マツコちゃんの・・
マツコは、決定した野老朝雄氏の(Aの)作品「組市松紋」について、「決してAが何か秀でている感じはしない」と辛口のコメント。「他のはありがちな作品。一番ちがうものにみえるからかな」と選定の理由を分析した。
さらには、昨年7月に発表され、盗用疑惑が拡大し、前代未聞の白紙撤回に至った佐野研二郎氏デザインの作品について「パクリだったかもしんないけど、あのエンブレムってよくできてたんだな」と改めて評価。「いろいろあって、ああいうふうにごちゃごちゃして揉めて、みんながすごく注意して作ると、凡庸なものになるのよね」と、慎重に作成したことで、最終候補4作品が無難なものになったのではないかと語った。
マツコデラックスさんて、うまく、わかりやすく言える人なんだなあ。
エンブレムの一連の経過については今月はじめに行きつけの美容院のオーナーと、とことん話し合いました。
で、
芸術はオール、パクリなんですよ!
というまとめになりました。
ちなみに美容室のオーナーさんはマツコ大好きです。
寝込む前の記事 四条畷お嫁入り編
横山風邪治りました。
風邪で寝込む前にあったことから順番にブログに書いていこうと思います。
イオン四条畷での展示の様子とお嫁入り報告です。

こちらのお客様のお家へお嫁に行くことに決まりました♪
娘よ~~。よかったねえ・・・^^
構図にこだわった作品です!
お迎えありがとうございます!

こちらはじっくり絵を見ていただいているところ。
カッティングの隅々まで見ていただければと思います。

四条畷でも切り絵教室!
この日は20分くらいでできる切り絵をしていただきました。
そして切り絵教室をしていないときは私が次の作品のカッティングをしておりました・・。
あれこれ時間がなくて、まだ完成していないんですが、完成したらぜひご覧いただきたいです!

周辺にいた人を巻き込んでの記念撮影♪
マスクですみません~。変な人ですね・・。^^;
みなさん優しい方ばかりで、なにかにつけて感謝・・・。ありがとうございました!
またお会いしましょう~。
で、この後寝込む。
かなり質の悪い風邪でした。
床から起きてからも微熱がずーっと続くし声は張れないし。
また更年期障害って言われる~。
鉛筆の歴史
鉛筆の原型
細長い鉛と錫の合金の外側に木軸を巻きつけたのが鉛筆のはじまりと言われる。
15 世紀頃 これと同じ原理の銀筆(シルバーポイント)が素描に盛んに使われた。
現在では画材として銀筆画・キアロスクーロ素描に使われている。

Silver Point Gold Point
1560 年代 イギリスで黒鉛鉱が発見され、黒鉛(グラファイト)鉛筆が作らるようになった。 初期は黒鉛を板状や棒状に切ったものに糸を巻いたり木で挟んで持ち手を作ったものなどがあった。 最初に記述に登場したものとしては木で作った丸い筒状の本体先端に黒鉛の小さな塊を詰めるものが あり、黒鉛がなくなると新しいものを詰めて使った。
1662 年 2 枚の細長い木の板の間に芯となる細長い黒鉛の棒をはさんで固定し、削って使用する現在のような 鉛筆がステッドラー社の創業者の先祖にあたるドイツのフリードリッヒ・ステッドラーによって製造 される。この時はまだH,Bなどの硬さの段階はなかったものの、現在の鉛筆と形状的には大差のない ものができあがっていた。こうして鉛筆が普及すると黒鉛が不足しはじめる。

