園長通信~こころ~ №435
                      こどもかいぎ その2                                                                                             2026.4.20
                                                                                    
    1月の職員会議だった。子どもたちが話せないことが気になっていることを取り上げた。先生方と話し合った。すると、ある先生が、『「こどもかいぎ」のトリセツ』という本を紹介してくれた。すぐに、これだ!と思った。
 次年度、令和8年度の方向性が定まった瞬間だった。キーワード、合言葉は、「こどもかいぎ」である。おとなかいぎである職員会議で、こどもかいぎという次年度の重点事項が決まった。決まれば、すぐに動く。              

    令和8年度教育課程の「特に努力し、改善する事項」を次のようにした。                     

 

    本園の幼児が、人前で緊張してしまい、思いを言葉にできない実態があることを踏まえ、安心して思いを話し合う機会として「こどもかいぎ」を計画的に実施する。話し合い活動を通して、自己発揮の機会を増やし、自信をもって表現する意欲を育てる。 

 

    この「計画的に」というところがポイントである。年間を通してやり続ける。子どもたちは、場数を踏むことになる。話し合うことが日常となる。自分の思いや考えを話すことが当たり前となる。そうなることを目指す。これは、少人数だからこそやりやすい。少人数ならではの実践でもある。ないものねだりではなく、あるものさがしの発想である。
 幼稚園でも学校でも、年間計画にしたがって、それこそまんべんなく教育活動が展開される。特にこれをという重点事項を決めたとする。それに力を入れる。だからといって、他のことをやらないかというとそんなことはないだろう。どれもこれもというのは、やっているほうからするといいのだが、実際のところ、成果はどうなのだろうか。一つのことに絞って、年間を通してやり通す。すると、他のこともついてくる。結局は、このほうが成果が上がる。だから、重点事項を決めて取り組むことが重要なのである。物事は、一つのことに絞ったほうがいい場合がある。  

  「こどもかいぎ」とは、子どもたちが輪になって、様々なトピックを自由に話し合うことである。ただのおしゃべりとは違う。かいぎである。相手の話を理解し、自ら考え、思考を整理する。そして言葉に変換して表現する。これらのプロセスを積み重ねていくと、聴く力や話す力はもちろんのこと、理解力や思考力、共感力などの多様なポテンシャルを伸ばすことができる。自己肯定感や幸福感も上がっていくだろう。互いがじっくり話を聴くことで、子どもたちに心理的に安全な空間を提供できるようになる。
 このようなことが、真の意味で、小学校教育の土台となるのではなかろうか。大げさに言えば、明日の日本社会を担う人材を育てることにもつながる。もし、子どもたちが、幼稚園の2年間で、自分の思いや考えを話せるようになったとしたら、どうであろう。大きな自信を携えて、小学校へと進むことができる。「こどもかいぎ」これが当たり前の日常となる。そんな園にしたい。      
 

園長通信~こころ~ №434
                        こどもかいぎ                                                                                                  2026.4.17
                                                                                    
     幼稚園に勤務するようになり、3年目を迎えた。1年目は、これでいいのだろうか、こんなものなのだろうか。数々の疑問はあったのだが、遠慮したところがあった。2年目になった。疑問は、ある確信へと変わっていった。これではだめだろう。これではいけない。どうにかしなければ。何とかしたい。ある確信は、解決すべき課題へと格上げとなった。                                

     幼稚園での保育は、その後の小学校教育の土台となるものである。どの保育活動が、小学校でのどの教科のどの学習に結び付くのか。このことを分析することはできなくはないだろう。小学校との関連が一番わかりやすいのは、生活科だろうか。                 この2年間で、一番気になっていたのは、子どもたちが、人前で、自分の思いや考えをどのくらい言えるのかという点である。思いや考えを言うためには、考えなければならない。考えたことを相手に伝える言葉も知っていなければならない。                               子どもたちを見ていると、考えることや表現するための言葉の他に、何か障害のようなものがあるように思える。これは、もしかしたら、日本の子どもたちが、あるいは日本人が、ずっと抱えてきているものなのかもしれない。
     自分の思いや考えはもっている。だが、人前では言えなくなる。うまく伝えられない。これでは、小学校に進んでも、教科の学習はもとより、様々な教育活動に支障が出るだろう。子どもたちが困ってしまうのではなかろうか。                                                          幼稚園で話せなかった子どもが、小学校で成長し、話せるようになればいいのだが、多くのことは期待できない。小学校に進めば、多くの子どもたちは、大きな集団の中に入ることになる。30人規模の集団である。その中で生きていくのは、簡単なことではないだろう。その一方で、だからこそ成長できるという側面もある。                      人前だから緊張するということはある。大人でもそうである。慣れというのもあるだろう。大げさにいえば、日本の教育は、この慣れが足りない。慣れるほどの場数を踏ませてもらえてはいない。クラスでディスカッションをしている。クラス全体としては、ディスカッションをしているのだが、一人当たりの話す量としては微々たるものである。あるいは、全く話さない子どもが一定数いる。こういったことがよくある。これが現実である。                                              

