園長通信~こころ~ №344
                       フレンドシップ
                                                                                          2025.11.20
                                                                            
 幼稚園の4歳児クラスでは、先生が「森のくまさん」の絵本を読んでいる。子どもたちに、この後どうなったかと続きの話を聞いている。子どもたちは考える。自分が考えたことを発表する。なかなか思い通りには話せない。自分が考えたことを絵にしてみる。言葉にできない部分を絵で補う。絵にすることで、言葉が出てくるかもしれない。                                              

 5歳児クラスでは、宝とりゲームを行っている。2つのチームが宝をとろうと競い合う。チームごとに作戦を考える。そのための話し合いを行う。話し合いのリーダーとなって、みんなの考えをまとめていく子どもがいる。話すのだが、自分の考えをうまく説明できない子どもがいる。それはこういうことだよねと助け船を出す子どもがいる。作戦を考えられない子どもがいる。考えてはいるのだが、話そうとしない子どもがいる。                                                  
    このような状況は、小学校でも、中学校にいっても見られる。基本的には、幼稚園と変わらない。友達の前で自分の考えを表現させたいという先生方の願いがある。これから、子どもたちが成長していく過程で、自分の思いや考えを表現できれば、きっと健やかに成長していけるに違いない。幼稚園では、そのための土台づくりをしている。
    先生は、どのような題材ならば自分の考えを出しやすいかを考える。どのような設定にすれば発表しやすいかを考える。森のくまさんの続き話に正解があるわけではない。むしろ正解などないほうがよい。正解がないからこそ、自分の考えを出しやすくなる。
 宝とりゲームの作戦に大人が考えるような正解がないわけではない。だが、正解を考えることがねらいではない。チームが勝つために、自分なりの考えを出せるようにしたいのである。勝ち負けがあることは、考えを出すためのモチベーションとなる。
     なかなか話せない子がいれば、先生は、次の機会ではこうしたほうがよいと考える。そして、やってみる。そのような先生方の計画的、意図的な営みにより、子どもたちは少しずつ変わっていく。今まで話せなかった子が、少しずつ話せるようになっていく。その歩みは決して早くはないかもしれない。だが、一歩一歩、着実な確かな歩みである。
    前述のような話し合い活動を積み上げていくことによって、学級の仲間意識が芽生え、学級集団づくりが進んでいく。これも、小学校へ向けての土台づくりとなる。自分のことだけでなく、友達の考えを受け入れたり、賛同したり、共感したりできるようになっていく。いわば、フレンドシップである。これからも、フレンドシップをもとにした学級集団づくりを大切にしていきたい。    
 

園長通信~こころ~ №343
                        信頼と尊敬
                                                                                          2025.11.19
                                                                            
 一流のリーダーとはどんな人か。むずかしい質問である。民間会社など一般社会のことが、そのまま教育界にあてはまるわけではない。だが、大いに参考にはなる。教育界にもリーダーは必要である。                                                                                   

 たぶん、リーダーや指導者というと、一般的には、その人にすべてを求めるのではなかろうか。スポーツの指導者で考えてみる。人柄がよく、気遣いができ、人格者だとする。だが、思いの外、チームは勝たない。                                                                        

 一方、お世辞にも人柄がいいとは言えないし、自分勝手な面もある。ところが、チームは勝つ。その競技における専門性というか、勝負勘がよかったりする。                         前者のような指導者のほうが評判はよいだろう。後者のような指導者は評判はよくないが、結果を残す。果たして、どちらの指導者のほうがよいのだろう。それは、選手が求めるレベルにもよる。全国大会優勝を目指すような選手は、後者のタイプのほうがよいかもしれない。反対に、そこまで高いレベルを求めないのであれば、前者のタイプのほうがよいかもしれない。                    

 後者のタイプは、専門性と勝負勘だけでチームを勝たせているわけではない場合が多い。実は、人を使えるのである。自分に才能がない、足りない部分を人にやってもらっているのである。それは、コーチだったり、保護者会だったり、ОB会だったりする。才能は補完が可能である。ただし、あの人のためならやるしかないかと思わせるだけのカリスマ性のようなものが必要となる。        

