(ペトロナスツインタワーとマリーナベイ・サンズ)

 

マレーシアのクアラルンプール(KL)にひと際目立つ超高層ビル(452m)はペトロナスツインタワーといって、KLのシンボルとも言える存在である。KLには何回も行っているので、このツンタワーは、近くで何回も見ているが、展望台に昇ったことはない。このツインタワーは1996年に完成し、タワー1は日本の建設会社ハザマが、タワー2は韓国の企業が担当したが、その対照的な工法が話題となり韓国が担当したタワー2が途中で傾くというアクシデントが発生した。日本へのライバル意識から、完成を急いだようで、傾きがわかった時点では日本側が技術的助け舟を出したようである。

 

下記の解説動画によると、韓国側の建設責任者は韓国の技術レベルがいかに素晴らしいか、日本の技術レベルがいかに低いかという偏見を持っているようで、まさに韓国対日本の技術対抗戦の感があったようである。2つのタワーを結ぶスカイブリッジの建設は、当初は両国の競争によって建設権利が与えられることになっていたが、韓国を助ける日本側に余裕がなく、最終的には韓国側が担うことになったようである。

 

また、韓国サムスングループ企業が建設したシンガポールのマリーナベイ・サンズが3つの建物が異なる方向で傾き始めており、ピサの斜塔の5倍も傾いており、崩壊する可能性もあるというから心配である。日本を含め世界的建設企業が台風や強風、高湿度という熱帯気候特有の環境要因への対応(季節変動による材料の膨張・収縮、コンクリートの養生条件など)や埋め立て地という地盤の問題やプロジェクトの工期短縮要求と品質保証のバランスを取ることの困難さなどから参加を見送る中、韓国の企業グループが受注することになったものである。工期が短縮できた場合は、7億円のインセンティブが支払われる契約となっていて、韓国企業が手を挙げて、工期短縮を目指したため、建物の品質に影響を与えた可能性もあるという(当初4年→2年3カ月で完成)。手抜きなんていうことはないと思うが、安全に関する品質に問題がなかったのか気になる。単なる都市伝説であればいいが、もし万一崩落でもしたら途方もない大事故になるので、そうならないように事前の対策をしっかり立ててほしいものである。

 

韓国独自の技術で建築した452mのパクリタワー:https://www.youtube.com/watch?v=LGtHuVeXuJA

 

ゆっくり知的雑学(韓国が建てたマリーナベイ・サンズ、実はヤバいほど傾いていた!?):https://www.youtube.com/watch?v=LLQobS8VFug

 

12月1日夜7時から約3時間、BSテレ東でBSテレ東開局25周年を記念して、「池上彰x徳光和夫ヒット曲が語る昭和100年史」が放映された。今年は昭和という時代が幕を開けてからちょうど100年という大きな節目。“激動”と呼ばれた昭和、バブル崩壊後、迷走した平成、そして令和・・・三時代にわたり日本人に寄り添い夢や希望を与えてくれた名曲の数々を世相と共に振り返ってくれた。番組の司会はジャーナリストの池上彰さんで、鋭い視点で昭和の出来事を分かりやすく解説し、ご意見番として昭和の歌謡界を知り尽くした徳光和夫さんが初タッグを組み、時事ネタと芸能ネタが炸裂した印象であった。。

 

フランク永井、石原裕次郎、坂本九さんなどの当時の映像も白黒映像で懐かしさそのものであった。最近亡くなった橋幸夫、西田敏行、八代亜紀さんの懐かしい歌声も聴くことができた。昭和の出来事とともに昭和史を振り返りながら、当時流行った懐かしい曲を聴いているだけで、その時代が一気にプレイバックしてくる。ヒットした時代の歌手の映像が次から次へと出てくるので、懐かしさが込み上げてきて感動的であった。また、小林旭さんはじめ昭和から活動を続ける豪華ゲストが続々登場し、小林旭さんの懐かしい「自動車ショー歌」や作詞家の松本隆さんの「木綿のハンカチーフ」「赤いスイートピー」「冬のリビエラ」なども紹介された。