 幼稚園で話せなかった子どもが、小学校に入っても、6年間そのままだったとしたら、どうであろう。何か責任のようなものを感じてしまう。幼稚園のうちに話せるようにするべきなのではないか。幼稚園だからこそ、話せるようにできるのはないか。そう考えるようになった。                                                                       (次号に続く)
 

園長通信~こころ~ №433
                         記憶の箱                                                                                                  2026.4.16
                                                                                    
     ポジティブ思考ならばいいが、ネガティブ思考という言葉は使いたくはない。だが、ここのところ、どうもネガティブ思考になってきている。                                                     あれは、まだ冬のことだった。突然、ある教え子のことが甦ってきた。こういったことは、珍しいことではない。その教え子は、小学校の教員となり、初めて担任をした子どもだった。目立たず、あまりしゃべらない。おとなしい子どもだった。友達もいたのかどうか。こちらからすると、ずっと気にはなっていた。ところが、解決策が見つからないというか、打開策が見いだせずに時が過ぎていった。特別、何かがあったというわけではない。いつも気になる存在だった。                

    あれから、もう40年近くが経過している。昔を懐かしんでいるわけではない。この園長通信で、小学校教員時代を振り返っているわけでもない。急に、その子のことが浮かんできた。なぜだかわからないが、焦りを感じた。                                                         それまでも、昔の失敗を思い出すことが増えてきていた。以前ならば、こんなに昔のことを振り返ることなどなかった。それはそれで問題なのかもしれない。反省していない。学習していない。失敗から学ぶことがない。すなわち教訓とはならない。失敗を忘れてしまっては教訓とはならないだろう。                                                                               なぜ、昔のことを思い出すようになったのか。前に進もうとはしている。だが、進んではいない。停滞している。前に行けないから後ろを見るようになる。そう解釈していた。今までは、思い出すことがなかったことまで甦ってくる。その度に、落ち込んでいく。とどめが、その教え子だった。 

     こう考えた。たぶん記憶には箱のようなものがあり、思い出したくはないことがいっぱい入っている。普段は、その箱が開くことはない。ところが、何かの拍子にちょっと開いてしまう。忘れるというのは、この箱が開かないだけであって、本当は忘れてはいないのだろう。思い出さないように、箱が開かないようにしているのは、一種の自己防衛本能のようなものなのだろう。
    この箱が開いてしまう頻度が上がったということか。その教え子のことは、思い出したくはない記憶の箱の一番奥のほうにあったものであろう。それが出てきてしまったために、焦ったのではなかろうか。他の記憶もどんどん出てきてしまうことを恐れたのである。怖くなったのかもしれない。  この箱が開いてしまったら生きてはいけない。我が人生は、失敗とともに歩んできた人生である。日々、失敗の記憶とともに生きていくのは、容易なことではない。辛すぎる。                    

    では、どうすればいいのか。前を向くしかない。何かをするしかない。それでも、あの子のことは忘れずにいようと思う。自分の未熟さを一番よく教えてくれる存在である。忘れてはならない。失敗したことを思い出してしまうのは、ネガティブ思考だと思っていた。だが、見方を変えれば、ポジティブ思考のように思えてきた。開けたくはない記憶の箱が開かないように、前に進んでいきたい。
 

園長通信~こころ~ №432
                  書き続けた先にあるもの その3                                                                                        2026.4.15
                                                                                    
    縁あって、幼稚園の園長となった。校長でないのだから、「校長室だより」は出せない。では、どうするか。「園長通信~こころ~」を出すことにした。ホームペ-ジにアップするのは、今までと同じスタイルである。中身はというと、さほど変わらない。相変わらず、つれづれなるままに綴っている。毎日出すのも変わらない。書くことは生活なのである。書きながら考えることで、前に進もうとしている自分がいる。                  高校生のときに、小説を1行も書けなかった人間が、今、毎日、原稿用紙4枚ほどの文章を毎日書いている。こうなるとは、さすがに想像もつかなかった。学級通信を出すのに苦労していた人間が、毎日出すことができるようになった。とても同じ人間だとは思えない。                      