 全国大会で優勝するようなチームは、絶対的な指導者を頂点にして、巨大な組織で動いている場合が多い。全体が、一つのチームのようなものである。自分にはない部分、足りない面を補うために人を使える指導者が結果を残していくのかもしれない。何でも、あれもこれもと自分でがんばってしまう指導者には、意外と結果がついてこない場合がある。このへんがむずかしい。人を使えることも才能である。
 才能は補完できる。だが、補完できないものもある。それは、徳である。徳は本人固有の資質であり、代替不可能である。だから、指導者たるもの徳を積まなければならない。自ら徳を磨かなければならない。                                         
    人間力とは、信頼と尊敬の合計値である。その指導者を信頼できるか。尊敬できるか。一流のリーダーや指導者は、顔で人を導く。顔、すなわち徳であり人間力である。                      
 

N中ソフトテニス部の軌跡 No.17

               強くなるために勉強する

                                           2025.11.18

 

     誰でもが強くなりたいと思っているでしょう。もちろん、ソフトテニスの練習をすることは大切なことです。しかし、試合になると、練習していたことができなくなる人がいます。なぜなのでしょう。きっと、弱気になって、いつものようには打てなく

なっているのです。相手に向かっていくのではなく、逃(に)げてしまっているのです。自分に負けている状態(じょうたい)です。気持ちが弱いと言えばそうなのですが、どうすればよいのでしょう。

 人によって、それぞれですが、逃げているのは試合だけではないのではないでしょうか。生活していると、辛(つら)いこと、嫌(いや)なこと、面倒(めんどう)くさいことが、たくさんあります。そういったことに、どう向き合うかです。

 試合では、自分の弱さが出てしまうものです。相手と戦っているのですが、実は自分自身と戦っているのです。

 強くなるために、嫌なことに立ち向かうという方法があります。まもなくテストがあります。このテストを使うのです。今までとは違った取り組み方をします。方法は

2つです。

 〇  今までで一番多く勉強する。今までよりもたくさん勉強時間をとる。

 〇  今までで一番いい順位をとる。

 理想は、今までで一番勉強して、一番いい順番になることです。今の自分のままでいいのか。もっと強くなりたくはないのか。ソフトテニスで強くなるために、テスト勉強で今までよりもがんばるのです。

 それができたとしたら、本当に強くなりたいと思っているということです。本気で強い選手になりたい、うまくなりたい、試合で勝ちたいと思っているということです。ソフトテニスが好きで、部活動が好きで、どちらも自分にとって大切なものであ

れば、がんばることができるはずです。今回のテストを自分を変えるためのチャンスにしませんか。

 このブログ「N中ソフテニス部の軌跡」は、来週11月25日(火)まで出しません。それまでは、全力でテスト勉強に向かってください。テストが終わったら、「先生、今までで一番勉強しました」「先生、今回の順位は上がると思います」といった

報告が聞けることを楽しみにしています。

N中ソフトテニス部の軌跡 No.16

                 最高の部活動

                                   2025.11.18

 

    この前の土曜日は、学校のテニスコートで部活動を行いました。風がなく寒くもなく穏(おだ)やかな日でした。最初に、こんな話をしました。

 今までは、指導者がみんなを引っ張ってきた。ここから強くなるためには、自分たちでうまくなろうとしないとむずかしい。質問する人が増えてきた。とてもいいことなので、どんどん質問してほしい。お互いにアドバイスしながら練習できるとよい。

 12月からは、体育館での練習が始まるため、1年生には、体育館練習のことを説明しました。誰(だれ)でもそうですが、やったことがない初めてのことはわからないのです。

 ショート乱打(らんだ)を行いました。森合でのナイター練習では、だいぶうまくなってきています。2年生に、ショート乱打で気をつけること、技術的なポイントを

1年生に向けて説明してもらいました。ちゃんとわかっていました。気をつけることが頭に入っているので、うまくなっていくのでしょう。1年生も2年生の話を聞いて、熱心に練習していました。