 

1972年の沖縄返還の世相から、沖縄出身の南沙織さんの「17才」(1971)、アジアの歌姫として、ジュディ・オングの「魅せられて」とテレサ・テンの「つぐない」も紹介された。また、40年代中盤の地方を活性化するご当地ソングとして、「長崎は今日も雨だった」(前川清1969)、「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子1974)、「よこはま・たそがれ」(五木ひろし1971)、「京都慕情」(渚ゆう子1970)、「津軽海峡・冬景色」(石川さゆり1976)を当時の映像で楽しむことができた。

 

また、安保闘争と学生運動時代の関連では、「アカシアの雨がやむとき」(西田佐知子1960)、「友よ」(岡林信康)、「ひとり寝の子守唄」(加藤登紀子1969)が紹介され、それに続くしらけ世代では「四畳半フォーク」の代表曲として、「神田川」(かぐや姫1973)、「なごり雪」(イルカ1975)などが紹介された。最後は、美空ひばりの「川の流れのように」(1989)で締めくくられたが、この曲は、昭和から平成に変わった4日後に発売された曲とのことで、まさに昭和100年を象徴する一曲と言えるかも知れない。とにかく、昭和の歌謡曲を聴いているとなぜか元気が出てくるから不思議だ。

 

懐かしいところで、「自動車ショー歌」(小林旭 1965):https://www.youtube.com/watch?v=-QCxW6kM-G4

 

(今のドバイ)

 

アラブ首長国連邦(UAE)には、1983年2月にアブダビ、2007年7月にドバイと2回旅行したことがある。アブダビは業務出張、ドバイはヨルダンのアンマンへの出張帰りにプライベートで立ち寄ったものである。アブダビは、街中をちょっと覗いた程度の記憶しかないが、ドバイは18年前とはいえ、一緒に出張した上司と二人で立ち寄り、2泊したのでよく覚えている。

 

アンマンからドバイの空港に夜遅く到着したが、空港の外に出ると熱風が肌にあたり、信じられない暑さであった。7月は最も暑い時期であったようで、翌日に市内観光で外に出たが、日中は50度を超える暑さで、熱風の中で30分も続けて歩くのも困難な状況であった。人生の中で、最も暑い気温を経験した瞬間であった。

 

ドバイの街はまだ建設ラッシュで、世界一の高さをめざすブルジュ・ハリファが建設中(2010年完成)で、まさに金満都市のメージであった。お金に糸目をつけずに都市作りをやっている印象を持った。ドバイのシンボル的モスクのジュメイラ・モスクやドバイ博物館も見学した。海の向こう側には7星の高級ホテル、ブルジュ・アル・アラブの雄姿を拝むこともできた。とにかく暑く観光どころではないので、暑い時期は絶対に避けるべきである。一時バブルがはじけたよう話もあったり、2021/22年にドバイ万博があったりしたが、今のドバイは一体どうなっているのであろうか?

 

World Tour では、11月28日に、【世界の絶景】「人生で1度は訪れたいノスタルジックな美しい街15選」なるものをアップした。ノスタルジックということは昔を思い出す郷愁的なイメージのある街並みということで、自分自身が旅行先を検討する際、まさにそんなイメージの街を選ぶことも多いせいか、15カ所の内、11カ所は行ったことがある街であった。行ったことがある街は、どこもこの動画で案内されている通り、ノスタルジックな美しい街という印象で、どこを選んでもハズレはないといえる。個人的に好きな街を一つ選ぶとしたら、それはザルツブルクである。モーツアルトの生誕地であることとサウンド・オブ・ミュ-ジックの舞台であることからヨーロッパでは一番好きな街である。ドイツのローテンブルクなどは美しい中世の街並みで筆頭候補だと思うが、ドイツの街が一つも入っていないのはちょっと残念である。また、コロンビアとキューバは遠い上、治安上の心配から旅行はどうかと思うものの、シエナ、クラクフは行ってないのでわからないが、その他はお薦めできる街ばかりである。