    いったい何が変わったのか。文章を書くということは、それを読む読者がいる。その存在は大きい。文章を書くには、相手意識が必要となる。人生経験を積んできたから書けるようになった。そう考えることもできる。経験とは、失敗、挫折、失望などである。それらから、学んだことは多い。  何をやっても続かない人間である。すぐに飽きてしまう。熱中する、夢中になるということがない。ときおり、自分をさびしい人間だと思うことがある。何かの、誰かのファンになるということもない。そんな人間が、唯一続けていること、それが書くことである。書き続けることである。今でも、書くことはむずかしいことだと思っている。自分の文章はずばらしいのか。そんなことを考え出したら、とてもとても書けるものではない。飾らずに書いた、等身大の自分の文章を読者の方々に読んでいただいている。そういったスタンスである。だから、続けられているのかもしれない。  

     今、書いている「園長通信~こころ~」も、このまま続ければ、やがて1000号に到達するだろう。二度目の1000号となる。あわせて2000号である。このことを目標としているわけではない。このことに挑戦しているわけでもない。だが、毎日、文章を書き、それが2000号も続くとなると、それは挑戦といえるのかもしれない。自分の人生に、今まで挑戦といえるようなものがあっただろうか。挑戦といえるほどのレベルのものがあったのか。なかった。                  

    長く生きているうちに、ようやく挑戦に値するものが見つかった。出会うことができた。それが、書き続けることである。そのためには、毎日、文章を綴らなければならない。それは、決して簡単なことではない。誰にでもできることでもない。一人の凡人が、力を入れず、自然体のままに、どこかに引っ張られるように、何かに導かれるように、ずっと書いている。若かった頃の挫折が、今、こうして生かされている。人生に無駄なことなどない。すべてに意味がある。そう思えるようになった。それは、書き続けてきたからこそわかったことである。これからも、書き続けていきたい。その先に、きっと何かが待っている。そんな気がしてならない。                              
 

園長通信~こころ~ №431
                  書き続けた先にあるもの その2                                                                                       2026.4.14
                                                                                     

  違う中学校に勤務することとなった。ここでは、意を決して、学級通信を毎日出すことにした。だが、まだ、文章だけというわけにはいかなかった。それでも、さほどの苦労もなく毎日出すことができた。コツというよりは、書くということがわかってきたような感覚があった。この学校で、学級担任をした4年の間、毎日書き続けた。年間200号を超えるものとなった。すべて製本して生徒に渡した。タイトルは変わらず「薫風」だった。立派な厚みがあり、積み上げること、続けることの重みを感じることができた。                                                          

 高校の校長となった。季節は巡り、秋になった。そろそろ何かをしたくなってきた。まもなく、令和元(1)年11月11日か。「1」が5つも並ぶ日が近づいてきた。よし、始めるか。「校長室だより~燦燦~」を始めた。今までの学級通信とは違い、今度は、文章だけにした。エッセイである。思いつくままに、つれづれなるままに、綴っていく。これを毎日出していった。ようやく、中学校教員として出会った先輩に追いつくことができたような気がした。始めたのはいいが、果たして続くのかという不安はあった。だが、それは杞憂だった。どんどん文章が出てくる。いつの間にか、書きためる生活が始まった。今度は製本はしなかった。ホームページにアップしていった。  

 2年間のうちに、333号まで出すことができた。タイトルが「燦燦」なので、333にしてみた。中学校の校長となった。さて、どうするか。もはや、毎日書くことが日課となっている。ルーティンである。何事もなかったかのように、334号から始めた。もちろん、タイトルは「校長室だより~燦燦~」である。                                            中学校3年目となった。3月までを計算してみた。このペースでいくと、1000号に到達できることがわかった。「1000」特別な響きをもつ数字だった。「校長室だより~燦燦~」を1000号出すという明確な目標ができた。だが、実際には、目標があるから出しているのではない。そんなに力んではいない。肩に力も入ってはいない。書くことが日常になっていた。書かないと落ち着かなかった。書くことは考えることである。考えることは書くことである。きっと、書きながら考えたかったのだろう。そう思う。                                                        

 予定通り、1000号に達することができた。さすがに充実感や達成感をもつことができるだろうと思っていた。ところが、現実は違った。これで書くことが終わってしまうのか。書くことをやめてしまうのか。それでいいのか。さて、これからどうしたものか。先のことが心配になってきた。
                                                                      (次号に続く)