 次に、フォアストロークレベル1に取り組みました。これも、森合ナイター練習では、うまくなり出しています。もう一度、気をつけること、技術的なことを確認しました。二人組で練習しましたが、お互いにアドバイスをしながらボールを打っていました。そのアドバイスが正しいのです。教えられたことを理解しています。打ち方の

見るべきところもわかってきたのでしょう。

 私が上げボールをして、前衛のボレーとスマッシュの練習をしました。今までやったことがない練習でしたが、どんどんうまくなっていきました。前衛が5人いましたが、行動がテキパキとしているので、練習のリズムがいいのです。みんなでうまくなっていく雰囲気(ふんいき)がありました。

 ファーストサービスの練習をしました。カットサービスをやってみる人が増えました。今までよりも考えながらやっていたためか、カットサービスができるようになってきました。体育館の試合で使えそうです。

 この日の練習では、特別、声が出ているわけではありませんでした。でも、気になりませんでした。みんなが、考えながら集中して練習していたからです。

 土曜日の学校の練習は、森合ナイター練習に比べると、今までは落ちる感じがしました。うまくならないのです。それだけ、森合ナイター練習がいいということです。

学校の3時間よりも、森合の1時間のほうがよかったくらいでした。

 ところが、この日は違いました。みんなでうまくなりました。とてもいい練習ができました。お互いにアドバイスし合ってうまくなっていく楽しい練習でした。この日は、最高の部活動でした。

園長通信~こころ~ №342
                      朝と珈琲とエッセイ
                                                                                         2025.11.18
                                                                            
 すっかり朝の執筆活動が定着した感がある。以前ならば、ふと思いついたときにスマホに打ち込んでいた。この思いつくタイミングが、どうにもこうにもコントロールできないでいた。夜、ベットに入り、寝ようと思うと浮かんできてしまう。車を運転をしているときにも思いつく。ゆったりと温泉に入っていても文章が出てきてしまう。仕方なく、お風呂上がりに、スマホに打ち込んでいる。あるいは、土曜日の午前中に、自宅の書斎で考えている。
 いつの頃からだろうか。前述の苦しみが消えた。では、いつ文章を考えているのか。朝である。朝が一番いい。まずは、パソコンに向かう。何を書こうかなと考える。仮のタイトルをつける。そして、書き出す。書いているうちに、当初の方向性とは違ってくることがある。いったん、書き終える。改めてタイトルを考える。                     書き出せば、あとは早い。一気に書き終える。最初から通して読んでみる。読者の皆さんが読んでくれるのは一度であろう。何度も読み返してくれる方は、そう多くはないだろう。そうなると、一度読んだだけでわかってもらえる文章にしなければならない。読後感も重要である。            

 この前、久しぶりに新幹線に乗った。東北新幹線に乗ると、楽しみなことが一つある。「トランヴェール」である。JR東日本が発行する新幹線車内誌である。こういった冊子には、旅に関するコラムが掲載されている。読んでいて楽しい。                                   エッセイもある。現在は、作家である柚月裕子さんの文章が載っている。この方の文章を初めて読んだ。いい。とてもいい。好みの文章である。伊集院静さんとはまた違ったよさがある。柚月さんは、岩手県釜石市の出身である。現在は、山形県山形市在住である。東日本大震災では、津波で岩手県宮古市の実家が流されるという体験をしている。                                       

 柚月さんのエッセイを読んで、こういう文章を書いてみたいと思った。しかし、書けない。それでも毎日、書き続けている。朝のエッセイが定着してきた。ここには、必須アイテムのようなものがある。珈琲である。珈琲には、執筆活動を促進させる効果がある。たぶん、きっと。それから静けさが必要である。物音がすると書けない。だから、書くときは一人である。カフェやファミレスでは書けない。まわりが気になる。没入するタイプなのであろう。                             

     朝と珈琲と、それからエッセイで一日が始まる。よく考えると、いいスタートなのかもしれない。毎回、読後感を意識しながら、文章の終わり方を考えている。自然と気分は落ち着く。一種の修行のようなものだろうか。伊集院静さんにも柚月裕子さんにも到底なれはしない。だが、それでも気分だけでも真似てみたい。これからも、朝と珈琲とエッセイは続く。