 

      (国名  訪問年)

 

1           リガ(ラトビア 2010年)

2           シエナ(イタリア 未)

3           コルドバ(スペイン 1999年)

4           ヴィリニュス(リトアニア 2010年)

5           モスタル(ボスニア・ヘルツェゴビナ 2010年)

6           タリン(エストニア 2010年)

7           ザルツブルク(オーストリア  1987/2017年)

8           グラナダ(スペイン 1999年)

9           ダブリン(アイルランド 2010年)

10        クラクフ(ポーランド 未)

11        ホイアン(ベトナム 2024年)

12        ハバナ(キューバ 未)

13        カトマンズ(ネパール 2012年)

14        カルタヘナ(コロンビア 未)

15        ブルージュ(ベルギー 1987年)

 

人生で1度は訪れたいノスタルジックな美しい街15選:https://www.youtube.com/watch?v=3x-4ogUTCzo

 

(ドバイメトロ)

 

ドバイメトロとは、2009年9月9日からアラブ首長国連邦の首都ドバイ市内で運行されている都市鉄道で、2路線あるが、全線で自動運転が行われている。国家プロジェクトとして鉄道計画が持ち上がった時、日本の他に、欧州の老舗メーカー、勢いのある中国企業、アジア各国のプラント企業など世界中の企業が入札し、どこの企業体が受注するか世界的にも注目されたようである。ドバイは、夏は50度を軽く超えるので、レールがダメージを受けたり、エアコンのフル回転も必要な上、砂漠特有の砂嵐もひどいなど特有の環境にあるため、安全な鉄道システムの構築がポイントとなったようである。中国勢は、「安さ」と「スピード」を売りに、優位に商談を進めていたようであるが、最終的には、安さ、工期の短さより、日本勢の長期的信頼がものを言って、日本企業が受注に成功した。開業後、ドバイメトロは順調な運行を続け、その成功により日本の鉄道技術の評判はますます高まったといえる。

 

一方、同じ頃、サウジアラビアでは、聖地メッカとメディナを結ぶ国家的プロジェクトでもあるライトレールの建設計画があり、各国からの入札の結果、政府は最終的には中国企業を選択した。コストが安い、工期が短い、勢いがあるということからの判断であったようである。しかし、着工後、いろいろな問題が発生し、2010年に開業したが、砂漠の環境が想定以上に過酷で、線路は3か月で砂に埋もれたり、車両の吸気ダクトが目詰まりを繰り返したり、高温で部品が次々と故障したり、開業わずか半年で運行率は70%以下に低下し、スピード制限からスケジュール通りの運行ができず、大混乱を招いたようである。

 

また、ベトナムでも中国企業が建設したハノイメトロが、大幅に工期が遅れ、2021年11月に開通したが、安全上の問題もあり、利用客も少なく、悲劇的状況にある一方、2024年12月に開通した日本企業が建設したホーチミンメトロ(車両は日立製)は評判がよく、利用者も多く、中国と日本の鉄道技術の格差が明らかになったという。

 

また、アメリカで2つの高速鉄道プロジェクトが進んでいるが、カリフォルニア州が中国企業を選び、テキサス州が日本の企業(新幹線技術)を選択した。カリフォルニアは、サンフランシスコ=ロサンゼルス間約800㎞を3時間以内で結ぶ計画で、テキサスの方は、ダラス=ヒューストン間を90分で結ぶ計画である。中国企業が出がけるカリフォルニアの高速鉄道は安全上問題などの諸問題により建設費用が10倍に膨らみ計画が破綻に終わりそうである一方、テキサス新幹線は、日本のすぐれた新幹線技術により対照的に順調に開業に向けて工事が進行しているという。日本の鉄道技術が世界中で高く評価されていることは、誇りに感じるとともに嬉しい限りである。

