きていた時代は、式子と定家が生きていた時代から、およそ200年後。禅竹の時代には、二人の恋に関する噂が巷で囁かれていたのだろう。
 
 
 
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〈内容紹介より〉
どうして、あなたはいつも、自分から孤独になる道を選ぶのですか?」――平安時代、歌人として、そして女人として、想いを寄せてきた相手に藤原定家は思った。その相手とは、後白河院皇女の式子内親王。式子の元賀茂斎院という特殊な立場、弟以仁王の悲劇、数々の不幸な出来事。定家が式子に魅かれるのは、憧れゆえか、それとも同情ゆえか?
 

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 他にも、同時代の歴史上人物、『平家物語』「横笛」の章に出てくる斎藤時頼(滝口入道)と横笛を描いた『梓弓引く頃に』、壮年期の藤原定家が(文を通じて)和歌を教えていた鎌倉三代将軍源実朝とその妻坊門信子を描いた『雪は降りつつ』も出版しています。
 

 

 

 
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