Great invention ancient pencil
1760 年 ドイツのカスパー・ファーバーが黒鉛くずと硫黄を混ぜて芯を 作り今日のファーバーカステルグループの基礎を築く。
1770 年 イギリスで消しゴムが発明される。
1839 年 ファーバーカステルのローター・ファーバーはコンテの芯を用い、六角形の鉛筆を開発。 鉛筆の長さや太さ、硬さの基準を設けた。
1858 年、アメリカのハイマン・リップマンは消しゴムをニカワで 鉛筆に固定させる消しゴム付き鉛筆を発明した。リップマンは この特許をジョセフ・レケンドーファー に 10 万ドルで売り莫大な 富を築いた。1861 年にニューヨークでエバーハード・ファーバーは この特許の前に金属片を押し付けて鉛筆に消しゴムをつける方式 を考案し別に特許をとった。この 2 者の間で特許紛争となったが 連邦最高裁は、消しゴムつき鉛筆自体に新規性が認められないとし、 両方の特許を無効とする判決を下した。
アメリカって権利とか特許とか、すっごい争うけど、裁判官が「あほかっ」って思うケースもあるんですねー。
鉛筆削りは 19 世紀の終わりに発明された。
日本での鉛筆の歴史
1600 年代初頭 ヨーロッパから輸入され徳川家康 や伊達政宗が使った鉛筆が 残されている。また 8 代将軍吉宗も鉛筆を愛用していたという。
本格的に使用されるようになるのは明治維新後のことで製造 技術を学ぶために伝習生がオーストリアやドイツに派遣された。
1887 年に東京の新宿で真崎鉛筆製造所(現在の三菱鉛筆)の 創業者・真崎仁六(まさき にろく)によって量産が開始され、 この頃より学校でも活用されるようになった。
日本では学校でも毛筆で学習していた期間が長かったみたいですね。
鉛筆の硬度
黒鉛の比率が多いものがB系(ブラックの略)、 粘土の比率が多い物がH系(ハードの略)、 中間はHB。 Fは「強固な」という意味で、HとHBの中間の堅さ。
三菱鉛筆「ハイユニ」
(10B,9B,8B,7B,6B,5B,4B,3B,2B,B,HB,F,H,2H,3H,4H,5H,6H,7H,8H,9H,10H) 世界最多の全 24 硬度
ファーバーカステル 「カステル 9000 番」
(8B,7B,6B,5B,4B,3B,2B,B,HB,F,H,2H,3H,4H,5H,6H) 全 16 硬度
STAEDTLER® 「マルス ルモグラフ」
(8B,7B,6B,5B,4B,3B,2B,B,HB,F,H,2H,3H,4H,5H,6H) 全 16 硬度
・・・はあはあ、ここまでまとめたけど、学生はこんな講義しても寝るだろうなー。
と、思って家庭内でカットイラストを発注して文章の合間に配置しました。
またプリントは完成形ではないので次のクラスに配布するまでになんとかしたいです。
実は三菱鉛筆のHPのユニスターの情報が古くて、10Hと10Bが新たに加わるまえの「世界最多の22硬度」とプリントには記載されていて、訂正しながら鉛筆の歴史を紹介しないとなーと思っています。
私の好きな鉛筆は三菱ユニですが、学生たちが所持しているステッドラーのマルスより安いです。
私が鉛筆の歴史を編集しているのをチラ見した夫(芸大出身)が、
「ユニとかファーバーとかマルスルモグラフって何?」
と聞いてきたので驚嘆しました。
彼は学生の時マルスルモグラフでデッサンしていたそうですが、自分が使っている鉛筆のブランド名をいちいち意識したことが無かったそうです。
自分が何で絵を描いてるか
この道でもっと上達したいなと思う瞬間に気になり始めるのかも。
富山にて切り絵教室とお嫁入り

富山会場では書家の外林先生にご挨拶できて良かったです♪
先生も切り絵教室をのぞきに・・・。
「意外と難しい!」

一緒に記念撮影させてもらいました~。
外林先生はとっても思いやりのある巨匠でした。
プロフェッショナルというか、なんていうんでしょう、教養が無くてこんな言い方しかできませんが、「スゴイ人」ほど奥ゆかしいんですよ・・。

富山会場では2点(4枚)展示していただき、そのうち1点を切り絵体験していただいたファミリーにお買い上げいただきました!
ありがとうございます!
切り絵体験もお母様お父様、お嬢様とお兄様(写真は恥ずかしいとお入りになられなかった・・)に1~2時間も体験していただきました。すみません、すーーごく疲れたと思います。今度は疲れない下絵のものを持っていきますね^^;
土日の富山展示を終え、帰途についた横山は金沢駅で乗り換えにもたつき雷鳥ちゃんに乗り遅れました。閉まるドアに手を挟まれかけた・・。
鈍行じゃあるまいし。何か挟まればもう一回開くと思ったのかもしれません。とっさのことで何を考えたかわからないのですが、マナーが老化してるように思います。
最後に自分に疲れました。クリティカルに。
そうして自宅にたどり着いたら3歳になり、保育所に先週から行き始めた娘が、
昨日から鼻水出してる
とのこと。夜中には鼻ズマリと熱で泣き、結局保育所をやすむことになり、富山から帰ってからやろうと思っていた水曜日の授業の準備(まだできてない)が遅れ・・。
それに伴いまた切り絵制作が遅れ・・。
保育所の子供たちって全員が鼻水たらしていて、ごはんのときも口から色々飛ばしながら食べているし、ウチの娘はなぜかいつも男の子たちからハグや頬を撫でまくるなどされているので絶対にうつるとは思っていましたが、もうこんな春になっても風邪うつされるくらいだから秋や冬中風邪ひき続けるんじゃないかと思う・・・。で、結局保育所いけないってなってまた私の仕事がさっぱり進まないのではないかと。
ゆくゆく心配だけど・・・とりあえず明日の準備しよう・・・