 

日本を選んだドバイの奇跡、拒否したサウジの悲劇: https://www.youtube.com/watch?v=mSZkWB-_cIM

 

ベトナムのハノイメトロの悲劇とホーチミンメトロの好評判:https://www.youtube.com/watch?v=pQJEUPphmRo

 

日本を裏切ったカリフォルニア高速鉄道の悲惨な末路:https://www.youtube.com/watch?v=bCtYJnhkRjA

 

 

 

文芸や旅、食などのテーマを捉えたエッセイなどで知られ、テレビでも活躍した作家の嵐山光三郎(本名 祐乗坊英昭)さんが14日に83歳で逝去していた旨の訃報がメディアに流れた。 1965年に平凡社に入社し、雑誌「太陽」の編集に16年携わり、編集長も務めた。その後独立し、遊び心のある軽妙な文体のエッセイから小説まで幅広く執筆。「笑っていいとも!増刊号」などテレビやCMにも出演し、お茶の間に親しまれたので、古い世代の人は知っている人も少なくないと思われる。個人的に面識があるわけではないが、高校の先輩であったことは、かなり前から知っていたので、それなりに興味を持ってエッセイなどを読んでいた。

 

ニュースによると、嵐山さんは 88年、「素人 庖丁記」で講談社エッセイ賞を受賞した。文学者に対する鋭い洞察でも知られ、97年には、夏目漱石や森鴎外ら文士37人の食への好みを通し、それぞれの文学の本質に迫った「文人悪食」を出版。2006年には、様々なタイプの弟子たちを束ね、句論を確立しようとした人間味のある新たな松尾芭蕉像を打ち出した「悪党芭蕉」で泉鏡花文学賞を受け、同作は翌年、読売文学賞にも輝いた。俳人、松尾芭蕉の研究も続け、「悪党芭蕉」で2006年に泉鏡花文学賞、07年に読売文学賞を受賞。テレビのバラエティー番組「笑っていいとも!増刊号」にも出演していたので、風貌もよく覚えている。旅や温泉を愛し、1年の半分以上は国内外の各地を訪ねていたようで、週刊誌に寄稿されたエッセイをいろいろ読んだ記憶がある。

 

高校の先輩、同輩、後輩を見ると、それほど多くはないが、著名人もいる。先輩では、嵐山光三郎さん、同輩だと赤川次郎さん(作家)、山室恵さん(さだまさしの「償い」を引用した判決で話題となった元東京地裁裁判官)、石尾豊さん(「小さな日記」を歌ったフォーセインツのメンバー)、後輩だと西島秀俊さん(俳優)、最近だと森井翔太郎さん(投打二刀流を目指し米大リーグに挑戦している野球選手)など。音楽では著名人がたくさんいるが、男子部は、それほどではないのは残念である。

 

朝日新聞ニュース: https://www.asahi.com/articles/ASTCX0Q0HTCXUCVL00YM.html

 

(プリズレンの旧市街)
 
2020年9月14日に旧ブログでコソヴォ旅行記を書いているので、ここで振り返って再アップしたい。(一部加筆訂正)
 
2017年5月5日、ヨーロッパで一番新しい国、コソヴォについに足を踏み入れ、ヨーロッパ53ヶ国(国と地域)の完全制覇を達成した。世界中では、コソヴォが101ヶ国目となったが、想像するよりはるかに街中は平和で治安も悪くない印象で、コソヴォ紛争なる言葉だけで我々が勝手に危ないと誤解しているようである。

5日、イスタンブール経由でコソヴォの首都プリシュティーナに早朝に着いたが、今回はホテルに空港での出迎えを依頼していたので、極めて楽でスムーズなホテル入りであった。個人旅行をしていると最初の難関が見知らぬ空港に降り立ち、現地の通貨を用意し、いかにスムーズにタクシーまたは公共交通機関を利用するかであるが、今回のように前もって予約しておくと大変楽である。

早朝に着いたこともあって、ホテルスタッフの薦めで、予定になかったが、オスマン朝時代の建物が数多く残るプリズレンという南の街に行くことにした。バスで約2時間かかった(4ユーロ)が、ゆっくりと街の見学ができた。街中を散策したり、城塞にも上ったりしたが、世界遺産に登録された教会はクローズされていて入ることができなかった。

5日にプリズレンの世界遺産の修道院に修復中で中に入ることができなかったので、6日は、リベンジと思い、点在する3つの世界遺産を一日で駆け巡る計画を立てた。ホテルからバスターミナルまでタクシーで15分位、そこからペヤまで路線バスで約2時間弱。バスの時刻表はネットで少し調べていたが、本数が少なく、出たとこ勝負の感があった。11時20分頃ペヤに着いたが、観光案内所が土曜のためクローズで情報を得ることができず、やむなく、約1時間歩き続け、12時20分頃やっと修道院に辿り着いた。

このペヤ総主教修道院はNATOの平和維持軍が警備しており、入口でパスポートを預けるシテムであった。建物は13世紀のものであるが、中は撮影禁止。帰りは、運よくタクシーをつかまえることができ、ターミナルに戻ってから、デチャニ行のバスに乗り換えた。たまたま着いてすぐに出発するバスがあり、13時10分頃にはデチャニに到着していた。降りてすぐタクシーをつかまえ、片道15分はかかるが、向こうでの待ち時間料金も含め、8ユーロで交渉成立。

このヴィソキ・デチャニ修道院もパスポ-トを入口で預け、タクシーを待たせて10分ほど見学したが、残念ながらやはり内部は撮影禁止。見学後、タクシーに乗ったところまで戻って、そこでペヤに戻るバスを待った。本数が少ないので、すぐには無理かなと思ったが、3分も待ったら運よくバスが来た。そんなわけで14時50分にはペヤのバスターミナルに戻ることができた。これまたラッキーにも、5分も待たずにプリシュティナ行のバスに滑り込むことができた。 時刻表では1時間45分となっていたが、これまたラッキーにも1時間ちょっとで、16時すぎにはプリシュティナに戻ることができた。郊外にあるやはり世界遺産に登録されているグラチャニツァ修道院のオープン時間が17時までとなっていたのでとても無理かなとも思ったが、これも滑り込みで見学することができた。

これでコソヴォの世界遺産の4つの修道院をすべて見学することができた。たった2泊であったことを考えるとよく見で回れたものと自分ながら感心する。どの修道院も内部のフレスコ画は保存状態もよく、まさに眼を見張るほどの素晴らしさであった。NATO軍が厳重に警備しているのもうなずけるが、写真撮影ができないのが残念であった。コソヴォに行ったことのある日本人はまだ極めて少ないと思うが、治安は問題ないので、是非一度コソヴォにも足を運ばれることをお奨めする。


コソヴォ旅行アルバム: https://youtu.be/1NGZLMGEAJM
 
 
(ペヤ総主教修道院)
 
(グラチャニツァ修道院)
 

 

World Tourでは、最近「バカンスで訪れたい世界の美しい島20選をユーチューブで紹介している。島と名の付く島は世界中に腐るほどあるので、美しい島として20箇所を選ぶは至難の業ともいえる。どのくらい行ったことがあるか気になり調べてみたところ、やはり8箇所と少なく、残りの12箇所については全く未踏の島であった。世界の絶景とは大袈裟ではあるが、日常の喧騒から離れてビーチリゾートでのんびりとゆったりと海の自然を楽しむことができれば、最高であろう。美しい映像を見せられるとなおさらである。

 

       (国名  訪問年)

1  タヒチ島(フランス領  2016年)

2  ハワイ島(アメリカ  2010年)

3  ボラボラ島(フランス領  未)

4  セーシェル(セーシェル  未)

5  ロフォーテン諸島(ノルウェー  未)

6  ピピ島(タイ  未)

7  モルディブ(モルディブ  2012年)

8  キプロス島(キプロス  2012年)

9  サントリーニ島(ギリシャ  未)

10  ソコトラ島(イエメン  未)

11  バリ島(インドネシア  2001年)

12 マルタ島(マルタ  2001年)

13  マウイ島(アメリカ  2013年) 

14 ニューカレドニア(フランス領  2014年)

15 シチリア島(イタリア  未)

16 サルデーニャ島(イタリア  未)

17 モーリシャス島(モーリシャス  未)

18 プーケット(タイ  未)

19 ザキントス島(ギリシャ  未)

20 パラワン島(フィリピン  未)

 

バカンスで訪れたい世界の美しい島20選:https://www.youtube.com/watch?v=La4mhc0LsV8

 

また。BEST TRAVELでも、10選を取り上げているが、その10箇所は以下の通り。この中では、行ったことがある島は5か所であった。

 

1 ハワイ島(アメリカ  2010年)

2 サントリーニ島(ギリシャ)

3 ウィットサンデー諸島(オーストラリア)

4 カウアイ島(アメリカ  1973/2003年)

5 マウイ島(アメリカ  2013年)

6 パラワン島(フィリピン)

7 ボラボラ島(フランス領ポリネシア)

8 バリ島(インドネシア  2001年)

9 ミコノス島(ギリシャ)

10 モーレア島(フランス領ポリネシア  2016年)

 

高市首相の国会答弁が原因で中国が烈火のごとく怒り、日中関係が最悪の事態に入りつつある。これにより日本経済は破綻の方向に向かっているのに、一切謝罪もせず、発言の撤回も行わないという頑強な態度を変えず、さらに中国を怒らせ、エスカレートする一方である。中国は一つで、台湾問題は国内問題であるという今までの日本政府の認識は変わっていないはずなのに、レッドラインを超え、台湾有事の際は、日本は参戦すると宣言したも同然であり、中国が怒るのも当然である。中国は、日本の最大貿易国であり、日本経済に与える影響は計り知れない。中国からの旅行者の激減、留学制限、日本からの水産物の輸入禁止などはすでに始まっており、さらなる日本対する輸出入制限、特にレアアースの輸出制限に踏み切る可能性もあり、今や日本の国益が棄損される恐れ大である。

 

中国がまともな国とは思わないが、厄介な国であるからこそ外交でいかにうまくやっていくことが大事だと思うが、自国の国益のためにあのひどいトランプのほうがまだうまくやっていると言える。たった一人の不用意な発言で日中関係がこうも悪化するという事実を見るに、外交の機微に疎いトップを選んだのは大失敗であったといえる。一月万冊の中で、高市有事について元朝日新聞記者でジャーナリストの佐藤章さんが的確に詳しく解説してくれている。日本の国益を損なう無頓着な首相であることが判明しつつあるので、国益のためにも早く退陣すべきであろう。佐藤氏の見解に同感である。

 

一月万冊(11/24): https://www.youtube.com/watch?v=tQHMS4WdR0M

 

(嘆きの壁 エルサレム)
 
2020年9月に別ブログで旅行記を書いていたので、再アップすることとしたい。
 
2014年3月30日、イスタンブール経由でイスラエルのエルサレムに入国し、ヨーロッパでは52番目、世界全体では95番目の訪問国となった。ホテルは、ヤッフォ門にあるニュー・インペリアルという100年以上前から営業しているという老舗のホテルでドイツ皇帝のヴェルヘルム2世も宿泊したとのこと。また、セルマ・ラーゲルレーヴというスウェーデンの女性作家(『ニルスのふしぎな旅』の作者で、ノーベル文学賞を受賞)が1900年にこのホテルに宿泊したということで、スウェーデンからの観光客は必ずホテルに見学に来るそうである。そんな由緒あるホテルであることは全く知らずに、ロケーションと値段(1シングル朝食付で70ドル)から選んで予約したものであるが、建物や内装も雰囲気があり、このホテルにして大正解であった。

ホテルに早く着きすぎたため、レセプションでもらったパンフレットにあった約2時間のフリーのウォーキングツアーに入った。ホテルのすぐそばから出発する英語による無料のガイドツアーで、オリエンテーションとしてはうってつけでチェックインまでの時間を有効に使うことができた。

3月31日は、丸一日、世界遺産となっているエルサレム旧市街を歩いて見て回った。地球の歩き方の本を片手にキリスト教地区から始め、シオンの丘にあるダビデ王の墓、最後の晩餐の部屋、マリア永眠教会、イエスが投獄されていた鶏鳴教会、オリーブ山にあるイエスが昇天した昇天教会、主の祈りの教会、主の泣かれた教会、イエスが祈り、捕えられたゲッセマネの園、マリア昇天の場所と謂われるマリアの墓の教会を見て回った後、イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道であるヴィア・ドロローサを最終地点の聖墳墓教会までイエスの歩く姿をイメージし、歴史を感じながら歩き通した。

聖墳墓教会はゴルゴタの丘にあるキリスト教最大の巡礼地で、イエスの十字架が建てられた所、十字架から降ろされた畳ほどの大理石版、イエスのお墓等があり、いつも礼拝者で溢れかえっている。イエスの墓はいつ行っても長蛇の列ができていたが、思い切って45分ほど並んで見ることができた。実際にイエスとマリアに関連するスポットを次から次へと見て回ると歴史をタイムスリップしたような不思議な気分になる。今までに世界各地で教会やイエスにまつわるものをいろいろ見てきたが、本場エルサレムは別格で感動が全く異なるのである。

キリスト教地区の後は、ユダヤ民族の心の故郷である「嘆きの壁」に足を運んだ。テレビでは何回か見たことがあったが、ついに本物に出会うことができ、感動的であった。男性と女性の祈りの場所が分けられているが、よくわからないまま女性の方に間違って入ってしまったが、誰からも注意はなく、危なく女性の方の壁に行くところであった。

嘆きの壁の後は、ユダヤ人地区にあるカルド(世界最古の繁華街)や4つのシナゴーグを見学したが、この地区にはいろいろな遺跡が多数残っているようで、あちこちで遺跡が掘り返されている。最後の締めくくりは、ホテルの目の前にある「ダビデの塔」を見学した。歴史を重ねてきたエルサレムを物語る砦としても魅力あるが、現在は歴史博物館としても利用されている。また、ちょうど、“Sounds of the Old City”という音楽フェスティバルが行われており、目の前で鑑賞することができた。イスラエルのミュージシャンが何組も舞台に立ち、昼も夜も充実した1日となった。

エルサレムは観光地としても有名でどこに行っても観光客で溢れ返っていた。治安状況が悪いという印象は全くなく、まさに平穏そのものであった。しかし、日本からの観光客をほとんど見かけないのが異様に感じた。1日観光地を歩き回って見かけた日本人は、2組で10人程度。エルサレムは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地であり、観光資源も素晴らしく、魅力ある都市に間違いないが、どうしてあまり日本人が行かないのか不思議である。外務省の治安情報の脅しと旅行会社の怠慢に起因しているような気がしてならない。今はイスラエルとハマスが戦闘状態にあり、治安上、旅行は避けた方がいいと思うが、一生に一度は訪れたい聖地である。エルサレムに行かずして、キリスト教やイエスやマリアのことを語ってほしくないものである。

イスラエル旅行の思い出: https://youtu.be/Q6duzhNfP3w
 
(ヴィア・ドロローサの第3番)
 
 
(聖墳墓教会)